第18番 母養山 宝樹院 恩山寺 | |||||||||||||||||||
こをうめる そのちちははの おんざんじとぶらいがたき ことはあらじな | |||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||
恩山寺は徳島市のシンボルといわれる眉山を右手に見ながら街中を通り抜け、勝浦川を渡って小松島市へ入る。 歩くのが順当だが、必要上車で向かった。 ナビのまま国道からの狭い道をのぼると、小高い山の中腹に恩山寺がある。 途中、道を少し外れた所に古びた山門があった。
駐車場に車を駐め、坂道を登っていると、お寺の方はどうかは分からないが、朝の挨拶をしてくれた。 それだけで身が締まる思いがして、四国八十八カ所のお寺にこれからお参りするという、ココロガマエをした。 境内にはいると大きな大師像が迎えてくれた。一般の人が寄進したと説明書きがあった。 本堂へはまず小さな階段を上る。 最初の階段を上ると右手の建物の中には10大弟子と仏様(地蔵菩薩かな?)の像がある。
その奥に事務所があるので、先に御朱印帳を渡しておいた。寺務所の女性に朱印帳を渡すときに、 「感じのいいお寺ですね」というと、 「この寺はもともとは女人禁制で、人々の災厄を除く道場でした。その昔、この寺で修行している弘法大師のもとへ、大師の母親が讃岐(香川)から訪ねて来たのですが、女人禁制のため会えませんでした。そのため、大師は母親のために、17日間滝に打たれ女人解禁の修行をおこないました。それから恩山寺になりました」 ということであった。 もとは、聖武天皇の勅願により、行基菩薩が厄除けのために薬師如来を刻んで本尊として開基し、大日山密厳寺と号し、女人禁制としたという。創建後百年を経て、この寺に弘法大師が滞在していたとき、母の玉寄(玉依)型り寸−訪ねてきた。 しかし、女人禁制なので上ることができなかった。大師は母のために山門辺りで十七日間の秘法を修し、女人開禁を成就して母を入山させて孝行の限りを尽くした。やがて母君は剃髪してその髪を納められ、大師は寺号を母養山恩山寺と改めた。 ふと和歌山の九度山との関連はどうなるかと思った。 そんな歴史を語るように、大師堂つづきに玉依御前をまつる小堂がある。 ここで髪の毛を剃りお堂の中にはその時の髪の毛が納められている。
本堂には少し長い階段を登る。 本堂の建物はいかにも歴史を感じさせる古侘びたたたずまいであった。 摺袈裟を販売しますと案内があったが、その意味が分からなかった。 帰ってからネットで調べると、摺袈裟(すりげさ)というお札は、恩山寺だけに伝わっているということで、摺袈裟とは、仏を表す梵字や仏の功徳を説いた言葉「陀羅尼(だらに)」を刷ったものという。 亡くなった人のひつぎに入れて極楽浄土への旅立ちの祈願をしたり、お仏壇の中に入れて亡くなった方の供養に使うらしい。 意味がよく分からなかったので買わなかったが、この寺限定なので買ってもよかったかな、とあとから思った。
境内が狭いので参詣はすぐ終わった。 般若心経を唱えなければいけないのだがあんちょこを持ってなかったので、できなかった。 認知症予防のためにも暗記をしたらいいのだが真剣に覚えようとしないのでダメ。 参拝客は、巡礼スタイルや地元の人と我々5人の、10人くらいであった。 朝、声をかけてくれたおじさんは、まだ竹藪の中で仕事をしていた。 坂を下り大門近くにあった100円の無人販売所でボンタンみかんを2つ買った。
住 所 : 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40 電 話 : 08853−3−1218 宗 派 : 真言宗高野派 本 尊 : 釈迦如来 (2015年12月30日 参詣) |
|||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||
|