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アフリカ散歩 〜第1歩〜







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 1999年5月22〜30日に ジンバブエ共和国 Republic of Zimbabwe南アフリカ共和国 Republic of South Africa へ行って来ました。ジンバブエへ行こうと思いついたのは4月中旬のこと。ガイドブックを買い、ゴールデンウィークの2日目にはアフリカ方面を専門とする 旅行会社 へ足を運び、その1週間後には飛行機とホテルの手配を依頼。あれよあれよ、と言う間に7年ぶり2度目の海外旅行は南部アフリカへの1人旅に決まりました。
 
 

1999年5月22日(土)   22 May 1999 (Sat)         Home | Top

 新宿から エアポート・リムジン Airport Limousine成田空港 Narita Airport へ向かう。3日前に予約の上での余裕の乗車だったが、次の便は満席だったらしい。

 成田空港 Narita Airport から シンガポール航空 Singaporeairlines SQ997で最初の経由地 シンガポール Singapore へ。6時間半のフライトで シンガポール空港 Singapore Changi Airport に到着。
  まず最初に、トランジットの薬局で マラリアの予防薬 を購入(S$27.20 \2000)。この日から毎週1回、6週間に渡って服用することとなる。機内食を意識しての軽い夕食の後はインターネット・カフェで知人にEメール(S$4.00 \300)を(30分以内の料金)送る。免税店で絵葉書を買い知人宛に暇潰しの手紙を書いた後はトランジット・ホテルのシャワーを利用(S$5.15 \400)。時間無制限のうえにバスタオルの貸し出し、石鹸(シャンプーは無)、ドライヤー付きでスッキリし、次のフライトを待つ。
 
 

1999年5月23日(日)   23 May 1999 (Sun)         Home | Top

 8時間後、再び シンガポール航空 Singaporeairlines SQ406で次の経由地 ヨハネスブルク Johannesburg へ向けて出発。途中、モーリシャス Mauritius  に1時間程立ち寄り12時間のフライトの末、ようやくアフリカ大陸の最初の一歩を記す ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に到着。

 目的地 ビクトリア・フォールズ Victoria Falls英国航空 British Airways Comair で向かうため、無人のトランジット・カウンタに並ぶ。日本で言うなら地方都市の特急停車駅の窓口を彷彿とさせる薄暗い蛍光灯と灰色の壁。カウンタのひび割れた案内板にはセロハンテープを剥がした後が見える。5人10人と列を作るが地元の 南アフリカ航空 South African Airways 以外、カウンタの向こうに誰もいない。そのとき列の横の方で典型的な日本人ビジネスマンと一目で旅人と分かる関西弁のおじさんが日本語で話しているのを発見。列を離れておじさんに聞くと、やはりどうしてよいか分からないとのこと。仕方なく 南アフリカ航空 South African Airways の列に並んで数分後、自分の順番になると「英国航空 British Airways Comair は向こうのカウンタですよ」とあっさりかわされる。壁に背を向け暫く待つと何処かの国の団体旅行の添乗員らしき人が英国航空 British Airways Comair のカウンタ前に現れた。すると間もなくカウンタの向こうに担当者が登場し手続きを始めた。それを見てすぐさま後ろに並び、無事に乗り継ぎを果たす。そのときカウンタの奥を見ると各航空会社の内線番号らしき数字が書かれている。どうやら壁に取り付けられた電話機で呼び出す仕組みだったらしい。

 南アフリカ、特に ヨハネスブルク Johannesburg の治安の悪さは出発前から気になっていた。実際、空港に降り立った時の薄暗い雰囲気から、出発ゲートまでの長い通路では「一人にならない」ことを常に心掛けた。搭乗開始までの約1時間も人の多いところに移動しながら、荷物からは片時も手を離さずにいた。

 そうこうしているうちに28番ゲートが開いた。国内線の出発ゲートは倒れそうな台にパソコンが1台乗っているだけのもの。この後の恐怖体験を暗示させるものであった。ゲートの後ろのガラス扉を出て、10分近くもバスに揺られて英国航空 British Airways Comair BA6289に乗り込み ビクトリア・フォールズ空港 Victoria Falls Airport へと向かう。1時間半程のフライトながら昼食(サンドウィッチ)にありつけ満足感に浸っていると、着陸間際に急旋回が始まった。生まれて初めて「落ちる!」かと思った。無事着陸した時、同乗の人達から拍手が起こった。

 ビクトリア・フォールズ空港 Victoria Falls Airport に到着後、入国カードに記入し、入国税($30.00 \3500)を支払い、無事入国。ここで現地人スタッフに出迎えられ、 レインボー・ホテル The Rainbow Hotel まで送迎を受ける。「アフリカの大地」の広さを実感する。ホテルまでの約20分間に旅行代理店のスタッフである運転手からオプション・ツアーを勧誘される。到着後成り行きに任せて予約しようと考えていたため非常に好都合であり、ホテルのロビーで3件即決。

  ・ザンベジ川クルーズ Zambezi River Cruse (US$25.00 \3000)
  ・遊覧ヘリ Helicopter (US$70.00 \8500)
  ・バンジー・ジャンプ Bangi Jump (US$79.00 \9500)

 クルーズまでの約2時間、街中を散策する。まずは空腹を満たすためにハンバーガーショップ Wimpy へ行き、オリジナルバーガー+ポテト+ファンタのセット(Z$98.00 \300)を食べる。リビングストン・ウェイ Livingstone Way を東へ進み、途中から脇道を通って ビクトリア・フォールズ入場門 Victoria Falls Entrance Gate の前を通り、 入出国事務所 Immigration Office (この時点ではここが入出国事務所とは分からなかった)まで行き折り返す。

 この間に気付いたことは、この国の人々の気さくな性格。散歩している東洋人を見ると必ず「ハーイ!」と声を掛けて来る。中には「コンニーチワッ!」とか「Change Money?」などと言い寄る者もいるが、こういうのは無視しても決して怒られることない。

 結局、時間がなく ビクトリア・フォールズ Victoria Falls を見ないままホテルへ引き返した。本当なら滝の音が聞こえてくるはずだったが、上空を行き交うヘリコプターの音ばかりが耳に入る。尤も明日は自分も同じことをするのだから恨むわけにも行かない。ホテルまでの帰り道、まだ見ぬ ビクトリア・フォールズ Victoria Falls の絵葉書(Z$7.00 \20)を買う。

 16時 (Sun, 23 May 1999 16:00 +0200) に約束通りホテルのロビーに運転手が現れる。ホテルから街中と逆方向へ車を飛ばし、10分程行くと船着場に到着する。何曹かのそれらしい船が停泊している。早く着き過ぎたらしく他に誰もいない為、まだ明るい船内で1人 ザンベジ川 Zambezi River の川面を眺める。15分程すると団体さんや家族連れなど、たちまち20人以上集まり、上流に向かって出発。すると3分もしないうちにエンジンが止まり、「故障しました」というお決まりのジョークを口火にスタッフの自己紹介と道中の説明が始まる。フリードリンクとはいうものの何があるのか分からぬまま ザンベジ・ビール Zambezi Beer を飲む。適度なガイドと共に時が流れる中、2〜3の船が対岸近くに集まっているところへ近寄ると3頭のサイを発見。エンジンを止め、30m程先のサイをしばし眺める。
 辺りは次第に薄暗くなって行く。正直言ってこのクルーズにはあまり期待しておらず、暇潰しのつもりだった。しかし遠い地平の彼方に沈む夕陽の美しさはとても感動的だった。この時も船はエンジンを止めて、ザンベジ川 Zambezi River の流れのままに揺れていた。皆、無言だった。

 船着場に戻って来たのは出発してから2時間半後、辺りは既に真っ暗であった。再び出迎えの車でホテルへ戻る。道中、「何か食べる物を買わなければ」と言うと「ホテルで食べればいいだろう」と運転手は言う。確かにその通りだがディナーの予約もしておらず、ルームサービスの有無も確認していない。ただ街灯もない異国の夜道を1人彷徨うことを思えば、ここはホテルに賭けるしかない。
 部屋に戻りルームサービスを頼む。
   ・チキンとサラダの盛り合わせ Chicken & Salad (Z$60.00 \180)
   ・スープ Soup (Z$50.00 \150)
   ・ティー Tea (Z$25.00 \80)
中庭から民族音楽が聞こえる中、蚊取線香の煙と共に蚊帳を吊ったベッドで眠りに就く。
 
 

