白い丸いティーポットを用意して。
紅茶の葉はドザール(茶さじ)に人数分、そしてプラスもう1杯。
お湯は、空気をたっぷり含んだ汲みたての水を沸騰させて。
それから茶葉を踊らせるようにポットに勢いよくお湯を注ぎ込む。
3分の砂時計をひっくり返して、そして待つ。
さらさらと、規則正しく静かに流れ落ちる砂を見ながら。
tea for me
tea for you
tea for a pot
そっと呪文を口ずさむ。
美味しい紅茶を飲むために待つ少しの時間。 あなたは何を考えて、その時間を過ごすのでしょう。
◇ ◇ ◇
カラン、とドアに付けてあるベルが鳴る。
「あの……、もう閉店ですか?」
中をうかがうように店の中に入ってきた少女は、おずおずと店内にいたウェイトレスに声をかける。
グレーを基調にしたセーラー服。紺色の大きなリボンがふわりと胸元で揺れている。手には紺色の学生鞄をひとつ。サラリと肩より少し長い髪が流れ、大きめな瞳が印象的な愛らしい少女。
木製の背の高い棚にカップを並べていたウェイトレスは振り返り、少女と目が合うと、にっこりと微笑む。
「いいえ。お好きなお席へどうぞ」
柔らかなその笑みに、少女はドキリとする。
思わず見とれてしまうほどの、美しい笑み。綺麗、と言う言葉が本当に似合う。
ゆるやかに波打つ薄茶の髪を首の後ろでひとつに束ね、襟と袖口に白いレースを使用したワインレッドのロングワンピースと白いエプロンを身に付けたウェイトレス。
他の喫茶店ではあまり見たことのない格好だった。
アンティークな感じの家具を使用している店内。木製の丸いテーブルに白いテーブルクロス乗せ、その上に青いテーブルクロスを重ねている。
明るすぎず、暗すぎることもないほのかな明かりが灯っている。
まるで外国の物語にでも出てくるような、そんな現実離れしたものを感じる喫茶店だった。
店の一番奥にある大きな柱時計が、静かに7回鳴った。
「お好きな席へどうぞ」
立ちすくんでいた少女に、ウェイトレスは促す。
「は、はい」
少女は慌てて返事をして、そして窓際の席に着いた。
初めて入ったお店。大通りから1本脇道に入っただけなのに、今までこんなお店があるのには気づかなかった。
友達とよく行くようなファーストフードの店にはないしっとりとした不思議な雰囲気。
高校生の自分が入り込んではいけないような、そんな気持ちになってくる。
なんとなく、知らない空間に迷い込んだようで、落ち着かなくて緊張する。
「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」
「あ、すみません」
少女は妙にかしこまってメニューを受け取った。
「のちほど、メニューを伺いに参ります」
水の入ったグラスを1つ置いて、ウェイトレスはカウンターへと戻って行った。
少女は自分を落ち着かせるためにグラスの水を一口飲んだ。
特別味のないただの水のようなのに、ほんの少し甘く香るのは何故だろう。
やはり落ち着きを取り戻すことができない。今までに感じたことのない緊張感。でも不思議と悪い気分ではなかった。
少女はひとつ息を吐いて、メニューを見た。その瞬間、少女を驚いた。
見開きのメニューには、ずらりと紅茶の名前が並んでいる。外の看板に『紅茶専門店』と書いてあるだけのことはある。
少女は上から順に目を通す。
ダージリン、アッサム、ニルギリ、セイロン。
アップル、ピーチ、グレーププルーツのフレーバードティーもいろいろ。サクラというのもある。
ストレートティーの他に、ミルクティー、ちょっとだけ大人なカクテルティーも。
ホットに、アイス、これだけの種類があるとなかなか決められない。
どれにしようか迷っていると、ふと少女の目が止まった。
「お決まりになりましたか?」
オーダー表を手にしたウェイトレスが少女に訊く。
「あ、あの、このお茶はどんなお茶ですか?」
『夢のしずく』
メニューの一番最後にそう書かれたところを少女は指差す。
「それは当店のオリジナルブレンドティーでございます」
柔らかな笑みを向けながら、ウェイトレスは答えた。
数多くメニューにある紅茶。他にも飲んでみたいと思うものはあったけれど、少女は何故かこれが気になった。
「じゃあ、このお茶お願いします」
「かしこまりました」
ウェイトレスは軽く一礼して、メニューを下げた。
少女の他に客のいない店内。ふと少女は静かにピアノ曲が流れているのに気がつき、それに耳を傾けた。
邪魔にならない程度の音量。
聞いたことのあるような曲。どこか懐かしさを感じる。
そう感じた瞬間、少女は大きなため息をついた。先月彼と一緒に行ったコンサートで流れていた曲だったのを思い出した。
初めて行ったクラシックのピアノコンサート。
あの日、何故か彼はそのコンサートチケットを持って誘いに来た。
高校の時は一度としてそんな気取ったことなどしたことなかったのに。
今は思い出したくはない人の顔をが思い浮かぶ。
一足早く大学生になった彼。その日は何故か彼が遠くに感じた。
