夜明け直前の静狩原野

2005年に札幌から東京まで高速度道路を使わないでドライブしたことは「函館元町の八万坂と記念館摩周丸」でご紹介しましたが、2009年6月には、いわゆる「1000円高速道路」を使って札幌・東京間を往復ドライブしました。ただ、函館・札幌間は、今回も一般道を使いました。というのは、札幌から途中の内浦湾沿いの豊浦という場所までの高速道路と一般道の走行距離を比べると、100km位高速道路の方が長く、時間もかかるためです。高速道路が、札幌・苫小牧・室蘭・豊浦とほぼ長方形の三辺を走るのに対して、一般道は、札幌・豊浦間をほぼ直線で結んで、長方形の残りの一辺を走る感じであるためです。

当日は、函館を朝8時に出発する大間行きのフェリーに乗る必要があったため、深夜に札幌を出発して早朝豊浦の道の駅で仮眠を取ったあと、走り始めて20kmくらいのところにある静狩峠から、夜明け直前の静狩原野を写したのが上の写真です。左上は噴火湾で、白い点のように見えるのは、自動車のヘッドライトであることが、解像度を高めると分かります。中央上のやや右よりに見える町並みらしきものは、長万部(おしゃまんべ)町かもしれません。下の4枚の写真は、2005年に同じ場所を通ったときに、昼間写したものです。

この辺りは、農村地帯に見えますが、夏は海霧の影響を受け冷涼で、泥炭地であったため、第二次世界大戦直後までは、湿原でした。そのためツルコケモモ、ヒミシャクナゲ、エゾカンゾウなどの植物群落が残る「泥炭地形成植物群落」として、昭和26年までは国の天然記念物に指定されていたそうです。ところが、昭和26年に、天然記念物の指定が突然解除され、「静狩原野開拓工事」が始まり、120戸の開拓農家が入植したそうです。北海道内には、開拓のために消滅した湿原が多数あるようです。下は、海岸沿いに立つ、開拓記念碑です。

「北海道の自然 湿原 自然保護」というサイト( http://freeride.7days.tv/nature.htm )に、開拓の経緯やその影響について書かれていましたので、ご紹介させていただきます。

「湿原の消滅は、道南にも多くみられ、現在6ヘクタールにもみたない静狩湿原は、 かつて800へクタールにもおよぶ広大な高層湿原でした。  その干拓事業は古くから土地の人々の夢でもあり 色々な計画があったようです。 当時、静狩湿原には大正13年に天然記念物に指定された泥炭地形成植物群落なるものがありました。 しかし昭和25年、この湿原の大規模な干拓計画が持ちあがり、あっけなく指定は取り消されてしまいました。

昭和25年、静狩原野開拓建設工事により、大掛かりな排水工事が行われ、 一気に静狩湿原は乾燥、消滅の道を辿り始めました。無数にあった沼は姿を消し同27年の冬には、越冬できなかった鯉やウナギの凍死体が無数に見られたそうです。 現在は草地、農用地から取り残された民有地に、かろうじて湿原が存在しているといった状況で、その6ヘクタールの土地は別荘地として道外に住む数百人が所有しています。  

長万部町史によれば、この群生の天然記念物指定から解除に至る公文書は、一切残されていないことになっています。しかし今もっとも深刻な問題は、 盗掘とゴミの投棄で、保護区になっているわけではないので取り締まる方法もありません。この知られざる湿原の問題は、そのまま身近な自然保護の難しさを考えさせられるのと同時に、今自分達に何が出来るのかを、 問われているような気がします。」

以上が引用です。下の2枚の写真も一番上の写真の海岸線沿いの部分で2005年に写したもので、JR室蘭本線と国道37号線が平行して走っています。

線路沿いには、エゾカンゾウの群生地がありました。

(2010年2月13日)

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