1999年5月24日(月)   24 May 1999 (Mon)         Home | Top

 リモコンもタイマーもなくテレビをつけたまま寝ていたため、聞き覚えのあるロックで4時 (Mon, 24 May 1999 4:00 +0200) 前に目覚める。このホテルでは6つの放送(ジンバブエ、ザンビア、CNNが各1チャンネル。南アフリカが3チャンネル。)が見られ、そのうちザンビアのテレビ局は欧米のミュージックTVを夜通し放送していた。(ちなみにビデオはない)蚊取線香を数センチ折って火を付ける。昨夜から、この部屋には「日本の夏」の香りが染みついている。シャワーをひねったが水しか出ない為、諦めて知人に絵葉書をしたためる。
 外がだいぶ明るくなった頃、再びシャワーをひねると今度は勢いよくお湯が出た。このホテルはバスタブも水洗トイレもキレイだが、水は一目で分かるほど濁っていて臭い。歯磨き後はミネラルウォーターが欠かせない。石鹸もシャンプーも揃っているが泡立ちが悪く手持ちのシャンプーを使う。トイレットペーパーは字が書けそうなほど厚くて硬い。とは言うものの、真っ白な大小のタオルをはじめとした各種設備の充実ぶりは想像を超えていた。
 同じ2階にあるレストランで朝食ビュッフェの後、9時 (Mon, 24 May 1999 9:00 +0200) にロビーで運転手を待つ。送迎用小型トラックの荷台に乗り込みヘリポートへ向かう。前日歩いた街の中を抜け、入出国事務所 Immigration Office を通って ザンビア Zambia へ入国。
 そこから5分程でヘリポートに到着し、受付で申込書(レシート)の提示を求められる。同乗の白人夫婦2組は手続きを終えてヘリに乗り込む中、1人取り残される。
前日の申込みの際、ヘリの代金は送迎の運転手に支払うよう言われたことを伝えると、運転手は事務所に電話を掛け始めた。しかし繋がらないらしく受付嬢と顔を見合わせている。このままでは埒があかないと思い、受付嬢に「いくら払えば乗れるのか、今払うから乗せて欲しい」と言って、US$70.00(\8500)を払いサインをして手続き完了。(後から気付いたのだが、前日の説明ではヘリは ザンベジ川 Zambezi River の上流から乗り、川沿いに ザンビア Zambia へ入るはずであった。しかし実際は逆方向に連れて行かれた。ひょっとするとロビーで別の運転手に拾われたのかもしれない。)他の4人は既に搭乗し、カメラや双眼鏡を持って待っている。そこへ遅れて合流し、いよいよ離陸。まずは ザンベジ川 Zambezi River の上流方向へ。そこで右回り・左回りを2度繰り返す。カメラに収まりきらないほど広い川と大きな滝を目の当たりにする。続いて滝から離れて「野良ゾウ」や「野良シマウマ」を眺めて、あっという間に15分間の空中散歩が終わる。再び送迎車の荷台に乗り込みヘリポートを後にする。

 途中、ザンビア Zambia 側の ビクトリア・フォールズ Victoria Falls 入口で他の4人と別れ、 ビクトリア・フォールズ大橋 Victoria Falls Bridge の手前まで送ってもらい、運転手と別れて1人 バンジー・ジャンプ Bangi Jump の受付小屋へと向かう。予約済みであることを告げ台帳にサインし体重を量る。水性ペンで腕に体重を書き込まれ、 ビクトリア・フォールズ大橋 Victoria Falls Bridge 中央のジャンプ・ポイントへ行くように言われる。橋の中央まで行くと、ちょうど学生らしきグループの中の1人が飛び降りるところだった。歓声の中、110m下を目掛けて落下し引き上げられるまでの一部始終を記憶に焼き付けた。彼らが立ち去ると辺りはラジカセの音楽だけが鳴り響いていた。バッグを置き、靴と靴下を脱ぎ、眼鏡と時計を外し、ポケットの中のペンや小銭をバッグに押し込む。両足を縛られながら係員から注意事項を聞かされるが殆ど分からない。ただ、全てを見ていただけに察しは付く為、取り敢えず「Yes」を連発する。準備が完了し裸足で「端っこ」まで行き真っ直ぐ正面を向いて立つ。意外に流暢な日本語で係員が叫ぶ。「ごーっ,よーんっ,さーんっ,にーっ,いーちっ,バンジーッ!」 顔いっぱいに涼しい風を感じた。永らく乗っていないジェットコースターの息苦しさを思い出した。上から聞こえる歓声で「宙ぶらりん」の自分に気付く。間もなく上から降りてきた係員に「 Nice to meet you ! 」と挨拶を交わし、体を起こしてもらい一緒に橋の下の階段まで引き上げられる。階段に辿り着いて自分の足で立ったとき、世界で2番目(?)の高さを誇る バンジー・ジャンプ Bangi Jump ポイントでの人生初のジャンプは終わった。
 荷物を手にして靴を履くと、事務所へ行くように言われる。事務所の前まで行くとパソコンのある小屋へ招かれ、自分のジャンプの模様を納めた画像ファイルの入ったフロッピー・ディスクを見せられる。続いて別の小屋ではジャンプの一部始終を納めたうえにBGMまで入ったビデオ・テープを見せられる。冷たいミネラル・ウォーター(Z$20.00 \60)を飲みながら約10分。思い出すと言うには余りに近い想い出を目の当たりにし終えたところで料金の提示。
  ・フロッピー・ディスク floppy disk (US$10.00 \1200)
  ・ビデオ・テープ video tape (US$40.00 \4800)
「ビデオ・テープさえあれば画像ファイルは何時でも作れる」との思いからフロッピー・ディスクは初めから眼中になく、ビデオ・テープの値切り交渉に入る。30ドルの要求には応じて来ず、結局35ドル(US$35.00 \4200)で購入。空港のエックス線に注意するよう言われ、テープを受け取り小屋を後にする。
 ※帰国後、再生してみて分かったのだが、このビデオ・テープはPAL方式で記録されている為、日本で再生できるNTSC方式に変換しなければならなかった。
  ビクトリア・フォールズ大橋 Victoria Falls Bridgeジンバブエ Zimbabwe 側へ渡り、入出国事務所 Immigration Office を目指して歩き始めると、後ろから3人の子供達が走り寄って来てアイスキャンディを見せながら「100ドル!」と言う。負けずに「高い!」と言い返すと今度は「20ドル!」と一気に五分の一まで値を下げた。日射しの強い中、メロン味のアイスキャンディ(Z$20.00 \60)をしゃぶりながら歩いていると、頭上に大きな洗濯かごを乗せたおばさん達と何度も擦れ違う。真っ黒な煙を吐きながらタクシーが何台か行き交う。途中「 Welcome to Zimbabwe 」の看板近くの大きな木の陰で休憩。ここで、半分以上食べたアイスキャンディを見ながら、ふと思った。「この氷はどこの水を凍らせたのだろう。」ビニール袋に首都ハラレ Harare で製造されたことが記されておりひと安心。少なくともあのホテルの黄色い水ではない。ビニール袋を木陰のゴミ箱に捨てて再び歩き出す。橋からおよそ1km、入出国事務所 Immigration Office に到着。ここで先ほど別れた熟年夫婦と再会し「ジャンプしたのかい」と聞かれ、「鳥になった」ことを伝える。パスポートに判をもらい通行証を受け取って、隣のカウンタでその通行証に判を押してもらいジンバブエ Zimbabwe へ。

 入出国事務所 Immigration Office から5分ほど歩いて ビクトリア・フォールズ Victoria Falls の入口に到着。10ドル(US$10.00 \1200)を支払って入場。大小の滝(向かって左から)
    ・デビルズ・キャタラクト Devil's Cataract
    ・メイン・フォールズ Main Falls
    ・ホースシュー・フォールズ Horseshoe Falls
    ・レインボー・キャタラクト Rainbow Cataract
    ・アームチェア・フォールズ Armchair Falls
    ・イースタン・キャタラクト Eastern Cataract
に目と耳から圧倒され、シャッターを押す回数も増える。霧のように、時には大粒の雨のように襲い掛かる水しぶきからカメラを守るのに必死だった。その分、無防備な頭からは滴が落ちる。入口前の駐車場でレインコートを借りておけばよかったと後悔する。(尤も周りにはソレを着きている人は少なく、借りていたら別の意味で後悔していたかもしれない)ザンベジ川 Zambezi River の上流方向から ビクトリア・フォールズ大橋 Victoria Falls Bridge の近くまでの約2kmを1往復半して ビクトリア・フォールズ Victoria Falls を後にする。

