台湾の旅
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高雄
何があるかわからない楽しさ 六合二路夜店

昨暮れからミレニアムという言葉が流行したが、2000年を迎えてどこか外国に行こうと考えた。
行きたいところはたくさんあるが、予算と日程の関係であれこれ迷った。最終的に、日本に近い外国で同じように地震の被害を受けたところ、ということで台湾に決めた。台湾は日本から3時間で着く。
田舎の串本に着くより早い時間で外国に行けるのである。
3月16日6時20分のノースウェスト69号機で台湾に向かった。夜の9時前に高雄空港に着いた。時差は一時間ということで、時計の針を遅らせた。台湾旅行記

高雄は台湾第2の都市で街並みはきれいで高層ビルも建ち並ぶ。市内をバスで走ると日本のどこかの街のような感じがしてならなかった。外国にきているという気が全くしないのである。まだ春のはじめであり、気温も18度で肌寒いくらいであった。長袖のスエットスーツがちょうどよかった。

空港を降りたって早速六合二路の夜店を見に行った。ここはおもしろい。
雑踏が好きな私にとっては格好のロケーションであった。今や高雄の観光地として賑わっていたが、すし、ケーキ、果物などの飲食から始まり、骨董、服、占い、ゲームなど何でもあった。ごった煮アミューズメントストリートという感じである。
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和歌山にもこういう一角があればと真剣思った。
六合二路の夜店は、駅から10分ほどであるが数百mにわたってあり、台湾の食事のメニューがほとんどあるのではないかというくらいに、たくさんの店とメニューがある。ただしバイクや車がひっきりなしに往来し気をつけなければ事故になる。ボッと歩いているとバイクとぶつかりそうになる。またそれらがたてる埃が多く、神経質な人はここでの食事は勇気がいりそうである。生ものを冷蔵庫にも入れないで売っていたが、加熱をしなければ喰う気がしない。しかし味は良さそうである。
その日泊まったのは、高雄圓山大飯店で5階建てのホテルであった。澄清湖畔にあり静かでいいところだが、いかんせん繁華街から遠く、また庶民的でなくあまりなじめなかった。やはりその国を知ろうと思えば、木賃宿でいろんな人々と気楽にふれあうのが一番いい。私にとっては分不相応な宿であった。

台湾の街は、ミニバイクが多い。 また一時の日本のように、整備不良の自動車も多く道路の未整備と相まって埃っぽかった。その埃を防ぐように、マスクをしてバイクに乗っている人が多い。マスクも、単なる無地のものではなく、おしゃれな花柄だったりする。ライダーのファッションのようになっている。これは日本もまねしていいのではないかと思う。
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澄清湖(トンチンフー)

高雄で朝一番に訪れたのは、澄清湖であった。面積30haの人工湖で、高雄 台湾旅行記工業用や飲料水として活用されているそうである。鯉に似た魚が泳いでいた。日本のオオタニシよりも一回り大きいタニシがたくさん岸にへばりついていた。
高雄 台湾旅行記市内の人々の憩いの場らしく、早朝にも関わらずたくさんの人が思い思いに散策を楽しんでいた。 もちろん観光客もたくさんいた。池の中には、くねくねと直角に曲がる橋がかけられており、「九曲橋」と呼ばれている。
ガイドの説明では、悪魔は直進しかできないので、それをよけるためジグサグに橋を架けたという。
ツバメがたくさん飛び交っていた。しかし水はあまりきれいには見えなかった。
この公園には、蒋介石が作った核シェルターを利用した水族館があるらしいが私たちは行かなかった。
このあっけらかんとした明るさは何なんだろうか?神社や寺も皆原色が精緻に塗り込められている。その原色のものは、日本では少ない。
特に地方ではモノトーンの寺社が多い。実際は日本でもできたときは極彩色だったようだが。
日本で仏像をこんなに笑わしたら、人はなんというだろうか.

