白山神社のあじさい


東京都文京区の白山神社と神社裏の白山公園にはいろいろな種類のあじさいが約3,000株も植えられていて、毎年6月初めの土曜、と日曜には「文京あじさいまつり」が催されるそうです。2013年6月初めのあじさいまつりの前週に写した写真をご紹介します。上の写真の中央の小さな建物は手や口を清める手水舎(ちょうずや)で右手は社務所です。手水舎までがあじさいに囲まれているのは珍しいのではないかと思いました。ちなみに、Wikipediaによれば、白山神社または白山社という名前の神社は全国に165社もあるようです。中でも、愛知県に56社、岐阜県に21社と中部地方に集中しているようですが、東京都内にも7社あるようです。

白山神社の拝殿もあじさいに囲まれた感じです。

神社の右側裏手に富士塚という小山があり、ここもあじさいに覆われているようでした。ただし、この塚に上れるのはあじさい祭りの期間中のみとのことでしたので、外から見るだけでした。この山の上には「浅間神社」があるようですが、「浅間」というのは富士山が見えるという意味のようです(某大学の教授の方のお説です)。

富士塚には巨木が生えていました。

上の写真の右手の公園は、神社の裏側にある白山公園です。ここにもあじさいがたくさん植わっていました。

手水舎の近くの駐車場の入り口に、「孫文先生座石」の碑がありました。碑に書かれている説明によれば、日本で孫文(1866 - 1925)達を支援して、辛亥革命を支えた革命家、および浪曲師である宮崎 滔天(みやざき とうてん、1871 - 1922)とともに、孫文が1910年5月中旬に白山神社を訪れた際に腰掛けたのが石碑の前の石のようです。孫文は白山神社訪問の際に、たまたま夜空に光芒を放つ一条の流星を見て、祖国の革命に心に誓ったと言われているそうです。孫文は、1911年の辛亥革命を起こしたため、「中国革命の父」、中華民国では「国父」と呼ばれているそうですが、その革命の前年にここを訪問されていたようです。

ただし、「孫文が中国革命の成功を確信した場所——東京・白山神社境内」というホームページ( http://www.nippon.com/ja/column/g00242/ )によれば、「この流星とは、時期からみて、明治43年(1910年)のハレー彗星とみられ、東京では同月19日、降り続いた雨があがった東の空に現れた。彗星の尾は長く、夜空いっぱいに輝き、10日ほどで姿を消した。ただ、この孫文の話には異説もあって、孫文と共に流星を見たのは滔天本人ではなく、長男の龍介さんだったという」。龍介さんの長女、蕗苳(ふき)さんが、両親から聞いた話によれば、「その日、不審な中国人が自宅にやってきたため、清国のスパイと思い、母親が孫文を裏口から逃し、学生だった龍介さんを同行させたというのだ。逃れた先が神社。2人がそこで時間をつぶしていると、夜空に大きなハレー彗星が浮かび上がり、孫文はそれを見て龍介さんに「革命が成功する兆しだよ」と語ったという」。こちらの話の方が詳細で当時の緊迫感が伝わってくる感じがします(2015年2月8日)。

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