 街中まで歩いて郵便局 Post Office に入る。今朝書いた絵葉書を窓口で見せ、日本までの葉書の航空便料金(Z$10.00 \30)の切手を10枚と、他に数種類の切手を購入。局舎前のポストに投函し、そのまま街中を散歩する。
 踏切から線路に沿って ビクトリア・フォールズ駅 Victoria Falls station へ向かう。 駅舎 に着くと「VICTORIA FALLS」と書かれた 看板 のそばの池を数人の子供達が取り巻き、小魚を手で捕まえて牛乳パックに集めている。貨物を運ぶ大人達も近くで足を止めて声援を送っている。長閑な光景をベンチに座って眺めながら、日本から持ってきたカロリーメイトとプロペラ機から持ってきたミネラルウォーターで(ディナーを意識しての)軽い昼食。2つある窓口の奥には1人ずつ駅員の姿が見られる。離れたところにあるもう1つのベンチには欧米からの旅人と思しき人が1人いるが、 他には誰もいない。 アンテナ塔の上には白黒2色のカラスが時折、「カ〜ッ」と鳴く。魚捕りに飽きた子供達が去った後は赤ん坊を抱いたお母さん達の散歩の場に代わった。 乗客が誰1人いない ことも、窓口の横にある、上り下りが1日各1本しか書いてない黒板(時刻表)を見れば納得出来る。

 駅周辺の風景を写真に納め、再び踏切りの方へ歩き出す。整備の為(?)に停車していた高級そうな列車の脇に立っていた整備士の叔父さんに「写真を撮ってもいいかい?」と聞くと親指を立てて「OK」。駅を後にして踏切を渡りホテルの方へ歩き出すと、買い物帰りの叔母さんが慌ててポリ袋を放り出し、子供のパンツを降ろす早業を目撃。東京ではお目に掛かれなくなった情景に、こちらも慌ててシャッターを押す。

 ハンバーガーショップ Wimpy の角を曲がり、土産物屋を何件か巡って絵葉書を買い込み、奥まったところにある日本でもお馴染みのスーパーマーケット SPAR へ行く。店の前の駐車場には30台以上の車が並び、入口付近には子供達の人集りが出来ている。中に入って驚いたのは、広い店内には沢山の食品や雑貨が並び、買い物客が溢れていること。東京との違いを敢えて捜すなら、天井が高い分だけ店内が薄暗いことぐらい。ミネラルウォーターとビスケットをカゴに入れてレジの行列に並ぶ。ここでは皆1列に並び、係員が5台程あるレジの空いているところへ振り分ける。さすがにスキャナの付いたPOSではなく手打ちのレジスタだが、レシートとつり銭を受け取る時にはレジの奥にいるもう1人の店員が商品をポリ袋に入れて手渡してくれる。
 細い路地の奥に「TELCO INTERNET」という看板を見つけ近づくと、そこはカフェなしのインターネットカフェで、Windows95のパソコンが数台並んでいる。中に入り「Eメールを送りたい」と伝え、パソコンの前に座る。メールソフト Internet Mail Ver.1.0 を起動して数人の知人に向けて「ヘリに乗ったこと、バンジーをやったこと等」を知らせるメール送信を試みるが、メールサーバの設定が違っていたり、通信状態が不安定で送信中にフリーズしたりで3度目にようやく成功。結局この1通しか送っていないのだが30分の利用料金(Z$200.00 \600)を支払い店を出る。
 ※帰国後判ったことだが、この時に使ったパソコンが「Happy99」というウィルスに感染していたらしく、送信した知人宛にウィルスを巻き散らしてしまった。

  をカメラに納めながら へ向かう。ホテルに着き、部屋に入ろうとするとハウスキーパーと鉢合わせした。手際良くベッドメイクしてカーテンを閉め、枕元にチョコレートを1つ置いて立ち去って行った。備品の入ったトレイを押して隣の部屋をノックして「ハウスキーピーング」と言って入って行く声が耳に残る。ディナー(Z$450.00 \1300)迄のしばらくの間、蚊取り線香の煙る部屋で天井を見ながら今日の出来事を振り返る。

 定刻の19時 (Mon, 24 May 1999 19:00 +0200) に中庭へ行くと既に暗くなったプールサイドのテーブルにローソクが灯っていた。赤ワイン(Z$80.00 \240)と共にステーキを頬張っていると、昨夜聞こえてきた民族音楽の演奏が始まった。足元には「野良ネコ」が3匹歩き回っている。
 食事を一通り終え、前日、空港からホテルまで同じ送迎タクシーで来たドイツ人 Rosita と語らう。話のネタにと日本から持ってきた穴の開いたコイン(\5)を部屋へ取りに行き戻って来るとプールサイドにいた人々が皆、奥の方に集まっている。Rosita に聞くと「ゾウがいるっ!」とのこと。ホテルの前庭の方を見ると暗闇の中には紛れもなく「野良ゾウ」がいる。さすがの従業員にとっても初めてのお客さんらしく、20m程離れたところから庭の樹木をついばむ珍客を一緒に眺めていた。
 気が付くと22時 (Mon, 24 May 1999 22:00 +0200) を回っており、翌日同じ飛行機に乗ることの分かった Rosita と朝食を共にする約束をして部屋に戻り、またテレビを付けたまま眠りに就いた。

〜〜〜 ビクトリア・フォールズ Victoria Falls 周辺地図 〜〜〜





1999年5月25日(火)   25 May 1999 (Tue)         Home | Top

 前日と同様、早い目覚めと絵葉書とシャワーを再現する。朝食前にホテルの周りを散歩し、昨夜の「野良ゾウ」の足跡を確認する。Rosita と朝食を共にしながら、12時 (Tue, 25 May 1999 12:00 +0200)にロビーで待ち合わせて空港までタクシーで行くことを約束する。 ビクトリア・フォールズ Victoria Falls へ行くRosita を見送り、1人街中を散歩していると、昨日ヘリに同乗した熟年夫婦と再び擦れ違う。街で唯一(?)の東洋人は目立つのか、向こうから声を掛けてくれた。
 昨日の散歩で立ち寄った土産物屋の2階へ行くと他にも土産物屋があり、オプショナルツアー会社やインターネット・カフェなどもあった。5月25日はこの国の休日(アフリカ独立の日)にあたり、郵便局や銀行は閉まっていた。ビクトリア・フォールズ・ホテル Victoria Falls Hotel の前から ビクトリア・フォールズ駅 Victoria Falls station の横を抜け、街の外れまで足を伸ばすと道の向こうは地元の人が住むアパートのようであった。人通りの少ない道をお遣い帰りと思われる5歳ぐらいの女の子が、四角い塩の入った袋を大人達と同じ様に頭に乗せて歩いている。その子の前を時折立ち止まって風景を眺めながら歩いていると、後ろから追い着いた彼女が「ハーイ」と声を掛けて来た。大人達と同じ様に。

 チェックアウトまでの1時間を利用してホテルの先にある ビッグ・ツリー Big tree へ行くことにした。レインボー・ホテル The Rainbow Hotel の前を素通りして黄色い砂埃の舞う舗装道路を10分程行くと、道は二又に分かれている。そこには国立公園の看板があり、右へ進むと目差す大木がある筈だった。更に5分程行くと目の前にサルの群れが現れ、たちまち行く手を塞がれてしまった。道路の両側には灌木が覆い茂り、辺りに人間は1人もいない。相手は20匹以上いて、どう考えても勝ち目はない。彼らが立ち去るのを待っていられる時間もない為、残念ながら引き返すことにした。二又のところまで戻ると青い目の中年夫婦に出会い、「サルに道を塞がれて引き返して来た」ことを伝えた。彼らも同じ目的で歩いて来たことを聞き、改めて3人で行くことにした。先程引き返したところまで来るとサルの群れは茂みの中に去り、無事通過することが出来た。そこから更に5分程歩くと、柵に囲われ警備のおじさんに見張られた推定樹齢1000〜1500年のバオバブの樹 ビッグ・ツリー Big tree が目の前に現れた。道すがら、ちょっと大きな木があると「これがビッグ・ツリーかな」などと言っていた3人であったが、目の前の大木を見上げて「まさにビッグ・ツリーだ」と口を揃えて感動した。互いに写真を撮り合い、道を真っ直ぐ進んで ビクトリア・フォールズ Victoria Falls まで行く2人に別れを告げ、1人で今来た道を引き返した。途中、幸いにも「誰」にも遭うことなく レインボー・ホテル The Rainbow Hotel に到着。