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(なぜか台湾の観光地に多いマッサージ器)
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(公園内の蜂蜜売りのお兄さん)
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(こんな風景もどこかで見た感じ)
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(九曲橋。後に見えるホテルが圓山飯店ホテル)


三鳳宮(サンフォンゴン:道教の聖地)

幼いころから武芸に優れていた道教中壇元帥を主神に祀っているという。たくさんの人々が周囲で憩っていた。
インドやタイのように物売りが寄ってきたらどうしようかと思ったが、その心配はなかった。
宮内でおじさんがプチトマトを食べろといってきた。はじめはお金を取られるのかなと思ったが、どうも収穫したてなので、食べてくれといっているようであった。 一つもらって食べたがおいしかった。

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(極彩色の本尊。日本ではあまりない色使い)
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(エイリアン?)
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(なぜかミッキーマウス)
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(開高健に似たおじさん)

寿山公園

寿山公園は珊瑚性石灰岩の山で、高雄市民の憩いの場であるという。中腹の展望台からは高雄港と町並みが見える。
あいにく曇り日で、はっきりしなかった。
高雄は台北に次ぐ台湾第2の都市である。丘の上から眺めてもそれがよく分かる。
いかにも工業地帯という感じで、高層ビルも建ち並び、船の行き来も頻繁であった。
高雄港は天然の良港ということで、貨物取り扱い高では世界の王座を競うほどの国際港であるという。

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(ドラエモンとミュータントタートルズ。すごい)
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(よく使い込まれたバイク。現役である)
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(なぜ日本人は買い物が好きなんだろうか?)
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(駐車料金を取る人。台湾は車優先社会)

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台南
赤嵌楼(チイチェンロウ:赤い柱の楼閣)
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赤嵌楼は紅毛城などの異名を持つという。
1624年台湾南部を占領したオランダ人が植民地行政の中心として建てたという。
レンガでできた楼門は、風化により色も褪せ角が取れてきている。私たちが訪問したときは、近所の子供達(小学生くらい)が課外授業で講師の説明を聞きながらあちこちを見て回っていた。どこの国の子供も同じで、講師の説明などは聞いてなかった。
私たちを案内してくれた「ボウ」さんは、日本人より日本のことをよく知っていた。
ちょうど選挙の真っ最中であったので、私たちをバスに待たせて選挙の投票に行った。
今回の台湾旅行は、台湾の歴史的瞬間に立ち会ったということでも意義があった。新竹 台湾旅行記ちょうど総統選挙があり、5党の代表(実質的には3党)が熾烈な戦いをしていた。他国の選挙であるが、日本と近い国であり、非常に興味深かった。
また、ガイドのボウさんがこの選挙に深く関わっていることが、否が応でも成り行きについて関心を持たせた。
結果は、ボウさんが推していた台湾独立を目指す、陳水扁候補が当選した。
国全体が、選挙のために持てる力を出し合っている、という感じがした。
当日の新聞には、投票率82.69%で過去の選挙で最高記録であったと報じていた。
それくらい熾烈な選挙であった。投票日前日まで、陳氏が当選すると中国が攻撃してくる恐れがあると宣伝されていた。そうした中国のあからさまな妨害に対しても、屈せず台湾国民は陳氏を選んだのである。


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(どの国でも子供達は元気である)
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(中国独特の模様)
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(赤嵌楼の入口付近.。南国ムードが漂う)

延平郡王祠(イェンビンジュイワンツー:別名 開山王廟)台南 台湾旅行記
延平郡王祠は1662年鄭成功がなくなったとき、民衆によって建てられた。
鄭成功は、オランダの植民地支配から台湾を中国のもとに取り戻した。
台湾の歴史は彼の功績抜きには語れないという。
彼の母親が長崎は平戸出身の日本人というところも面白い。
こうしてみると台湾と日本は昔から深いつながりがあると思う。
沖縄なんかはいろんなエピソードがあるだろう。聞いてみたい。
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(日本統治下の時に使ったという神輿)
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(入口付近。歴史を思わせる木が茂る)
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(鄭成功の像)
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(台湾のポカリスェット)

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新竹
城隍廟(チャンホアンミャオ)

この廟は面白い。廟のまわりは屋台が立ち並んで冷やかしも楽しめる。
廟の中はねぶたの飾り付けのように、きらびやかに輝いている。
神様?はみな彩色されており、台湾独特のムードである。
台湾に来て日本と違和感があるとすれば、こうした仏様や神様が、極彩色で塗られいかにも人間くさい表情で訪れた人を迎えていることである。日本で言う「厳かに」という感覚からはほど遠い。その分、より民衆に近いのかもしれない。

