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事件番号:平成14年(行ヒ)第46号 公金返還請求事件
2003年2月17日
最高裁判所第一小法廷 御中
                                         
被控訴人 砂川 次郎 印

 
 
 

答  弁  書

上告人   北村 正二 
被上告人 砂川 次郎 

被上告人は上告人提出の上告受理申立理由書に対して以下のとおり反論する。





第1

1、 上告受理申立理由書(以下理由書という)の1について

 上告人主張の根拠としている最高裁昭和35年10月19日大法廷判決は司法、行政の独立にかかる大原則を例示したに過ぎず、地方公共団体の政策決定に違法性が認められる場合までを司法審査が及ばない、というものではないことは明白であり失当といわざるを得ない。

2、 理由書の2について

上告人は当該支出が大阪高裁昭和61年3月28日判決を引用し、地方公共団体の祝賀式典のために支出した公金が通常の社交儀礼の範囲内のものに該当し、判例に照らして違法ではないとし、原判決の事実認定はかかる経験則に違反していると主張しているようであるが、そもそもここで引用している判決はその後最高裁で争われたものであるが、(最高裁平成元年7月4日第三小法廷判決、判決タイムズ734号86頁)大臣就任祝賀式典にかかる必要性、経費そのものについて判断したものである。しかしながら被上告人の本件公金支出が違法であるとしているのは祝典の必要性、経費ではなく竣工式祝典来賓者に配られた一人あたり5000円の商品券支出についてである。従って上告人の原判決はかかる経験則に照らして違反しているとの主張は失当である。

3、  以上に述べたように上告人は、原判決に対して誤りがあったと主張する根拠に例示した判決はいずれも本件に該当しない的外れな判例を引き合いに出しているものであり、重大な判例違反は全く存在しない。よって経験則違反なる主張も成立しないのである。

第2

1、 理由書の3 (1)(2)(3)について

 上告人は(2)のアの前段において「 地方公共団体・・・本来であれば社会的儀礼は一切不要 」としながら後段末尾では 「 実際の社会生活上は必ずしも( 一切不要 ) とは観念されてはいないから( 自然人と )地方公共団体において社会儀礼の意味を別意に解する必要はない 」 としているが、むしろ被上告人は別意に解さなければならないと主張する。

即ち自然人においては感謝の意の現れをどのような規模、経費にするか、或いは儀礼を行うか否か、など自らの経費、責任において自由に判断されるものであるが、地方公共団体においてはその儀礼における必要性、経費において公金の支出を伴うものであって、そこには主権者である住民に納得できるだけの説明責任を厳しく要求されるのである。その事は地方自治法第2条14項( 最小経費最大効果の要求 )地方財政法第4条1項( 最小限度の支出 )に明らかである。上告人はこれらの原則認識が欠落していたために本事件が起きたことを今だに気づいていないようである。被上告人はだからといって開催してはならないと主張しているのではなく、必要に応じて地方公共団体が式典を開催する場合にはその規模、経費において華美にならないよう極めて慎重な姿勢が求められるのは当然でありこれを自然人と同列に扱ってはならないというのである。

更に開催にあたっては社会通念によって相当と認められる範囲内において認められるという前出の最高裁平成元年7月4日判決は被上告人のこれまで主張してきた主旨と大きな差異が存在する訳ではない。また、この最高裁判決では伊藤正己裁判官が反対意見を述べている。その中で 「 式典を地方公共団体が行う場合には、その内容、規模及び町の支出する金額について慎重な配慮と抑制が要請される。」としている。( 別冊ジュリスト・地方自治判例百選第2版83・169頁参照 )
被上告人は該当事件は開催のみで終らず更に付け加えて記念品としての商品券までも配布したこと、しかもそれが一人当たり5000円という高額であったこと等を第一審及び原審で問題視し違法を主張したことが第一審及び原審で支持されたものであり、極めて常識的かつ妥当な判決であった。

 上記から分かるように地方財政法第4条1項等を踏まえた上で、慎重な配慮・抑制或いは相当と認められる範囲内においてという意味から記念式典が許されると解するならばその式典に際して更に余分に付け加えられた記念品においてはことさらに厳密な範囲を想定しなければならないのである。そのような観点から上告人の理由書3の( 1 )( 2 )ア、イ、ウ、の各主張は、必要性に乏しく行き過ぎた支出であったことを看過しつつ、ありもしない経験則を持ってして第一審及び原審の判決が誤りであったとしているのである。

同じく( 3 )についても、上告人は百貨店のお中元、お歳暮の例を引いて本件5000円の記念品は社会的に相当な金額であったと主張しているようであるが、前述した理由にくわえ、そもそも祝意を表し、完成の喜びをともに分かち合うことで十分式典目的を達しているにもかかわらずそれに加えて記念品と称して商品券を配布しその金額についてお中元・お歳暮を持ち出してこれに比べて同じほどの金額であるというには余りにも飛躍しており、公金支出の杜撰さ、地方公共団体と自然人( 一般社会 )の区別( 公私の区別 )の余りの無さには絶句する外ない。

町は新庁舎建設で莫大な費用を投入し、今後もその維持費を含めて多額の返済をせねばならず、それらは町民が負担するのである。しかも長引く不況、デフレによって建設当時から町の財政難は深刻であり今後も予断を許さない現実があり、遥か以前ならともかく現実の苦しい財政状況から、「 社会通念 」といういささか曖昧な定義ではあっても、その意味するとことの大まかな範囲は( 金額についても )時と共にどんどん狭まってきており、町民の公金支出に対しては非常に厳しい目を持つようになってきている。