 チェックアウト後、ロビーでRositaを待つ。13時 (Tue, 25 May 1999 13:00 +0200)少し前に、2日前と同じ送迎車がホテルに迎えに来た。2人で乗り込み出発を待っていると運転手が不思議そうな顔をして後部座席の東洋人の存在を伺っている。このときになって初めて、Rositaの旅行予約には帰りの送迎も含まれていることに気付いた。無論、予約のない自分には乗り込んで良い理由がない。しかし、Rositaの10分にも及ぶ交渉の末に無賃乗車に成功。

 英国航空 British Airways Comair BA6282が ビクトリア・フォールズ Victoria Falls を離陸したのは14時30分 (Tue, 25 May 1999 14:30 +0200) 。上空から ビクトリア・フォールズ Victoria Falls が見られるのを楽しみにしていたが、隣の席の3歳ぐらいの女の子が、地上から遠ざかる窓の外の景色を見つめて泣き出した為に慌ててブラインドを降ろしたので、望みは叶わなかった。むしろ、通りかかる人が皆「かわいい!」と言ってホッペを突っついて行く子の隣に座ったことを喜ぶべきかも知れない。

 1時間半にフライトの後、ヨハネスブルク Johannesburg に到着。あらかじめ日本で記入してきた入国カード Arrival Form を提出して入国。Rositaの手荷物が出て来るのを待ってゲートに向かうと、出口の手前で制服姿のおばさんにパスポートの提示を求められ、宿泊先などを問われる。普通に受け答えしてその場を通過したところで、フランクフルト Franfurt 行きに乗り継ぐRositaと別れる。それと時を同じくして旅行会社の現地駐在員に日本語で呼び止められる。予定通り、その場で翌日以降の宿泊クーポンを受け取り、ここまで特にトラブルもなく来たことを伝える。そして空港内を案内してもらい、翌日以降の出着ゲートや両替所、郵便局、ファースト・フード店の位置を頭に入れる。今夜の宿泊場所である ホリデイ・イン・ホテル Holiday Inn International Airport に行く緑色のシャトルバスの出発口まで送ってもらい別れる。束の間の「日本語生活」は30分程で終わった。

  ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport の近くには2つのホリデイ・イン・ホテルがあり、国際線到着ゲート前から10分程度の間隔で出ている無料の送迎マイクロバスは、ホリデイ・イン・ホテル Holiday Inn International Airport が緑色、もう一つの ホリデイ・イン・ホテル Holiday Inn Gardencoat が白と色分けされている。緑色のマイクロバスに乗って約3分でホテルに到着し、受け取ったばかりのクーポン券を差し出してチェックイン。ここで、この旅で2度目となる英語によるコミュニケーション不能な事態に見舞われることとなった。結果的には「超過料金の請求の為、クレジットカードを事前に読み込んでおくので提示するように」ということだったが、理解するのに5分以上費やした。

 部屋へ行き荷物を置いて、再び空港へ向かう。両替所の隣の土産物屋で絵葉書を買い、それを持って郵便局へ行き、日本までの切手(R1.70 \35)を購入。ガイドブックで見て知っていたが、電車の描かれた横長の切手には金額が記されていないことを確認。代わりにあるのは「 AIRMAIL POSTCARD RATE 」の文字だけ。

 シャトルバスの発着場所近くの自動販売機で良く冷えたミネラルウォーター(R4.50 \90)を買ってホテルに戻る。この国(少なくとも ヨハネスブルク Johannesburg )の水道水は飲んでも問題ないと思われたが、せっかくのディナー(R70.00 \1400)をフイにしたくない為、常にミネラルウォーターを切らさずにいた。

 部屋のテレビで、テニスの全仏オープンでの日本人選手の活躍を見た後、1階のレストランへ行ってディナー。ウェイターに勧められるがまま、赤ワインと共に肉や卵料理を食べて満腹になる。スポーツチャンネルでテニスや、ルールの判らぬクリケットを見ながら眠りに就く。
 
 

〜〜〜 ビクトリア・フォールズ 絵葉書コレクション 〜〜〜





1999年5月26日(水)   26 May 1999 (Wed)         Home | Top

 レストランで朝食ビュッフェの後、8時30分 (Wed, 26 May 1999 8:30 +0200) のシャトルバスで ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に向かう。前日、下見した通りに国内線の 南アフリカ航空 South African Airways の「預け入れ荷物のない人専用カウンタ」でチェックインし約30分の待ち時間。この間に空港内郵便局の前にある大きな赤いポストに絵葉書を投函。続いて土産物屋とスーパーを散策。スーパーのレジ横の壁一面にフィルムが並べられているのを見た時、ビクトリア・フォールズ Victoria Falls での撮り控えを後悔した。

 搭乗開始時刻が近づき、50番ゲートを捜すが見当たらない。空港職員と思われる制服を着たおじさんに尋ねると「手荷物チェックカウンタの向こう側にある」とのこと。言われるがままにチェックを受けて進むと目指すゲートを発見。3日前と同様にバスに揺られること約5分。空港の外れに止まっているのは紛れもなく プロペラ機南アフリカ航空 South African AirwaysSA1201の5〜6段のステップを上って左右2席ずつのシートの端に乗り込み、窓からプロペラ機であることを再確認する。

 いよいよプロペラが回り始める。3日前のことを思い出し、悪夢の再来を予感する。短い助走から離陸すると案の定、左右にフラフラ揺れ始める。エンジン音に負けないほど大きなプロペラ音を伴って飛ぶプロペラ機。しかし、それ以降は予想に反して大きな上下動も小刻みな揺れもなく快適なフライト。ブリックパックのジュースとスナック菓子を食べている内に1時間が過ぎ、あっという間に スククーザ空港 Skukuza Airport に到着。

 藁葺き屋根の小さな空港に降り立ち、真っ直ぐ50m程歩くと、ガイドブックに載っていた 私営動物保護区 Private Game Reserve (Mala Mala , Sabi Sabi etc...)の看板の前にスタッフが並んでいる。LONDOLOZI の看板の前に立つ白人女性の前に進み名簿にチェックを受ける。

 全員のチェックが終わり 送迎用セスナ に案内される。8人ずつ分かれて搭乗する中、始めてのセスナでいきなり1番前の席、操縦席の隣に座ることになる。シートベルトを掛け、操縦士の自己紹介や注意事項の説明の後、いよいよ離陸。フラフラと揺れながら上昇し、すぐに水平飛行に移る。初めて真正面に見る 地平線 。約10分間、低空からのアフリカ大陸を堪能する。時折、地上に目をやり動物たちを捜すが見つからない。目の前に「長方形」が現れると共に機体は徐々に高度を下げ始めた。荒野の真ん中に現れた「長方形」は滑走路であった。毎日何往復もしているであろう操縦士のこと、難なく着陸すると、すぐ横に送迎車が近づいて来た。ガイドブックで見たサファリ用のランドローバーに乗り込み、いよいよ LONDOLOZI へ。強い日射しに暖められたアフリカの風を浴びながら一路 LONDOLOZI へ行くはずの車がY字路の手前で止まった。そこで待ち構えていたもう1台のランドローバーの運転手がこちらを指差して手招きしている。どうやら自分だけがメインキャンプ、他の2組はツリーキャンプへ行くらしい。たった5分間の旅仲間達に手を振り、一人 LONDOLOZIメインキャンプ main camp へ向かう。

 メインキャンプに到着し、絵葉書やガイドマップで紹介されている コテージソファ へ招かれる。そこで先程、空港で点呼を取っていた女性に書類を差し出されてサインをする。宿泊の注意事項を早口で説明されるが「分からない」ことを伝えると一瞬、落胆の表情を浮かべながらもすぐに気を取り直して「安全確保の為、部屋とこの場所以外へは行ってはいけない」とだけ何度も念押しされた。

 コテージから売店などを案内されながら50m程離れたところにある11号室へと案内された。ロッジという言葉から想像していた「何もないところ」というイメージとは明らかに違う豪華さに目を見張る。大きなベッドの両脇を始め、部屋のあちらこちらにある電球の数の多いこと。洗面所、シャワーブース、バスタブのそれぞれに真っ白な大小のタオルやバスローブ、石鹸にシャンプーまで置かれている。クローゼットには虫除けスプレー、ドライヤー、電源コネクタ変換器、マッチなどなど。ベッドの上には各種パンフレットにレターセット(何れもオリジナルの絵葉書、便箋、封筒)。そして手書きのメッセージカードが置かれていた。定評通りのサービスの良さを期待させる。一般的なホテルと比べて足りないものと言えばテレビとラジオと時計ぐらい。自分にとって音の出るもののない生活が何年振りになるのか考えてみたが、すぐには思い浮かばない。蚊取線香に火を付け、窓から部屋の外を一通り眺めた後、ベッドの上で天井を見上げて、昼食までの2時間あまりをどうやって過ごそうかと考える。どれだけ考えても思い付くことはない。どれだけ考えていても時間の歩みは遅い。頭の中を過ぎるのは、常日頃の時間に追われた生活のこと。そして、そうした生活から解き放された世界にいることを自分に必死に言い聞かせてみる。虫除けスプレーを体中に吹き付け部屋の外へ出る。冬なのに強い陽射しを浴びながらも湿度が低い為かそれほど暑くはない。鳥の声、風の音、子ザルが枝から枝へと飛び回る音、取り敢えず部屋を汚す前に写真に納めることにした。そして再びベッドの上で大の字になり「何もしない時間」を堪能する。