この日からではなかっただろうか。
急に忙しいと言って、なかなか会ってくれなくなったのは。
少女は再び大きなため息をついた。
「お待たせいたしました」
ウェイトレスは白いティーポットと白いティーカップをテーブルの上に並べる。そして最後に砂時計を置いた。
「この砂時計が全て落ちたらお飲みください。では、ごゆっくりどうぞ」
一礼するウェイトレスに、少女も軽く会釈する。
それから少女は砂時計に目を移した。
薄いクリーム色の砂。
さらさらという音がまるで聞こえてくるように、そっと落ちていく。
ゆっくりと静かに……。
さらさらと……。
さらさらと……。
◇ ◇ ◇
ハッと気が着いた時、少女は街の中にいた。鞄も何も持たずに、いきなり放り出されたかのように、道路にたたずんでいた。
「……なんで?! 私は紅茶が入るのを待っていたはずなのに……」
わけがわからず、あたりを見渡す。
そこはいつも歩いている通りだった。電灯が飾られ街路樹のイルミネーションは毎日見ているもの。
喫茶店の中などではない。ウェイトレスの姿もどこにも見えない。
少女はもう一度当たりを見渡した。
周りの人々は彼女には気にも止めずに通り過ぎて行く。ぶつかることもなく、まるで初めからそこにいなかったかのように人々は行き交う。
ふと、少女の視線があるところで止まった。 大きな書店の入り口近くにある広場の一角。そこに向かい合って何かを言い合っている二人がいた。
「あれは、私……?」
同じ服、同じ髪型。
一緒にいる人物も知っている。
わけがわからず混乱していたその時、突然二人の会話が聞こえてきた。
「だから謝っているだろう!」
「ただ謝ればいいと思っているの?!」
「仕方がないじゃないか! どうしてもその日は抜けられないんだよ!!」
「その日だけじゃないじゃない! 前回だって1時間も遅れて、その前だって約束中止になっちゃったじゃない!」
「だから、悪かったって、何度も言っているだろう!」
「どうせ私は暇な高校生で、あなたはお忙しい大学生ですから、私につき合ってくれる時間なんて簡単にはとれないんでしょうけど!たった1年先に大学生になったからって世界が違うような事言って偉ぶらないでよね! どうせ私のことなんて、子供としか見ていないんでしょう!」
「わけわかんないこと言うなよ」
「電話しても、忙しいからって言って切られて。だったら夜中なら電話が来るんじゃないかって、ベッドの中でずっと待っても来なくて。私のことなんて、何にも考えていないんでしょ?!」
「かまってやれなかったのは謝るって言っているだろう」
「それに私との時間は取れなくても、背の高い綺麗な女の人とは時間取れるのよね!」
「なんだよ、それ。俺がいつ……」
「見たんだから! この間、仲良さそうにお店に入って行くの」
「あれは……」
「もういい!」
怒って会話を中断させた少女はスタスタと歩いて行く。彼は一瞬追い掛けそうになったけれど、躊躇して足を止める。
そしてそのまま少女……自分はいなくなった。
その光景は、1時間前の少女と、その彼のものだった。
自分であるはずなのに、まるで他人の会話を見ているようだった。
少女は取り残された彼のそばに歩み寄ってみた。
近くまで来ても彼は何も気づかない。少女のことは見えていないようだった。
「俺だって、本当に悪いと思っているんだぜ。せっかくの誕生日、祝ってやりたかったのに。だけど仕方がないじゃないか。どうしてもその日だけはダメなんだから」
彼はぼそっとつぶやき、ため息をつく。
「ちょっと早いけどちゃんとプレゼントも用意したのにな……」
ポケットから小さな箱を取り出す。
赤い包装紙にピンク色のリボン。
その包装紙には見覚えがあった。3日前に偶然背の高い女性と一緒の彼を見かけたアクセサリーの店のロゴが入っている包装紙。
それに気づいた時、急にまばゆい光が目の前に輝いた。その瞬間、少女は目を閉じる。
そして恐る恐る再び目を開けると、場面は一転していた。
今度は夜ではなく、昼間の街。
ちょうど彼が、少女の知らない女性と一緒だったのを見かけた店の前だった。
ふいに店のドアが開き、彼とその女性が出てきた。
「彼女へのプレゼントくらい一人で買いなさいよ」
「こんな店に一人で入れるかよ」
「あら、あの人は入っていたわよ。兄弟でも違うのねぇ」
「兄貴と比べないでくれ。それよりも今日は助かったよ、義姉(ねえ)さん」
「どういたしまして。お礼はここの新作のリングでいいわよ」
「このプレゼントよりも高いじゃないか。そんなのは兄貴に買ってもらってくれ」
「ふふふ、そうする。それにしてもバイト増やしてお金貯めて、それで彼女との時間を削ってちゃ、その彼女もかわいそうというか、なんというか」
「だって買ってやりたいじゃないか。あいつがすごく瞳を輝かせて見てたものなんだぜ。高校の時は無理な値段でも、今なら少し無理すれば買ってやれるしな」
そんなやりとりをしながら、二人は少女の前を通り過ぎて行く。
彼女へのプレゼント?
