第4番 黒厳山 遍照院 大日寺 | ||||||
眺むれば月白妙の夜半なれやただ黒谷に墨染の袖 | ||||||
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弘法大師が42歳にあたる弘仁6年、修行していたとき、大日如来を感得され、5.5センチほどの大日如来像を彫造された。 これを本尊として創建し、寺号を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられる。 また「黒巌山」の山号は、境内が三方を山に隔てられており、人里はなれたこの地は「黒谷」と称されたのが由来といわれ、地元では「黒谷寺」とも呼ばれていたという。 寂本(1631?1701)の『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)によると、かつては立派な堂塔が並び、美しく荘厳な小門から入った境内は広々としていた。しかし、歳月が経ち、伽藍の軒は風化していたが、応永年間(1394?1428)に松法師という人に夢の託言があって修復されたという旨が記されている。 伽藍は再び荒廃し、天和、貞享年間(1681?88)に再興された。 また、阿波藩主・蜂須賀家は代々大日如来を守り本尊としており、とくに5代藩主・綱矩公の帰依があつく、元禄から宝暦年間(1751?64)には手厚い保護をうけ寺塔の大修理がほどこされている。 本堂と大師堂を結ぶ回廊には、西国三十三観音霊場の木造観世音像三十三体(寛政2年)を安置している。 住 所 : 徳島県板野郡板野町黒谷字居内28番地 電 話 : 088-672-1225 宗 派 : 東寺真言宗 本 尊 : 大日如来(伝弘法大師作) |
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大日寺に着いた頃には、陽もかなり落ちていた。 次の6番安楽寺に行こうと思ったが、仕事の関係で予定していた便より早くに帰ることにした。 船着き場に来るとたくさんの車やバイクが並んでいて、結局バイクは満載となり、次の便に回され、結局は予定していた便になってしまった。 2時間あまりを周りを歩いたり、待合室でうたた寝などをして過ごした。 フェリーがやってきた頃は真っ暗だった。小さいバイクが轟音をとどろかせてたくさん降りてきたがダックスやシャリーの改造車だった。 船の中のテレビで菅野がすごいピッチングをしているのが映されていて家にかえってニュースを見るとノーヒットノーランだった。 |
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