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塩の道 千国街道


塩の道 千国街道

古代から続く民衆の道、日本海と信州を結ぶ千国街道 大糸線は、この道に沿って走ります。


 江戸時代に越後では松本街道そして信州では糸魚川街道と呼ばれ山国信州の松本と海辺の糸魚川を結ぶ千国街道は、参勤交代の殿様が通ることのない庶民の道でした。
 日本海からは塩や海産物が運ばれ山国信州からは農産物や山の幸が運ばれました。それらの荷物は、牛馬や人の背に担がれて運ばれたのです。
きびしい自然や地形にもかかわらず山国信州の人々にとっては、かけがえのない道でした。ここでは古い街道跡や史跡が数多く残る大町市の青木湖畔から小谷村の千国までの道を紹介しています。








佐野坂の登り口 (大町市)

青木湖を右に見て千国街道の旅の始まりです。佐野坂峠は
大町市と白馬村の境にあって南北の分水嶺にもなっています。
杉木立の中を行く静かな道が峠へと続きます。




青木湖 (大町市)

北アルプスを映す静かな湖面
千国街道は、青木湖西岸を通ります。





西国三十三番観音 (大町市・青木湖畔〜白馬村)

文政12年、高遠石工によって彫られました。峠の白馬村側から1番が始まり
街道の西側に順に並べられています。遠い昔の旅人、街道を行き交う人々に
とって雪の季節には、道しるべにもなったのでしょう。心和む石仏です。






鬼石 (白馬村・南神城)

峠を越えて少し下った辺りの林の中、鬼が投げようとして
はたせず、その爪あとが残ったといわれる石です。他の
伝承では鬼が飛び立ったときの足の爪あとともいわれて
います。昔の旅人は、この石に何を思ったのでしょうか。




佐野坂峠の下り道 (白馬村・南神城)

杉の木立が、続きます。






街道沿いの茅葺屋根の民家 (白馬村・南神城)

かつては、珍しくなかった茅葺屋根ですが今は、残り少なく
なりました。屋根は葺き替えられましたが、今でも古い大きな
民家が残っています。




石仏群 (白馬村・南神城)

大糸線と国道に挟まれた街道。いたるところに残る
石仏に、古人の信仰心の深さがしのばれます。





道祖神と茅葺屋根 (白馬村・飯森)

道祖神は、男女二体が刻まれた双体道祖神が有名ですが、
これは文字碑です。飯森集落の入り口に置かれています。




長谷寺 (白馬村・飯森)

曹洞宗示現山、戦国時代の飯森城主、飯森盛春が
中興の祖、参道の大杉は、白馬村の天然記念物に
指定されています。





古道標 (白馬村・飯森)

飯森宿の北はずれの分されにあり、
(右えちご 左やま道)と刻まれています






飯森神社 (白馬村・飯森)

雨乞いの神社として信仰を集めていました。
八方尾根の八方池畔に奥宮があります。
周囲には石仏も多く、眺めのいいポイントです。



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天狗岳を望む (白馬村・飯森)

飯森神社から北へ、街道は田んぼの中を進みます。






路傍の石仏 (白馬村・飯森)

馬頭観音、街道沿いのいたる所でお目にかかります。
街道は、この先で姫川の支流・平川を渡ります。




空峠 庚申塚石仏群 (白馬村・深空)

小さな広場を取り囲むように道祖神や馬頭観音・庚申塔
など五十余基の石仏が。立ち並んでいます。





空峠 庚申塚石仏群の道祖神 (白馬村・深空)

肩を抱き合い男神が杯を持ち
女神が徳利を持つ双体像です。





みみずくの杜 (白馬村・八方口))

石碑や石仏、薬師堂が立ち、近年「足湯・薬師の湯」が整備
されて街道を歩くハイカーの憩いの場所になっています。




北アルプス 五竜岳を望む (白馬村・北城)

晴れた日には、北アルプス後立山連峰
白馬連山の眺めに圧倒されます。






北アルプス 白馬三山を望む (白馬村・北城)

街道は、この先で姫川の支流・松川を渡ります。




観音原 (白馬村・新田)