義姉さん?
ということはこの人はお兄さんのお嫁さん? ケンカの原因のひとつはただの勘違いだった?
それに、彼は覚えていた。
たった一度、2人でこの店の前を通った時、自分が立ち止まって、見とれていた時のことを。
確かに素敵だなぁと思って見ていた。でも欲しいなんて一言も言わなかったのに。
自分の知らなかった光景が目の前を通り過ぎていく。
この2つ光景を見る限り、彼は自分のことをちゃんと考えていてくれた。
でもこの光景が本当なのか、それはまだ信じることはできなかった。
わけがわからず、さらに混乱しているその時、再び光が輝いた。
◇ ◇ ◇
「……うぞ」
「えっ?!」
「3分経ちました。紅茶をどうぞ」
少女は顔をあげて周りを見る。
そこは街の中ではなく、喫茶店の中。
すぐ横にさきほどのウェイトレスが立っていた。
目の前には一人分のティーセット。
砂時計はすでに全部落ちている。
「今、私……」
少女はぼんやりとつぶやく。
「どうかなさいました?」
「夢を、見ていたような……」
「夢、ですか?」
「夢なのかな。でもとっても現実ぽくって、不思議な感じがしたわ」
ウェイトレスは少女の言葉を聞きながら、カップに紅茶を注ぐ。丁寧に注がれた紅茶がカップに満たされていく。オレンジ色がかった赤い水色が綺麗だった。
「良い夢だったのですか?」
「えっ?」
「さきほどと表情が違うような感じでしたので」
「そんなに変な表情してましたか?」
少女は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、聞く。
「変な、というよりも悲しそうなお顔をなさっていらっしゃったようでした。でも今はそのようにはお見受けしませんので」
悲しいか……。
確かに彼と言い合って、そしてケンカ別れをしてしまった。この店に入る前まで、気分は最悪だった。
言いたくないことまで言ってしまい、落ち込んでいた。
でも、夢……というか、何なのかよくわからないけれど、今見たものが本当なら、自分が思っていたことは誤解だった。
何も知らないまま、勝手な事を言ってしまった。それで彼を傷つけてしまった。
このままケンカしたままではいけない。
さきほど見た光景が正しいのかどうか、ちゃんと彼に確かめなければならないと、少女は思った。
「さあ、紅茶をどうぞ」
優しい微笑みが少女に向けられる。
「ありがとうございます」
少女は一口紅茶を飲んだ。甘い香りとともに、ほのかな甘さが口に広がる。
「美味しい」
今までに飲んだことのない不思議な味。
「ありがとうございます。では、ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスは席から離れて行った。
少女は再びカップに口をつける。
温かい紅茶が、心にまでしみるように感じる。
この紅茶を飲み終わったら、彼に逢いに行こう。
そして、ちゃんと彼の話を聞こう。
少女はそう思いながら、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした」
少女は紅茶の代金を払い、ウェイトレスに軽く会釈する。
「ありがとうございました」
ウェイトレスは丁寧に頭を下げ、少女が店を出るのを見送る。
少女が店を出たと同時に柱時計が8時を告げた。
「今日はこれで閉店ですわね」
ウェイトレスは外に掛けてあった『Open』のプレートをひっくり返す。
そしてカラン、とベルが鳴るドアを静かに閉じて、鍵を閉めた。
と、その時。
「るな。またやったな」
突然聞こえてきたその声に、ウェイトレスは驚いて振り返る。
カウンターの奥から姿を現したのは、少年というには大人びた表情で、かといって青年というのはまだ少し幼さを感じる微妙な年頃の人物だった。
ウェイトレス同様に、不思議な雰囲気をまとった人物。
声の主を確かめて、そして慌てるふうでもなく、『るな』は優しげに微笑む。
「マスター、お帰りになられていたのなら、声をかけてくださればよろしいのに」
「邪魔しちゃ悪いと思ったのさ」
マスターと呼ばれた人物は、冷蔵庫を勝手に開けて中を覗き込む。