 13時30分 (Wed, 26 May 1999 13:30 +0200)、昼食の待つコテージへ。他にゲストの姿はなく、2人のウェイターに迎えられる。全部で10席程ある中、左奥のテーブルに通され腰掛ける。地上5m程に位置するコテージからは灌木の茂るアフリカの大地が一望出来る。遠くにはサンド川のせせらぎが、すぐそばには未だ若いシカが葉をついばんでいる姿が見下ろせる。ウェイターがスープを運んできて、「後はビュッフェ形式になっているので、どうぞご自由に」と伝える。ソーセージやサラダなど10種類以上が奥のテーブルに並んでいる。途中、風の香やせせらぎの音を食しながら、ゆっくり時間を掛けて一通り味わってみる。評判通りの持て成しと最高のロケーションがもたらす食事はどれも美味しい。食事を終えてからも、暫くコテージからの景色を眺める。コテージを包み込むようにそびえ立つ大木の枝から枝へと子ザルが飛び回る。ソファの後ろには色あせた白黒写真が何枚も飾られている。今はやらなくなったハンティングの様子や何処かの国の王族のお姫様の写真など50年の歴史が紹介されている。部屋へ戻る途中、売店に立ち寄る。Tシャツや本・ビデオ、民芸品などが狭い部屋中に所狭しと並べられている。電池やフィルムも常備されている。

 部屋へ戻りシャワーを浴び、プールに漬かり日光浴。アフリカの光と風に馴染んだような錯覚を覚える。15時を過ぎた頃、ゲームドライブの準備に取り掛かる。フィルムの残りを確認し、双眼鏡、ガイドブック、それに手袋。これらをバッグに詰め込みコテージへと向かうと、既に数人がアフタヌーンティーでくつろいでいた。15時30分(Wed, 26 May 1999 15:30 +0200)、予定通りランドローバーに乗り出発。最後部(最上部)右側に乗り込む。横にはうりふたつの黒人母娘、前2列には白人家族の御一行とドイツ人の叔父さん。それにドライバーとボンネットの特別シートに座るスタッフと合わせて満席のドライブとなった。

 まだ陽射しの強い中、暖かな風を浴びながらタイヤの跡が深く刻まれた道を上へ下へと揺られながら、ジェットコースターさながらのドライブが続く。遠くにサイやシカの類を眺めながら進むうちに陽が沈む。3日前、ザンベジ川に沈んだのと同じ太陽がクルーガー国立公園の地平へと沈んで行く。辺りが薄暗くなった頃、大きな木のそばにたたずむ1頭のキリンを発見。このドライブで最初の大物登場である。車はエンジンを止め、人々は10m程先にいる彼を見上げている。彼はゆっくりとした歩みの途中途中で大木の葉をついばむ。そばで見守る人間に気にする様子はない。エンジン音にもカメラのフラッシュにも動じる気配はない。約10分、彼との一時を過ごし、ドライブを続ける。ゲームドライブの基本は「BIG5 (ゾウ、ライオン、バッファロー、サイ、チーター) を追うこと」とガイドブックにある。実際、特別にリクエストでもしない限り、シカ・ネコ・ウサギの類やの鳥類といった小動物は軽視される傾向にある。少し進むと、今度は闇の中の1頭のゾウを発見。やはり10m程の距離を置いて彼の行動を見守っていると、突然大きな声で吠えた。大声を聞いて改めて近くにいることを実感した。

 ドライバーが無線で交信し、進行方向を変えてスピードを上げた。暗闇に包まれた中、遠くの方に車のライトが幾つか見えて来た。近づくと車は道の端に並んでいる。そして道の真ん中を闊歩しているのは数頭の ライオンの群れ であった。スタッフの照らす強力なライトと人々の視線を浴びる中、百獣の王は動じることなく歩き続ける。暫くすると、突然立ち止まって、まるで人間達を見物するかのように、こちらを向いて座り込んだ。そして圧巻は、カメラ目線の彼らをの姿を人間達がカメラに納めたのを見定めたかのように、大地に響き渡る大きな遠吠えを聞かせてくれた。おもむろに立ち上がり再び歩き出した彼らを見送り、収穫の多いドライブを終えロッジに戻る。

 ロッジに戻り車を降りると懐中電池鵜を持ったセキュリティスタッフが数人待ち構えていた。彼らは手分けして各部屋へ送り届け、更にそこからディナーの待つ中庭へと送り届けてくれた。ディナーの準備が出来るまで中庭の手前でワイングラスを片手に待っていた。そこには70年以上まえからあるという小屋が有り、コテージと同様に歴史を物語る写真の数々が展示されていた。

 準備が整い中庭へ通される。竹垣に囲われ中央に焚き火の燃え立つ中庭には細長いテーブルが一列に並んでいる。焚き火の近くのテーブルにはコックが肉を炭火で焼いている。ここもビュッフェ形式になっており、肉も野菜も好きなだけ胃袋に納められる。手元にはガス入りとガス抜きのミネラルウォーター、それに赤ワイン(アルコール類は別料金)のグラスが並んだ。テーブルには昼間見掛けなかったスタッフも数多く座っていた。隣に座った女性スタッフは、我々との会話は英語だが、スタッフ同士の会話は不思議な響きを持つ言葉で喋っている。聞くと、それはスーズー語だという。ガイドブックにはアフリカーンス語と書かれているこの言葉は、南アフリカがイギリスから独立する際、公用語の座を英語に譲ったそうだが、今でも南アフリカ社会に根付いていることを伺わせる。食事も会話もだいぶ進んだ頃、突然アトラクションが始まった。先程通ってきた小屋の方から調理や給仕のスタッフを中心にした十数名が「Londolozi Londolozi」と繰り返し歌い踊りながらやって来る。太った体から大きな張りのある声で歌うおばさんを先頭に何人かが打楽器を持って中庭に入って整列した。そして一人ずつ踊りながら、自己紹介の歌が始まった。最後に「落ち」を決めつつ10人以上の陽気なスタッフの「持ち歌」の披露が終わるとそのままダンス大会へと流れ込んだ。黒人スタッフがリズミカルな演奏に乗って、爪先立ちで細かなステップを踏む。隣の女性スタッフはどうやらここのダンシングクイーンらしく、周りのスタッフに促されて途中から参加。その頃から徐々にボルテージがあがり演奏もテンポアップ、ダンサーもヒートアップしてゆく。拍手と喝采の中、焚き火と共にエキサイティングなアトラクションも終わりを向かえ、皆部屋へ戻っていった。セキュリティスタッフに連れられて部屋に戻ったときには10時30分(Wed, 26 May 1999 22:30 +0200)を回っていた。赤ワインで目も回っており、翌朝に準備もしないまま深い眠りに就いた。
 
 

1999年5月27日(木)   27 May 1999 (Thu)         Home | Top

 3時半頃(Thu, 27 May 1999 03:30 +0200)目が覚める。さすがに早過ぎると思い再び眠りに就こうとするが、思い通りには行かず4時過ぎにはベッドを出る。ドアを少し開けて耳を澄ますが、期待していた声は聞こえて来ない。ガイドブックに書いてあったライオンの遠吠えである。ドアを半分開け網戸を通して聞こえるようにしてベッド戻り、来るかどうか分からないその時を待つ。外がだんだん白みかけてきた頃、遥か彼方から百獣の王の声が響き渡った。外気はさほど寒いとは思わなかったが、窓のない車でのドライブを考えてジャンパーにライナーを取り付け、ポケットに手袋を入れる。5時半(Thu, 27 May 1999 05:30 +0200)にセキュリティが起こしに来た時には出発の準備は既に整っていた。6時(Thu, 27 May 1999 06:00 +0200)にコテージへ行き、熱い紅茶と手作りクッキーを手に同乗者を待ったが、結局現れたのはドイツ人のおじさんだけでスタッフ2人と合わせて4人での出発となった。