新竹でのホテルは新竹駅にほど近い凱撤大飯店というところであった。
市の中心部であったので食事後に町を歩いた。小雨が降っていたが、ちょうど総統選挙中であり、選挙戦盛り上げのための花火が上がったり、幟を立てたバイクや車が走り回っていた。台湾で、夜出歩いても、アメリカの夜を歩くような緊張感は感じなかった。ガイドさんも、治安に関しては悪くないと言っていた。
ただし、車には十分注意しないとだめである。信号機が少ないのと、ところかまわずバイクが走り回るため、道路の横断などには気を使う。
新竹駅はこったデザインということであるが、夜だったのでよく分からなかった。
周辺は、塾帰りの学生とおぼしき人々でごった返していた。塾らしき施設もあちこちにあった。
この国も受験のための熾烈な競争があるのだろうか。新竹駅の前には百貨店があるが、そこは10時まで開店していた。
私が行ったのは閉店間際であった。
閉店の合図と共に、エスカレーターが止まってしまい、階段代わりに降りなくてはならなくなった。
各階で店員さんがずらっと並び「再見」と挨拶された。照れくさいことこの上なかった。
帰りにセブンイレブンでインスタントラーメンを買った。

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(どこかで見たような顔である)
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(なぜ舌を出しているのか不思議)
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(干支の龍。楽しい飾り付けである)
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(2000年を祝う飾り付け)
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(台湾も携帯電話がよく使われている)
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(交差点で信号待ち。やたらバイクが多い)
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(映画のロードショー。見たかった)
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(自動切符販売機。どの国も似たようなもの)

総統選挙があった

台湾の選挙は派手である。夜10時まで選挙運動ができるらしく、新竹駅周辺では遅くまで集会が開かれ、花火が新竹 台湾旅行記上がったり爆竹の音が響いていた。そんな集会を見たかったが、場所がかなり遠くだったので、行けなかった。
台北市ではメインストリートを閉鎖して、選挙の模様を大形スクリーンで映しだしていた。
日本に帰ってテレビを見ると、その場所の映像が何度も流されていた。
選挙当日の新聞を眺めていると、おもしろい記事にであった。世界水資源大会で、大会の代表者が演説中に、男女2名が素っ裸で何かの抗議をしたという。弁士はにこやかに応対しているが、同じ会議でもこういう抗議行動のある会議であれば出てみたい。「赤裸裸的抗議」いいなあ。
タイガーウッズの記事も出ていた。残念ながら記事の内容は不明。新竹 台湾旅行記同じページに女子テニスでヒンギスが負けたらしい記事が載っている。「女単四強戦 皮爾絲落馬」と書いているが、これも内容はよく分からない。
ヒンギスのコメントは、「我的*(表示できる字がない)好累 有點*(表示できる字がない)不動了」
ということであった。英語より難しいかも。
新竹では、台湾のシリコンバレーといわれる、立派な工場が建ち並ぶ町を抜けて走った。日本のパソコンメーカーの看板もよく目にした。このあたりは地震がきつかったところであるが、その傷痕はバスで見る限りではもう跡形もなくなっていた。
道は綺麗で快適であった。ただし無粋な看板はあちこちにあり、せっかくの景色が台無しとなっている。
これは、日本も全く同じである。

普天宮(フーティエンゴン)

「三国志」の関羽、文昌、呂洞賓、朱喜の五恩主と、釈迦牟尼仏を祀る廟である。
私たちが行った折りには、有名な巨大関羽像は修理中で足場が組まれ見えなかった。廟内は、極彩色で日本の寺とは趣を異にしている。ローソクも赤なら、仏像も赤が基調のものばかりである。

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(入り口で泰然と人々を見守っている)
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(京歌子さんに似ている)
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(極彩色の仏像群)
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(これはお札だろうか?)
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(赤いローソク。幻想的である)
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(ランプがいかさない)

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台北
故宮博物院(グウゴンホーウーユェン)

今回の台湾旅行の目的である、故宮博物院を訪れた。しかし見学時間はたった1時間少し。最低でも2時間というのに1時間であった。説明や案内を受けながら、故宮博物院の宝物を見たが、やはり時間が足りなく、欲求不満台北 台湾旅行記が残った。またいつかここに来てもう一度ゆっくり見てみたい。
感想としては、中国の歴史の一端をかいま見ることができた。写真を撮ることができないので、記録がない。
博物院は地上4階建で、3階以下が展示室となってい台北 台湾旅行記る。歴代中国王朝のものに限られるが様々な遺品遺物が展示されている。展示室に次々と入っていくが、ガイドさんの見せたい宝物まで一直線である。とにかく必要なところでしか立ち止まらないからおいて行かれないようにするのが精一杯であった。しかし本物を見るのはやはりいい。
確か、1階と3階だったと思うが故宮グッズの販売店があり、結構いいものがあった。
でもあまり安くなかったので買わなかった。
でも記念としては、いいものばかりがあったので、今度いったときに買うことにする。(いつ行けるかな?)

