おまじない

前編


 夕食を終え、お茶を飲みながら家族揃っての時間を楽しんでいた時だった。
「カナタを連れていく?」
 望美は飲みかけた湯のみをお盆の上に戻しながら、ヒノエの言葉を訊き返した。
「そう。今回は短い航海だしな。もう3歳になったんだし、水軍頭領の跡継ぎとしては船に乗るのは遅いくらいだ」
 ヒノエは、少し離れたところで遊んでいる、望美との間に生まれた双子を見た。
 双子の兄は『カナタ』、妹は『はるひ』と名付けられた2人である。
「まだ小さいのに大丈夫? 怖がったりしないかしら?」
 これまで海辺で遊んだり、岸よりそれほど離れていないところでの船の遊覧はあるけれど、船に寝泊まりする航海に子供を連れて行くことは今までなかった。
「オレの息子だぜ? 何を怖がるっていうんだ?」
 自信満々に望美に訊き返すヒノエ。
 父に良く似た息子は、確かにヒノエの言うように恐がりなところはなく、むしろ何にでも興味を持つ好奇心旺盛な子供だった。
 これまで何も言い出さなかったヒノエが今回言い出したということはそういう時期が来たのだろうし、無理に止めることでもないだろうと望美は考える。
 しかし、母心としてはやはり心配の気持ちは残るため、すぐに承諾はできなかった。
「どうしても連れて行きたい?」
「この先当分短い航海は予定にないからな。今が好機だと思う」
「う〜ん、そこまで言うなら、カナタが行きたいって言うなら連れていっても良いわ」
「わかった。カナタ、ちょっと来い」
 ヒノエはカナタの名を呼び手招きした。
 遊んでいたカナタはトコトコト歩いて来て父の膝の上に乗る。
「カナタは海は好きか?」
「うん」
「船も好きか?」
「うん!」
「オレと一緒に海に行くか?」 
「いく!」
 ヒノエの問いにカナタは即答した。
「ホントに行くの? 夜の海は真っ暗になるのよ? 怖くてもすぐには帰れないのよ?」
 望美は少し心配げな様子でカナタに訊く。
「ちちうえといっしょならへいきだもん!」
「よぉし、イイ子だ。大きな海原を見て驚くなよ!」
 ヒノエは楽しげにカナタの頭をくしゃくしゃと撫でる。
 キャッキャッとはしゃぐカナタとヒノエの様子を望美は黙って見つめる。
 遅かれ早かれいずれはカナタは海に出なければならない。水軍頭領の跡を継ぐためにも海と慣れ親しむのは早い方が良い。
 それをわかってはいても、女人禁制の水軍の中に自分が入って行けないことは、望美にしてみれば少し淋しいことだった。
 そんな望美の気持ちを察したのか、ふいにカナタがヒノエのところから望美の方へと向かって行った。
 望美の膝の上に手を置き、大きな瞳で望美を見上げる。
「ははうえ、大丈夫?」
「えっ?」
「ボクがいなくてさみしい?」
「そうね、淋しいわ」
「じゃぁ、さみしくないようにおまじないのちゅーしてあげる」
 カナタは望美の膝の上によじ上ると、望美の頬に小さな唇を寄せた。
「ははうえもしてくれる? えっと『みこひめのこうかいあんぜんのいのりをぜひ』」
 そう言ったかと思うと、カナタは望美の顔を見上げたまま、瞳を閉じた。
 息子のかわいらしい仕草を見て、望美はクスクスと笑う。
「あらあら。誰かさんとそっくりね」
 ただでさえ顔立ちや髪の色などヒノエとそっくりなカナタ。
 そんな言葉を口にすると、ますますそっくりである。
「ははうえ?」
「なんでもないわ。カナタの初航海が無事でありますように」
 望美はそう言って、カナタの額に口づけた。
「さ、はるひが待っているわ。向こうで一緒に遊びなさい」
「はーい」
 満足そうな笑顔で、カナタは返事をする。そして、はるひのところへと戻ると、2人仲良く積み木で遊びだした。
 その様子を眺めた後、望美はまたクスクスと笑い出した。
「やっぱりヒノエ君の息子ねぇ」
 向かいに座るヒノエの顔を望美は見る。
「『神子姫の航海安全の祈りをぜひ』なんてどこで覚えたのやら」
 カナタが口にしたのは、航海に出る前にヒノエが望美によく言う言葉だった。
「この歳で神子姫の口づけをねだるとは。我が息子ながら侮れねぇな」
「ヒノエ君より大物になるかもね」
 望美の口づけを受けた息子に本気で悔しがるようにしてみせるヒノエを見て、望美は笑いが止まらなかった。



                                 後編へ


<こぼれ話>


ヒノエ「目の前で他の男が口づけするのを見るのはイヤなものだな」
望美「他の男って、自分の息子じゃないの」
「男は男だろう」
「自分の息子に嫉妬する必要ないじゃない」
「いいか、望美の唇はオレのものだからな」


双子の名前を漢字で書くと、『彼方』と『春日』。
いずれ由来を説明した短編を書こうと思っています。
カナタには『湛』の付く名前ももちろんあります。それもいずれ。

   

 

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