第5番 無尽山 荘厳院 地蔵寺 | ||||||||||||||||||||
六道の能化の地蔵大菩薩みちびき給えこの世のちの世 | ||||||||||||||||||||
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嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年弘法大師が開創されたという。 大師は、自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫られ、本尊に安置したと伝えられる。 その後、淳和天皇、仁明天皇の3代にわたり天皇家が篤く帰依され、さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。 この勝軍地蔵菩薩の信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。 これらの寄進により寺領は拡大し、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。 しかし、天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、これらの堂塔はことごとく灰燼に帰した。 その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力により堂宇が整備拡充された。 寺領は40,000平方メートル(12,000坪)にもおよぶ古刹である。 本堂左の参道をとおり、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。 安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが、大正4年参拝者の失火で罹災、いまは200ほどの等身大羅漢像がさまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。この羅漢像群は圧巻であった。 境内の大銀杏。樹齢は800年を超えているらしい。 団体客が何組かあったが一組のうちの一人の、場違いなドレスと振る舞いが気になった。 住 所 : 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5 電 話 : 088-672-4111 宗 派 : 真言宗御室派 本 尊 : 延命地蔵 胎内仏・勝軍地蔵菩薩(伝弘法大師作) |
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はじめに五番の地蔵寺に行った。10時35分のフェリーに乗った。いつもながら遅い。 地蔵寺ではコスモスがきれいに咲いていた。ついてから昼食を食べた。 |
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