台湾での食

台湾での食事は、はじめから全然心配していなかった。私はインド料理もタイ料理も別に気にせず食べられるからである。
台湾独特の香辛料があり、コンビニのセブンイレブンにいってもその匂いが漂っている。それをいやがる人もいるが私は気にならなかった。4日間の料理はどれも楽しく食べられた。息子などは、本場中国の料理より、台湾の方がうまいといっていた。
息子は中国を一ヶ月以上放浪してきたので中国の味は分かっている。それが台湾の方がうまいといっていたので確かかなと思う。ともかく、どれも美味しかった。今度いったときは、夜店の食べ物を梯子したい。
最後の料理は、石鍋料理であった。この日はガイドさんの応援する総統候補が当選したので、所属する会社のおごりで飲み放題食べ放題であった。とはいっても、これがこのツアーのどれだけのお金を当てているのか分からないので、得しているのかどうかは分からない。いずれにせよ、美味しい料理を食べながらの楽しいお酒であった。

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(圓山大飯店の朝食。)
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(東楽レストランでの石鍋料理)
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(唐宮レストランの調理場。大きな鉄板焼き)
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(唐宮での台湾羊肉しゃぶしゃぶ。
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(この肉を適当に上の調理場で焼いてもらう)
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(凱撤大飯店での夕食)

忠烈祠(チョンリェニュスー)
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忠烈祠は、辛亥革命、抗日戦争や中共との戦いで戦死した約33万人の兵士の霊を祀っているところであるという。台湾には忠烈祠が各地にあるようで、何も台北だけではない。日本でも忠霊塔ということで、日露戦争からはじまって近世の戦没者の紀念塔があちこちにある。台湾では、高雄にも立派な忠烈祠があるが、これら忠烈祠のうち、衛兵が警護しているのは、この台北の忠烈祠だけという。
台北 台湾旅行記台北の忠烈祠は、有名な観光スポットの一つになっている。この忠烈祠は1969年に完成したという。本殿はかなり大きくきれいな建物である。
衛兵は左右に二人たっていて、本殿を守っている。
衛兵は人形みたいに動かない。また、まばたきもしないという。ただし、動かそうとして触ってはいけないとガイドのボウさんが言っていた。 ここの衛兵交代の儀式が、ここの観光のハイライトになっており、多数の観光客が見学に訪れている。私はこんなのがあるとは知らなかった。衛兵交代はイギリスだけと思っていた。
行進中は兵の移動に伴って、観客も移動していた。衛兵に選ばれるのはかなりの狭き門という。学科試験も、そして容姿も選考の基準になるようである。

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(ちゃっかり手を組んでの3ショットの我が娘)

中正紀念堂(チョンジョンチーニェタン)

時間の関係で、総統府の前を通り抜け、姿を見るだけとなった。その後に行った中正紀念堂は大きかった。台北 台湾旅行記 「中正」とは国民党の故蒋介石総統のことで、1975年、総統を記念して建てられたものという。紀念堂は広い公園の中央にあり、異様に高く、周りもひたすら広くてなにもない。威容を最優先したつくりという感じが否めない。時間がなかったので中に入らなかったが、中には蒋氏の像があるという。そしてそこにも衛兵がいて、忠烈祠と同じように儀式的に交替をやるという。
私はこういった英雄などの死後に巨大な建造物で偉業をたたえるというのはどうも好きではない。中正紀念堂正門の、2000年を祝う飾り付け。これは夜にはイルミネーションで彩られ非常に綺麗だという。


(中正紀念堂の高さは70mある)
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(広大な敷地の片隅での光景)
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(選挙の看板。巨大である)
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(夜のイルミネーション)

