ポルトガル ポルト
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ポルト
VoL.6 ポルト歴史地区 リベイラ地区

あちこちうろうろしながらいよいよポルトの旧市街地に向かった。1996年、「ポルト歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録された。歴史地区の建築群は、エンリケ航海王子が道を開き、大航海のポルト ドンルイス橋 歴史地区成功がもたらした富のあかしということである。
ポルトガルを歩いてよかったのは、住居の窓に日本と同じように洗濯物を干していることで、親しみが持てる。ベルギーやイギリスは窓に干すと言うことはなかった。
色とりどりの建物の間を狭い道がくねくねとドウロ川まで続いていた。
皆同じような建物であるが微妙に個性を出していて見飽きない。
窓ガラスも家々で違う。
しかし屋根の色だけが皆一緒なので街が美しい。
ドウロ川を利用した交易の中心都市として栄えたポルトの歴史を感じることができる。
ポルトはまたポートワインの積出港として知られている。「赤玉ポートワイン」と言うワインは昔から知っていて私もたまに飲んだが、ここが発祥地だった。
ローマ時代にはポルトゥス・カレ(カレの港)と呼ばれ貿易で栄え、ポルトガルの国名の由来にもなったと言う。
「魔女の宅急便」のモデルになったともいわれるポルトだが絵本のようなかわいらしさがある。
世界リゾート博で大人気だった「ポルトヨーロッパ」もここをモデルにした。
やはりよく似ている
道はくねくねと曲がりながらドウロ川に向かう。

ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(「ドン・ルイス1世橋」とドウロ川クルーズ船)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(この風景はどの国も同じ)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(広場があって賑やかだった) 
 ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(いいなーこの建物)
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ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(魚を釣っていたが言葉が話せないので釣果は聞けなかった)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(ドンルイス橋の上をメトロが走る)
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ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(市街地までにケーブルカーがある)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(ケーブルカー駅から見たドンルイス橋とメトロ)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区 ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(ロープウェイもあった)
ドウロ川 ドンルイス1世橋

ポルトの観光スポットとして「ドン・ルイス1世橋(Ponte Dom Luís I)」にいった。ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ドウロ川に架かる道路・鉄道併用橋で、ポルトの中心部とヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア地区を結んでいるという。
ガイヤ地区にはたくさんのポートワインのロッジが並んでいた。ドウロ川はスペインのソリア県を水源とし、スペイン北西部を流れてポルトガルに入り、ポルトから大西洋に注ぐという。
橋は幅8mの2階建て構造になっていて、非常に美しい橋だった。
パリのエッフェル塔を設計した ギュスターヴ・エッフェルの弟子の一人、テオフィロ・セイリグが設計したという。
上層の長さは395mで、下層の長さは174m。
現在上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用となっている。上層階は景色も素晴らしかった。メトロが歩道と段差のない同じ場所を走っているのでゆっくり写真を撮れない。
行ったり来たりしていると日も暮れ橋がライトアップされた。両岸の街もそれぞれがライトアップされ綺麗だった。
橋を渡り、夜景を楽しみながら対岸に行き、セラ・ド・ピラール修道院の下にある停留所からメトロに乗った
セラ・ド・ピラール修道院殻の景色もいいらしいが、時間が押してきたのでパスした。

ポルト ドンルイス橋 歴史地区 ポルト ドンルイス橋 歴史地区
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(歴史地区も綺麗だ) 
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(ドンルイス橋の上。向こうに見えるのは修道院。景色が素晴らしい) 
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(メトロから)
ポルト ドンルイス橋 歴史地区
(三日月が出てきた)

ポルト ドンルイス橋 歴史地区いろいろ見たいところもたくさんあったポルトガル観光も終わった。
個人の観光であり、行き当たりばったりであったが面白かった。
ヨーロッパの国々の、世界をまたに駆け回った歴史を垣間見ることができた。
もっといろいろいきたいと思った。
機会があれば何度でもきたい国のひとつとなった。
万引きにも遭ったが被害がそれほどではなく、今となっては思い出作りをした。
明日はパリである。
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