 不本意ながらもドライバーのガイドを聞いても理解出来ないと決め込み、全部で4列あるシートの最後尾(最上段)に乗り込む。まだ薄暗い大地を慣れた運転で車は走る。日の出前 のドライブは予想通り寒かったが、それでも10度弱ぐらいで東京の冬と比べたら大したことはない。車に用意された膝掛けと風を遮るジャンバーと薄手の手袋があれば十分であった。早速ヒョウや キリン に出会う。シカやウサギの類にも何度か出会ったが、それらの顔と名前を一致させることはなかった。手元のガイドブックに目をやるよりも通り過ぎる景色に目を向けた。一眼レフカメラを自在に操るドイツ人のおじさんを羨みながらコンパクトカメラとレンズ付きフィルムで動物達を追った。

 陽が昇り 、辺りの空気が急に暖かくなり始めた頃、ドライバーが無線で本部と交信し、ある方向へ進路を変えてひたすら車を走らせた。20〜30分後に目の前に現れたのは「危険」と書かれた フェンス沿いの道 を歩く12匹の リカオンの群れ であった。ドライバーによるとクルーガー国立公園一帯に300匹しかいないと言われる程まで激減しており、彼自身初めて見ると言う。日本のガイドブックにも「絶滅の危機に貧している」と書かれている。人間の住む区域との境界に張り巡らされた高圧電流の流れるフェンス沿いの道を歩く リカオンの群れ を、数台の車が前後に場所を変えながら追って行く。彼らは時折、草むらでジャレ合ったり、灌木に登ったり、フェンスに触れて(電流に驚いて)「キャイン、キャイン」と吠えてみたりしながら、ひたすらひとつの方向に歩いて行く。2時間近く彼らと共に過ごしロッジへ向かう途中、小走りで通り過ぎて行った サイ を見送った後、この旅で最もエキサイティングな思いをした。灌木をなぎ倒しながら食事に精を出す一頭の ゾウ 。車を止めて眺めていると何を思ったか、こちらへ 向かって歩いてくる。ドライバーは慌てることなくエンジンを掛け、10mほど前へ出る。 は何事もなかったかのように真っ直ぐ進み立ち去っていった。

 ロッジに戻り部屋に荷物を置くと、すぐにコテージへ行き朝食。このロッジの絵葉書に使われているコテージの最前列から、眼下に草をついばむシカを、200m程先にはサンド川の流れを眺めながら、卵や色々な味のソーセージを食べる。コテージ脇の木の上からサルの視線を感じつつも、この場所の時の流れに合わせてゆっくり食事を進める。途中、一人のウェイターから日本語を教えて欲しいと頼まれ、「Ohayo、Oishii、arigato」などを教える。部屋へ戻り昼食までの2時間半、プールとバスタブに交互に漬かりながら過ごす。冬とは言え日差しは強く肌が痛い。双眼鏡を片手に木立を行き交う子ザルを追う。車の行き交う音も人々の声もしない。アフリカの風の音だけが鼓膜に心地好く響く。

 13時30分(Thu, 27 May 1999 13:30 +0200)、昼食の待つコテージへ行くと覚えたての日本語で迎えられる。絵葉書に載っている景色と同じく大きな日傘の下で食べるソーセージ、サラダ、野菜スープなどは、決して「地元の味」というわけではないのだが何故か美味しく食べ進み、ウェイターに勧められるまま次々と胃袋に収まる。食事の後、部屋に置いてあったパンフレットに目を通していると、ここ以外にもアフリカ諸国に同じ様なロッジが沢山あることを知る。言うまでもなく旅心をくすぐる。便箋を取り出し、ウェイターに教えた日本語をローマ字で綴り、封筒に入れて翌日の朝食の時に手渡すことを企てる。この旅の随所で書いてきた自分宛の絵葉書を書こうとしたが、アフタヌーンティーの時刻が近づいて来た為、ナイトサファリの準備に取り掛かる。

 コテージへ行き、サンド川を眺めながら紅茶とクッキー。今回の同乗者はインドから来た小学生の兄妹を連れた4人家族とテキサスから来た老夫婦、それに前回までとは違うスタッフと共に9人で15時30分(Thu, 27 May 1999 15:30 +0200)、予定通り出発。まず、早朝と同じく フェンス沿いの道 へ行き リカオン を追う。数台のサファリカーに混じってカメラクルーも出動しており、改めて珍獣に出会ったことを思い知る。しかし、朝夕で3時間も見ているとさすがに飽きる。1時間程でリカオンから離れて更なる珍獣を求めて荒野を突き進む。しばらくすると無線で連絡が入り、食事中のチーターの元へ急行する。到着したときには、木の上で獲物の一部分を食している真っ最中であった。一通り食べ尽くすと木から降り、今度は木の根元で残りの部分を食べ始めた。カメラクルーが強いライトを浴びせる中、何食わぬ顔で食べている姿を10m程の距離を置いて眺めていた。途中、日の暮れた真っ平な大地でワインを片手に休憩。

 同乗したテキサスのお婆さんは、これまでにもケニヤやタンザニアでゲームドライブをしてきたのだという。今はコンパクトカメラを手にするお爺さんもきっと若い頃には銃を片手にハンティングの経験があるのだろう。一方、インド人家族のお父さんは途中の休憩時間にもドライバーにあれこれ熱心に訊ねている。長時間のドライブに少々飽き気味の兄妹をなだめるお母さんからは「日本人が一人旅をするなんて珍しい」とか「日本の学校は英文法ばかり教え英会話を教えることは少ない」など実に的を射た日本人観を聞かされた。赤ワインを飲み干した頃には辺りはすっかり暮れ、暗闇に包まれようとしていた。スタッフが強力なハンディライトで遠方を照らしながらナイトサファリは続いた。

 4時間近いドライブを終え、ロッジの駐車場から懐中電灯を手にしたセキュリティスタッフに連れられ部屋へ戻る。荷物を置いて手を洗って、部屋の前で待つセキュリティスタッフに再び連れられ夕食の待つ中庭へ。途中、隣室のインド人家族の元へ立ち寄り彼らを待つが10分経っても出て来ない。セキュリティスタッフと「これがインド人の時間感覚かな」と笑っているとようやく現れた。この日の夕食は前日とは異なり、焚き火を囲んでの静かなものだった。スタッフも少なめで、例のダンス大会もなし。おそらく別のキャンプへ行ったのだと思うが、2つの全く別のディナーを体験できたのは幸運なのかもしれない。少人数であるだけに会話は弾み、インド人のお父さんは子供の教育方針らしきことを力説している。その時、当の子供達は長時間のドライブで疲れたのか、食事もそこそこにお母さんに連れられ部屋へ引き上げた後だった。顔馴染になったスタッフが隣に座ったとき、ワイングラスを片手に、彼らスタッフの生活を訊ねてみた。すると彼らはロッジに隣接する宿舎に寝泊まりし、6週間働き2週間休むのだという。また、ここへ来る前に ビクトリア・フォールズ Victoria Falls へ行ったことに話が及ぶと、彼もスタッフ仲間と共に訪れたことがあるそうで、更に聞くと レインボー・ホテル The Rainbow Hotel に泊まって民族音楽を聞いたのだという。焚き火の火が弱まりはじめ、2度目のディナーが終わる。部屋へ戻り、翌日の準備もせずにベッドへ潜り込む。
 
 

1999年5月28日(金)   28 May 1999 (Fri)         Home | Top

 この日の目覚めも4時30分(Fri, 28 May 1999 04:30 +0200)。早くも最終日を迎える。眠りの続きが無いことを悟り、ベッドから出て4回目のドライブの準備を始める。そして、チェックアウトに向けて蚊取線香や着替えなどの荷物をまとめる。一通り終えた頃、昨日書きかけだった自分宛の絵葉書を書き上げたところでモーニングコールのセキュリティスタッフを迎える。6時(Fri, 28 May 1999 06:00 +0200)にコテージに行くとテキサスのお爺さんが1人でコーヒーを飲んでいた。腰の悪いお婆さんは留守番らしい。紅茶を飲みながらサンド川を眺めているとインド人のお父さんが現われ合計3人、スタッフと合わせて5人で最後のドライブに出発した。
 今回はお爺さんのリクエストにより鳥を中心に追うこととなった。過去3回と異なり、比較的平坦な草原の小道をひた走る。何度となく速度を落として指差す先にいる鳥の名を語り、自分のガイドブックを片手にその鳥が載っているページまで言い当てるドライバーに感心しながら穏やかに時が過ぎてゆく。双眼鏡で見ると確かに美しい鳥達だが、コンパクトカメラに納めるにはあまりに遠くて小さい。2時間近く数多くの 鳥達シマウマキリンイボイノシシ などを遠目に眺めた後、車は 灌木の中突き進み数頭のサイ を追った。彼ら は地面の草を啄ばみながらひたすら真っ直ぐに進む。前日見たサイは小走りだったが、今回の 3頭 の歩みは遅い。ドライブの最後に池のほとりで カバ を発見。4回目で初めて水辺の動物に遭遇して締めくくった。