従って上告人のいう相当な金額であるとの主張は到底受け入れがたい金額なのである。町民は残念ながら建設費や維持費が高額になってしまったとしても、新築された庁舎の無事完成を祝い喜びを分かち合う気持ちを大切にしたい、との思いから竣工式が開催されたことにクレームをつけているのではない。しかし、来賓に対し記念品総額73万5000円をも支出したことにはいくら事情を考慮しても財政難、就職難の厳しい現状からして許されないばらまき支出、高額な金額との印象をもつのは当然であり、お中元、お歳暮と同列に論じる上告人の感覚を疑わざるを得ないのであり、失望を禁じえないのである。

2、 理由書の4について
 上告人は原判決が引用する第一審判決の、「 来賓のみに記念品を贈ったことが相当であったと首肯し得る事由がない限り、本件支出の違法判断要素とする 」 と判断をしているといって種々理由を挙げ判決の誤りを主張しているようであるが、先ず理解しなければならない第一は、来賓者という一部の者に記念品を配る積極的な必要がなかったという第一審及び原審の判断を知るべきである。これに関して上告人は説得力のある主張を示していない。いたずらに儀礼の範囲で相当な金額であったというのみで記念品配布の積極的必要性の具体的立証をしていない。第一審判決及び原判決はそのことを言い表しているのである。

第二に上告人は、来賓についてお世話になった人、功労があった人として国会、県会、市町村等議員、及び知事をはじめとする首長、国家公務員、地方公務員を「 お招きした客人 」として挙げているが、これらの客人は職務上当然の行為をしたに過ぎず到底功労があったとはいえないのであって、特段のお礼の品を渡す必要はない。しかもこれらの客人はいずれも特別職、一般職の地方公務員の地位にある者が多く、地方自治法第204条第2項即ち、法律または条令に基づかずして、いかなる給与その他の「 給付 」をも支給することができない、という条項の主旨から考察しても極めて慎重な態度が望まれるのである。議員や公務員たるものは現金に準ずるような物を受け取るべきでないし、彼らに渡すべきでないのは言うまでもないことである。

さらに、前出の最高裁平成元年7月4日判決では伊藤正己裁判官が反対意見を述べており、その反対意見の主旨は、「 特定の政治家を地方公共団体の記念行事に呼ぶ事はその特定の政治家を支持しない住民もいるわけで、そこに公金が支出されるのは行政の中立性を損ない重大な問題を含んでいるのでさらなる慎重な姿勢が必要となる 」としている。( 別冊ジュリスト・地方自治判例百選第2版83・169頁参照 )

またのその他の招待者にしても上告人がいう「 功労があった者 」の功労とは何を指すのであろうか。大まかに言えばその時の町会議員であったり、地元の関係者や報道関係者であって、彼らが特段の功労、と呼べるほどの者ではないことは明らかであり、むしろ共に喜びを分かち合い祝意の気持ちを持つ町民、関係者の代表としての客人と解するのが妥当である。そうであってみれば、一般町民と来賓との間にそれ程の功労に差が生じているわけではないので来賓者のみに高額な記念品を配る積極的理由はない。これらが原審のいわんとする判断なのであるが上告人は理解できていないようである。

 しかも上告人に百歩譲って、「 来賓に対する記念品の贈呈につき、一般的な認識 」 との主張を考察するに、近時では少なくなったが以前では一般的な認識というほどの記念品は例を挙げれば、せいぜい50度数のテレホンカードに記念の対象となる建物なり場所なりの絵、写真、文字を刷り込んだ原価700円から800円程度のものが見受けられたのであり、そこからも分かるようにあくまで記念の品が残る、即ち記念とは「 後の思い出に残しておくこと 」という意であり、お金に準ずる金券( 商品券 )を記念品と呼ぶにはいささか無理があり「 記念 」でもなく「 品 」でもない、というのが一般的な解釈であり、一般的な認識なのである。

第一審及び原審における上告人の主張では、記念品をもらった方々が使いやすく、便利なものをと考え5000円の商品券にしたとしている上告人の意からすると、それなら現金でもよいのではないかということになる。つまり記念品を配るという当初の計画からどんどん飛躍してお金の配布に等しい金券の配布にまで行き着いたのである。この事が最早行政を預かる者の非常識を生み出し、被上告人のみでなく多くの町民からも非難を受けることになり、来賓の中からも知事をはじめとして金券( 商品券 )を返却する者が現れたのである。( 大津地裁 原告 甲第2号証 )

かつてこのような慶祝行事においてかかる返却が行われる事態を招いた事があったであろうか。これをして上告人のいう一般的認識との主張は崩れさっている。許し難い行き過ぎ、と断ずる外ない。しかも被上告人が再三主張しているように5000円という金額はお中元お歳暮には通用する一般的な認識かも知れないが公金を支出する立場にある地方公共団体が配る記念品という観点からは「 異常な高額 」であって、一般的認識からは大きくかけ離れている。

以上のことから上告人のいう「 一般的な認識 」はいずれの観点から考察しても一般的ではなく「 特別に異常 」なものであることは明白である。従ってまた上告人がいうところの経験則なるものも、もともとこのように「 特別に異常 」な本件においては経験則が存在しないというべきである。

第3
結語

 以上述べたように上告人の理由書のいずれの主張も第一審及び原審の判決を誤って解釈しており、かつ判例違反は存在せず、法令解釈適用に誤りのなかったことは明白であり棄却を免れない。

以上

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