台湾のIT革命はかなり進んでいると感じていた。台北の圓山飯店に宿泊して、日本にインターネットでメールを送ろうとし、フロントオフィスに行くとこの女性がいた。
英語でインターネットをしたいというと、快く応じてくれて、インターネットルームに台北 台湾旅行記連れて行ってくれた。
このホテルのインターネットルームは、英語バージョンのWindows98と中国語バージョンの98とが並べておいてあり、金額は忘れてしまったが、たしか10分1000円であったと思う。
メールは日本の友達2通と、自分宛に1通送信した。
送信し終わって、その女性に写真を撮らせてくれというと、フロントオフィスの中から出てきて、ここがいいです。と、綺麗な花の横に立ってくれた。
なかなか感じのいい女性で応対もそつがなかった。
このシーンでは、せめて英語か中国語が堪能であればもっと面白い展開になったのだが・・・
ともかく、メールはきっちり届いていた。インターネットってすごい。
台北 台湾旅行記観光の途中、定番のおみやげやさんでウーロン茶をたててもらった。
飲んでみたが自動販売機のウーロン茶とさほど差はないように思えた。
しかし、お茶というのは、ほっとしたつかの間の安らぎに付加価値を付けるためだけのものであるのに、どの国も作法や入れ方のうんちくがある。
日本の茶道しかりヨーロッパの紅茶の入れ方しかり、コーヒーもいろいろある。
やはり人間というのは、国は違っても余分な時間をいかに楽しく過ごすかいろいろ考えてきたように思う。
どの国に行ってもその国独特のお茶があり、入れ方のセオリーというものが存在する。そしてそれが、生活に深みを与えている。きわめて人間的で知的な努力をしている。いいことで、楽しいことである。
それらの作法とか入れ方とかが、ビジネスや権威などではなく、日常的で一般的であればなおいいのであるが・・・・。

バスの中で、ガイドのボウさんは、「台湾は中華民国という国であり、政治的にも社会的にも独立したひとつの国として存在する。しかし、中華人民共和国は、台湾を一つの国ではなく中華人民共和国の一部だとする思想もあり、また台湾にいる中国から来た人たちもそう思っている人がいる。そして今までは、そんな親中国派の人々が政治を行っていた。しかし今回の選挙で、元から台湾出身の陳さんが当選したと言うことは、国民も完全に独立した形態を望んだ結果だ」といった。台北 台湾旅行記
他国のことなので聞き流したが、もしこれを日本に置き換えるとどうだろうかと思った。
その昔、ジンギスハーンが日本を攻めもしそれに負けていて、モンゴルをはじめ中国や朝鮮の人々が流れ込んでいたらどうなっていただろうか。家康が鎖国をしていなかったらどうか。また、第2次大戦の折りに、ドイツのように2分されていたらどうなっていただろうか。などと台北の政治に関する施設や選挙戦のすごさを見ながらとりとめもないことを考えていた。
この日泊まった圓山飯店。忠烈祠のすぐ近くにあり、忠烈祠から見ることができる。このホテルも郊外にあるため、町中をウォッチングする事が困難であった。子供たち二人は、それぞれタクシーやホテルのバスで市内に遊びに行ったが、私はホテルの中でインターネットなどをしていた。
やはり、ホテルはローカルのいろんな人と話ができるところがいい。
ローカルといってもインドのホテルのように、シャワーを出すと茶色の水が出るところはごめんだが、新竹でのホテルのように中級クラスのほうが何となく面白い。

あちこちを絶え間なく移動しながらの台湾観光であったが、思った以上に日本と近い感じを受けた。台北 台湾旅行記特に少しお年寄りは日本語を標準語で話すし、治安もよく楽しい旅ができた。
しかし強引な商売をしている薬屋にも連れて行かれ、少し気分を害した面もあった。
これはガイドの資質によるものだと思うが、業者と手を組み、何らかの上前をはねているのだろう。安心して買い物できるという意味では、必要悪かもしれない。とにかく日本人は外国に行くと買い物好きになり、いいカモにされるようである。
これは、特に団体旅行に多い。夫婦単位や家族単位の少人数であれば、見知らぬ土地での買い物はかなり勇気の要るものとなるが、団体だと共通意識が働き、つい買いすぎてしまう。今度くるときは、少人数でゆったりとしたスケジュールで来たいものである。
台湾は、肩肘張った旅行というより、つい日本の少し遠くまで来たという感じで楽しむと面白いと思う。それなら無駄遣いもしないし台湾という国がよりきちんと見ることができるだろう。

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(大阪の朝といっても通用しそう)
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(全く外国に来た感じがしない)
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(いいなあこういう風景)
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(何となくうまそう)

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