 ロッジへ戻り、最後の食事もいつものコテージの左端の席に就く。既に陽射しが強く、フルーツジュースや野菜スープを相次ぎ飲み干す。食事の途中、傍らに立ったいつものウェイターに昨日書いた「日本語の挨拶言葉」を綴った便箋を封筒に入れて手渡した。食事を終えコテージ手前のソファーでチェックアウト。料金の差額を精算はクレジットカードでもよかったのだがランド紙幣の手持ちが多かったこともあり現金で支払った。
  ・スククーザ空港利用税
  ・ワイン
  ・物品税(VAT)
前払料金の中には100R(\2000)のプールがあったらしく、支払ったのはその差額分であった。11時(Fri, 28 May 1999 11:00 +0200)に出発することを告げられ、残った僅かの時間と所持金で最初で最後の買い物に売店へ向かう。前日、目を付けておいた「Londoloziの70周年記念写真集 『 I SPEAK OF AFRICA 』(R342.00 \7000)」と「オリジナル絵葉書(R7.00 \140)」を数枚、現金で購入。現金が足りなかったため、米ドルのt/cを事務所でランドに交換し現金で支払った。ゲームドライブの模様を納めたオリジナルビデオを何度も手に取ったが結局1本も買うことはなかった。

 いよいよ出発の時刻。数人のスタッフに見送られ、ドライバーと2人でランドローバーに乗ってセスナの待つ滑走路へ。2日前に初めて見た景色も都合6回目となるドライブ。天候により、時間帯により表情を変えるアフリカの大地もこれで見納め。アフリカの大地の香を感じるのもこれでお終い。セスナに荷物を乗せドライバーと握手して別れを告げる。3日間の楽しかった思い出、立ち去り難い思いをうまく伝えられないことをこの時ほど悔やんだことはない。休暇でロッジを離れる2人のスタッフと共にセスナに乗り込み、いよいよ離陸。車輪が地面を離れる付近に車を止めて手を振るドライバーに、機内から手を振り、 LONDOLOZI での極上の3日間は幕を閉じた。約10分後に スククーザ空港 Skukuza Airport に着き、操縦士にに別れを告げて搭乗手続の為、空港の中に入る。1周50m程のリング状の小さな空港には搭乗カウンターが2つ。他には売店とゲームドライブのビデオを流している観光案内所のような待合室があるだけ。

 南アフリカ航空 South African Airways のプロペラ機が到着するまで空港の周りを散歩しようとしたが、辺りには柵しかない。空港の外にはベンチが5つ程あり、空いている所へ座って待つことにした。取り敢えず荷物だけ置いて、ポケットからカメラを取り出し、近くにいたどこかのロッジのスタッフらしき女性にシャッターを押してもらう。ベンチに腰を降ろすと隣の席の老人が、付近にいる数十人のなかで唯一の東洋人に向かって質問を浴びせてきた。「何処から来たのだ」、「日本から」と答えると「東京か」、「日本からは何時間掛かるんだ」、矢継ぎ早の質問に辛うじて答えているうちにプロペラ機が到着。各地の 私営動物保護区 Private Game Reserve のスタッフ達が来客を迎える光景を目にし、アフリカの大地の素晴らしさを何も知らずにこの空港に降り立った2日前の自分を重ね合わせてみた。僅か2日前の出来事が遠い日のことのように思う。

 搭乗が始まり、再び乗るプロペラ機はほぼ満席ながら最後尾の席に一人で座る。離陸後、間もなく軽食が配られる。大柄な白人男性パーサーの手際の良さが目を引く。「サファリはどうだった?」「SabiSabiかい、MalaMalaかい?」などと話し掛けて来るテンポも小気味良い。残った数枚のフィルムで機上からの景色を撮る。離陸後暫くは山林が続き。 ヨハネスブルク Johannesburg が近づくにつれ家屋が目立ち始める。郊外には庭付き車庫付きプール付きの一軒家が立ち並ぶ。1時間半程で無事に ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に到着した。
  ※ 南アフリカ航空 South African Airways には「Sky Check」という手荷物の簡易預け入れ制度があり、搭乗ステップの手前に置かれたトレイに少し大き目の手荷物を乗せると到着時、同様にトレイから受け取ることができる。

 国内線の為、何のチェックもなく到着ゲートを通過し、歩き慣れた ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport から再び ホリデイ・イン・ホテル Holiday Inn International Airport へ。14時30分(Fri, 28 May 1999 14:30 +0200)にチェックイン。前回理解出来ずに苦しんだクレジットカードの件も難無くクリアし、前回と同じ4階の部屋へ。荷物を置き、時計と財布とガイドブックを手にして残された「最後の半日」の予定を考える。時間と治安を最優先に出した結論は「タクシーで サントンシティ Sandton City へ」。早速、巾着袋にカメラと財布とガイドブックを入れて身仕度完了。ロビーでポーターにタクシーを捜していると伝えると、近くのスタンドバーで談笑している太った叔父さんを呼び寄せ、「彼に連れて行ってもらい、帰りもここまで送り届けてもらえばいい」と勧められる。15時30分(Fri, 28 May 1999 15:30 +0200)、言われるままに太った叔父さんの後につき、ロビーを出てすぐの所に無造作に止められた普通の乗用車に乗り込む。動きはじめるとすぐにガソリンの匂いがしはじめた。日本から来たことなどを話していると「この車も日本製 TOYOTA だ」「ワイパーは動かないんだ」などと明るく話し掛けて来るが、半分程しか理解出来ない。暫くして料金メーターの無いことに気付き、念のために「料金は?」聞いてみるがよく分からない。彼いわく「今日は金曜日だから店は17時で閉まるんだ」とのこと。 サントンシティ Sandton City の7階部分に相当する駐車場に到着したのは30分後のこと。彼は「この場所が16番出口であること」と「17時までの1時間ここで待っていること」を伝えて送り出してくれた。

 友人から貰った北海道土産の巾着袋を1つ持って入った サントンシティ Sandton City は広く豪華なショッピングセンターで、ブランドショップの他に銀行やファーストフード店などが並んでいる。東京で言うなら池袋のサンシャインシティ(ワールドインポートマート)のような感じ。ここにはスーパーや娯楽施設もあるらしく、擦れ違うのは観光客や地元の買物客よりもビジネスマン、OLや学生の方が多いように感じた。連絡通路でつながった隣の サントンスクエア Sandton Squair との間を行ったり来たりしながら土産物屋を探す。あまりの広さに苦労しながら、やっとのことで民芸品などを売っている店を2軒探し当て、バッグに押し込めそうな小さな木彫りの動物などを買う。本屋に入り地図を見ていると、あっと言う間に1時間が経ち、後ろ髪を引かれる思いで太った叔父さんの待つ駐車場へ向かう。

 車内で居眠りする太った叔父さんを起こして隣に乗り込む。乗ってすぐに「手持ちのランド Rand を使い果たしてきた為、空港へ行って米ドルのトラベラーズチェックの両替と、買い物の続きをしたい」と伝え、帰路の目的地を ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に変更した。夕闇迫るフリーウェイをワイパーの動かない日本車は時速120kmで走る。道幅が広く直線が多いこともあり、ガソリン臭いことを除けば比較的快適なドライブである。空港の駐車場で一人車を降りて、両替を済ませて往復の料金(R290.00+10.00 \6000)を運転手に手渡し、その場で別れる。空港へ戻って国際線到着口の上にあるファーストフード店でハンバーガーとサラダとポテトのセット(R14.00 \280)を、シャトルバスの発着所の手前で自動販売機のミネラルウォーター(R4.50 \90)を買い込み、18時30分(Fri, 28 May 1999 18:30 +0200)ホテルに戻る。早朝のドライブに始まり、セスナ、プロペラ機、タクシーと移動の多い一日を終え、食欲の乏しい体に軽めの食事を与える。食後、ホテル1Fの土産物売店で絵葉書と布製の壁飾りを買い込む。翌日の出発に備え、土産物をバッグの奥にしまい込み、アフリカでの最後の眠りに就く。
 
