倉敷
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倉 敷 青春18切符  (2012年4月8日

JRの普通列車が乗り放題になる青春18切符をまた今年も買った。
一回は近場で使ってしまった。あと4回残った。倉敷に行く計画を練った。

当日、8時36分の直通快速に乗った。大阪には9時20分に着いた。次は9時30分の相生行きに乗った。明石大橋が家の間から見え隠れした。相生には10時55分に着く。ここで岡山行きに乗り換えである。
岡山駅には12時38分に着いた。ここでまた乗り換えである。
もっと快速が多いのかと思ったが意外に少なかった。

しかし青春18切符を使うと時間は倍以上かかるが、特急で行くより 金額は5分の1以下である。
列車がのろい分車窓からの景色がゆっく り見える。
これを使わない手はない。乗る電車がほとんど満員であった。
そしてほとんどが18切符での乗車だった。とにかく安いものね。

隣に座った女性のグループは、瀬戸大橋を越えて四国の善通寺に行くと話していた。
倉敷までの、乗り継ぎラストの電車は、岡山を12時42分に出て目指す倉敷には12時59分に着いた。
駅の待合所で持ってきた弁当を食べた。構内を吹き抜ける風はまだ冷たかった。
以前来たときは車だったので、駐車場を探し駐めるストレスがあるが 今回はそんなことは気にしなくてもいい。列車の旅のメリットはそこにある。

駅前から続くアーケードのある商店街を抜けて美観地区に向かった。途中の商店街もゆっくりウォッチングすれば面白い商品があるが、あまり立ち寄らずに通り過ぎた。 美観地区は記憶の中より近かった。
阿智神社の鳥居の前を過ぎるともうそこは美観地区であった。
石畳の道路の両脇に立派な瓦屋根と白壁の家が並んでいる。倉敷 青春18切符
これなら外国の町並みにも負けていない。何よりも大好きな石畳の道が続いているのがうれしい。
たくさんの人が行き来していた。
最近こうしたアンチックな町並みがもてはやされている。
街のきれいさとともに、町並みを守っていこうとする地域の一生懸命さに共感も集まるのではなかろうか。和歌山にもそうしたところがほしい。和歌山では湯浅が頑張っているがもう一つ盛り上がりに欠けている。
美観地区は別世界に来たような感じでいい。
やはり初めに大原美術館に入った。

ウキペディアによると、「大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年?1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年?1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。
第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が数多く誕生したが、日本に美術館というもの自体が数えるほどしか存在しなかった昭和初期、一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が開館したのは画期的なことであった。ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべきであろう。しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日もあったほど注目度は低かった」
という。今はたくさんの見学者が訪れている。中にはすばらしい絵がたくさんある。私の好きな棟方志功の版画もたくさんある。建物もクラシックでこれもいい。絵については語られ尽くされた感じなので浅学の私がとやかく言うこともないが、とにかくよくぞこれだけ集めてくれた、とただただ感服する。

美術館を出てからアイビースクェアに向かった。
途中、ビクター犬ニッパー君の大群が屋根にのっていた。ここは以前も見たのだがそのときは7,8匹であった。今は数え切れないほどある。アイビースクェアはそこからすぐである。
これもウキペディアからだが、アイビースクェアは、
「江戸幕府の代官所跡に明治22年(1889年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、昭和48年(1973年)に改修され、観光施設として再生された。倉敷紡績の関連会社「株式会社倉敷アイビースクエア」が経営管理し、現在も倉敷紡績の登記上の所在地である。場所は倉敷美観地区に含まれ、建物は平成19年(2007年)11月30日に経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されている」
ということである。
煉瓦にからみつく蔦はちょうど冬枯れの終わりの頃で、蔦は枯れていたが、それはそれなりに風情がある。
4月になれば一気に緑になるだろう。
ここもたくさんの観光客がいた。実は以前来たとき、ここの蔦を一かけ(10センチほど)家に持ってきた。それが今では家の壁一杯に広がっている。蛇やトカゲの住処にもなってしまった。倉敷青春18切符
アイビースクェアをゆっくり通り抜け、元の美観地区に向かった。今度は路地の土産物店などをウォッチングしながら歩いた。かまぼこを買って川縁に腰掛け、食べた。その上を人力車が行き交った。京都や奈良では若い人力車夫が多いが倉敷は結構年配の人が多かった。
美観地区に来て行かなければいけないところがある。
カフェ「エル・グレコ」である。
以前来た折りもここに入った。ここもまだ蔦の葉はまばらであった。
店内は満席に近かった。コーヒーとお菓子を頼んだが、いずれもおい しかった。
30分ほどでエル・グレコをでたあと、駅に向かった。写真を撮りながら美観地区を抜け、今度は大通りを歩いた。駅に着いたのは5時を少しまわっていた。
帰りの電車は5時41分の姫路行きにした。たくさんの人がいたので座れない可能性があり、早くから並んで待った。待つ間に、特急やくもが通過した。
電車は思いがけなくクラシックなものであった。何となく懐かしい風情がある。電車は1時間20分ほどで姫路に着き、同じホームの反対側の7時27分発長浜行き新快速に乗った。
大阪には8時28分に着き、8時32分発関空快速に駆け足で飛び乗った。
日根野には9時29分に着いた。  
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