「何かお飲みになるのでしたら、お入れしますが?」
るなは、少女に出したティーポットとカップを片付けながら訊く。
「いや、これでいい。それよりも、『また』やったな?」
取り出したオレンジジュースを飲みながら、マスターは同じ台詞を言い、今度は『また』を強調する。
「『また』と言いますと?」
るなは、何のことでしょう、と首をかしげる。
「夢を見せたろ?」
「あら、そのことですか。かわいい女のコが悲しげな表情で困っていたのですもの。マスターだったら見過ごせます? それに彼女の知らない過去をほんの少し見せてあげただけですわ。これからどうするかは彼女次第。彼女の過去を変えたわけではありませんもの。『また』とおっしゃるような大きなことはしておりませんわ」
「だけど、お前のせいで彼女の未来は変わるかもしれないんだぞ?」
それを聞いたるなはクスッといたずらっぽく笑う。
「マスターのお言葉とは思えませんわね。未来は誰にも決められないもので、決まったものではないと、いつもおっしゃっているではありませんか。わたくしにできることは、過去にあった出来事を夢の中で見せてあげること。わたくしが見せた過去で、未来の選択肢は増えたのかもしれませんが、未来を変える、という表現には当てはまりませんわ。未来というのはいくつもあるもので、それを決めるのはその人自身によるものだと、わたくしは思いますけれど?」
余裕たっぷりの笑顔を見せながら、るなは言い返した。
「生意気なこと言いやがって。じゃあ、言い方を変えてやる。『また無料(タダ)で』過去を見せたな?」
「彼女は『夢のしずく』を御注文になり、お代もいただいております」
「う〜、まったく、口ばっか達者になりやがって。お前は夢使いの俺のアシスタントで、まだ見習い。俺はお前の主人なんだからな。俺の指示なしに勝手に能力を使うな!」
夢を司り、操り、そして人の心を癒す夢使い。能力とは、普通の人間には出来ることのない魔法。ほんの少しだけの小さな魔法。
本来ならば、それは有償なのである。ある特定の依頼によって行うもの。無闇やたらと行ってはいけないものであった。
しかし。
「アシスタントとして少しでもマスターのお力になりたいがために、わたくしはわたくしなりに日々努力しておりますのに、マスターはそれをお咎めなさるのですか?」
瞳を潤ませ、悲しげな表情で、るなはマスターを見つめる。
一瞬マスターはたじろぐ。
そしてまっすぐに見つめるその視線に耐えられなくなったマスターは、イライラと大声があげた。
「ああ! もういいよ! 勝手にしろ」
少し長めの前髪をくしゃくしゃっとかきあげながら、マスターはプイッと横を向いたかと思うと、窓際の席にドンと腰をおろした。
主であるはずなのに、口達者なアシスタントにいつも言い負かされてしまう。
見るからに、不機嫌です!といった感じのマスターを見ながら、るなはクスクスと楽しそうに笑う。
「『夢のしずく』お入れしましょうか?」
「俺にどんな過去を見せるっていうんだ? 普通のお茶でいいよ、普通のお茶で」
マスターはるなの方は見ず、窓の外に視線を向けたまま答える。
「かしこまりましました。ご一緒にアップルパイ、食べられますか? チョコチップの入ったシフォンケーキもありますけれど、どちらになさいます?」
マスターは視線を外の景色からるなの方へ変えると、軽くるなをにらんだ。
「……両方」
そう返事をしながら、照れくさいのか、ほんの少し頬が赤くなる。
「わかりました。そういえばハーブクッキーもありますので、お出ししますわね」
るなは機嫌良さそうに紅茶を入れる準備を始めた。
白いティーポット、白いティーカップをテーブルに並べ。
沸かしたてのお湯をポットに注ぎ、それから砂時計をひっくり返す。
さらさらさら……。
砂が最後まで流れ落ちるのを待つ。
そして。
『Close』のプレートをドアの外に下げた店内に、甘い香りが漂う。
静かに楽しむティータイム。
それは穏やかに流れる優しい時間。
Fin
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