 

 〜〜〜 LONDOLOZI -Private Game Reserve- 絵葉書コレクション 〜〜〜






1999年5月29日(土)   29 May 1999 (Sat)         Home | Top

 いよいよアフリカ最後の朝。とうとう最後まで早起きを貫き通し、日課となった絵葉書を書き始める。3日前に買った切手は「日本間での絵葉書10枚分」と言って17ランド(R17.00 \340)支払い、「AIRMAIL POSTCARD RATE」を10枚と「30c」を10枚手に入れた。つまり「AIRMAIL POSTCARD RATE」は1枚あたり1.4ランド(R1.40 \28)ということになる。しかし金額表記がないのだから「AIRMAIL POSTCARD RATE」だけでも届くのではないかと思い、何人かの友人へは購入価1.4ランド分の切手だけを貼って送ってみた。(帰国後、暫くして確認したところ全て届いていた。)絵葉書を書きながら、徐々に明るさを増してゆく窓の外の道路や空港の景色を撮ってフィルムを使い切る。

 レストランで朝食。フルーツジュースと熱い紅茶をここぞとばかりに飲みまくる。窓の外にはプールがあり、プールサイドでは小旗が風になびいている。空の色は今日も一面水色。出発前には旅行会社の現地スタッフから「雨が多く朝晩は寒い」と聞かされていたが、結局最後まで雨には降られなかった。午後の便までは時間があったが外出するには足りない。財布の中のランド紙幣を数えながらロビーの脇にある売店を隅々まで眺めて、かさばらない布製品だけを選んで購入。部屋に戻って最後の荷作りに取り掛かる。この旅の出発前の目論見ではTシャツやカッターシャツ、それに下着類は使い捨てのつもりで古いものばかりを持った来たのだが、 ジンバブエ の貧しい子供達の姿と LONDOLOZI でのそのまんまの大自然の姿を見て、「捨てる」ことが出来ず、ここまで全て持ち続けてきた。しかし少ないながらも購入した土産物と引き換えにバッグに入り切らない下着類はここでようやくゴミ箱行きとなった。

 12時(Sat, 29 May 1999 12:00 +0200)に部屋を後にしてフロントへ。ロビーは閑散としており、一人で切り盛りしているフロントマンとチェックアウトの手続きをしていると、朝食の時に隣の席にいた東洋人の中年女性が割り込んできて流暢な英語でフロントマンに語り掛けた。「xx時の飛行機に乗るには、ここをyy時に出て間に合いますか」との問い掛けにフロントマンが「No Problem」と答えると「No Problemね」と言いながら立ち去って行った。前日の サントンシティ Sandton City でも日本語で喋りながら歩く「買い物ギャル」2人組みと遭遇したが、何処へ行っても日本人はいるものだと改めて思い知った。結局のところ、9日間の旅で日本人と一度も会わなかったのは3日だけであった。

 無事にチェックアウトを終えて何度となく利用した緑色のシャトルバスに乗り込み ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport へ向かう。国際線出発ゲートには シンガポール航空 Singaporeairlines のカウンタがクラス別に3つあり、右端のエコノミークラスの列に並ぶ。10人程の短い列なのに暫く待っても前へ進まない為、列から離れて3つの窓口を遠目に眺めるとエコノミークラスのカウンタだけがトラブルの様で列が全く流れていない。試しに誰も並んでいない左端のファーストクラスのカウンタに近づくと、中国系の顔立ちをしたシンガポール航空の社員らしき男性が20m後方を指差して「先に手荷物検査を受けて下さい」と言うので、今度は各社共同の手荷物検査の列に並ぶ。検査を終えた時にはエコノミークラスのカウンタの前に列はなく、他の2列にだけ並んでいた。

 チェックインを済ませ、同時に大きい方のバッグを預けて身も心も軽くなり、搭乗までの1時間を空港内での最後の散歩で過ごす。売店へ行き、国内外を問わず旅の日課としている「地元の新聞」を購入。他にも買いたい物はあったが、財布の中のランド紙幣の額を見て殆どは諦める。13時45分(Sat, 29 May 1999 13:45 +0200)、搭乗手続を終えて シンガポール航空 Singaporeairlines SQ405へ。14時30分(Sat, 29 May 1999 14:30 +0200)、数々の思い出を胸にアフリカ大陸を飛び立つ。離陸後、早々に機内食にありつく。12時間弱のフライトの間に出された3回の機内食は殆ど残すことなく食べ尽くしていた。

 離陸後1時間程たった頃、位置的には マダガスカル Madagascar の上空を通過した辺りで、手元にある受話器で東京の知人へ電話することを思い立った。機内放送のリモコンと任天堂ゲームのコントローラとの兼用である受話器は、側面部がカードリーダになっている。往路の機内誌で操作手順は確認していたので、クレジットカードと電話番号を書いた紙を取り出して早速ダイヤルすると、20〜30秒程で呼出音が聞こえた。日本は今頃、土曜日の夜11時(Sat, 29 May 1999 23:00 +0900)を過ぎた頃。まだ眠ってはいないだろうと思いつつ待つと、聞き覚えのある声が耳元で聞こえた。 マダガスカル Madagascar の上空から掛けている、と言うとさすがに驚いた様子だったが、通話料が気になり旅の話題に至ることなく3分程で会話を終えた。(帰国後に届いたカード会社の請求書は米ドルで18.17ドル($18.17 \2200) だった。)
 
 

1999年5月30日(日)   30 May 1999 (Sun)         Home | Top

 シンガポール空港 Singapore Changi Airport に到着したのは早朝の6時20分(Sun, 30 May 1999 06:20 +0600)。往路では7時間の乗り継ぎ時間であったが、往路は2時間半。それでも、先ずはトランジット・ホテルのシャワーへ。8時頃から売店も開きはじめ、絵葉書(S$0.60 \50)を1枚だけ購入。この旅で4回目となる自分宛の絵葉書を投函(S$0.70 \55)。皮肉にも、最後に書いたこの1枚が真っ先に到着することになる。ミネラルウォーターを買い、1週間前にここで購入したマラリアの予防薬を飲む。搭乗まで残された僅かの時間を広く静かなトランジット・エリアのベンチから行き交う飛行機を眺めて過ごす。

 定刻に搭乗が始まる。空港内は冷房が利いており快適だったが、 シンガポール航空 Singaporeairlines SQ012の機内へ向かうタラップでは一瞬外気に触れることが出来る。搭乗口の手前の僅かな隙間から入り込む外気は朝9時(Sun, 30 May 1999 09:00 +0600)だと言うのに異様に暑い。偶然目に入った温度計が41度を示しているのを見て目を疑ったが、赤道の近くにいることを思えば決して不思議ではない。

 最後のフライトは最後尾の2列シートに座る。ここからは客室乗務員にも日本人が加わり、機内アナウンスも英語と日本語になるため何故か拍子抜けしてしまう。搭乗者名簿を持った乗務員が前へ後ろへと慌ただしく行き交う。乗客が足りないのか多過ぎるのか、理由は定かでないがなかなか離陸しない。今回は何事もなかったが、トラブルが起きた時のことを思うと日本語の分かる乗務員の存在は有り難い。結果的に1時間以上遅れての離陸だったが、この旅が1時間伸びることになり、なぜか得をした気分になった。

 離陸して暫くしたところで、この旅で唯一の英語の聞き違い(大半は聞き違い以前の問題で理解出来なかったのだが)を侵す。前方の席で機内食が配られ始めた頃、外国人の乗務員が近くに来て「meel」が何やらと言うので、機内食がどうこうしたものと思い「Yes」と答えた。すると目の前に現れたのは「ビール」だった。御丁寧にも日本人には「beer」のことを「びいる」と言うらしい。それから30分以上して後方の席に機内食が配られた頃には、キリン・ラガービールの空缶が1つ出来上がっていた。

 18時30分(Sun, 30 May 1999 18:30 +0900)、 成田空港 Narita Airport に無事到着。預けた荷物を受け取り、リムジンバスの発着所に向かう。19時30分(Sun, 30 May 1999 19:30 +0900)、リムジン出発。空港で受け取った検疫所のチラシに目を通し「6日以内に発熱ウンヌン」のフレーズを読んで、「この先4週間マラリアの予防薬を忘れずに飲まなければいけない」と心に誓う。睡魔と戦いながら新宿に到着。通勤定期を取り出し、ケータイの大好きな人達に混じっていつもの電車に乗って家路に就く。
 

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