思いもかけない広さの四角い芝生広場、その周囲に西国・板東・秩父の百体観音と馬頭観音
など百八十七体が、立ち並んでいます。江戸末期、高遠石工の彫像といわれています。





霧降宮 (白馬村・切久保)

諏訪社、松本藩によって厚く保護されました。古来千国郷の惣社
でした。祭典を尾花祭りと呼び朱印状・鰐口・七道の面・薙鎌等の
多くの社宝があります。西側には岩岳スキー場が広がります。





おかる穴 (白馬村・切久保)

嫁と姑の不仲にまつわる話。おかると呼ぶ嫁が霧降宮に
ある七道の面を顔にかぶって姑をおどしましたが、面が顔から
とれずに洞穴に身を隠したという伝説があります。洞穴は楠川
に架かる瀬戸橋直下にあります。




楠川を望む (白馬村・切久保〜落倉)

楠川を渡り、街道はここから落倉へと登ります。





風切地蔵 (白馬村・落倉)

大風や悪霊・病魔を防いでくれる、お地蔵さんです。
この地蔵は、白馬連峰と東山にそれぞれ据えられた
風切地蔵と一直線上に並んでいるそうです。






松沢薬師堂 (小谷村・松沢)

南から歩いてくると小谷村の入り口にあたる場所です。
落倉高原と栂池高原の間の谷の一番低い場所になります。




松沢から望む北アルプス (小谷村・松沢)

この先、街道は前山へと登っていきます。




前山百体観音 (小谷村・親の原)






前山百体観音 (小谷村・親の原)

西国・板東・秩父の巡礼供養塔、江戸末期の高遠石工による
彫像です。正面に栂池スキー場が広がり天気のいい日には
白馬連峰の眺めがすばらしいところです。




前山観音前の街道から望む栂池高原






前山から沓掛へは、なだらかな高原の道が続き
白馬連山を望むことができます。 (小谷村・沓掛)




路傍の苔むした石仏 (小谷村・沓掛)

苔の着物を羽織ったような小さくて愛らしい石仏でした。





牛方宿 (小谷村・沓掛)

街道にはボッカ宿、牛方・馬方宿が数多くありましたが、次々と姿を消して現在まで原型をとどめる
唯一の牛方宿です。牛は土間に、牛方は二階にと一つ屋根の下に泊まって旅の疲れをいやしました。
2004年に改修され内部が公開されています




街道側からの全景
出入口


牛方宿内部
牛方宿内部





沓掛から望む東山 (小谷村・沓掛)

親坂の難所を前にして一息いれましょう。



親坂への下り口 (小谷村・沓掛)

親坂は、急な坂道が続く難所でした。
せせらぎの音が聞こえてきます。





弘法清水 (小谷村・親坂)

親坂の途中に湧く水場で、青苔におおわれた石舟にこんこんと湧き出る清水が
人と牛馬にしばしの休息を与えました。石舟は馬用と人用の二つあり今でも
変わらずに清水をたたえています。







牛つなぎ石 (小谷村・親坂)

街道脇の巨石に牛の手綱を結ぶ穴があけられています。今は、すっかり苔むして
いますが往時には行き交う牛方と牛に利用されて苔の生える暇もなかったことでしょう。









親坂の道 (小谷村・沓掛〜千国)

街道中の難所とされてきた坂道です。荷物を背負った
牛が歩きやすいようにと作られた石畳が残っています




親坂から望む千国の集落





石仏群 (小谷村・千国)

親坂を下って、千国の宿の入口にあたります。






千国宿 (小谷村・千国)

近世には、松本藩の番所が置かれ、信越交易の要衝として栄えました。街道をはさんで
宿が並び、集落の中央で枡形となり集落全体が緩やかな斜面上にあります。
暮市には大勢の商人が各地から集まり大変な賑わいを見せたそうです。


千国宿の民家

宿場のはずれに立つ歴史を感じさせる民家です。




千国の庄 資料館

この地にあった民家を移築した資料館には囲炉裏や居間が
往時のままに復元・保存されています。その隣に復元された
千国番所は、運上塩(通行税)の徴収や塩などの荷物や通行人
の人改めの監視場所でした。








千国番所跡の石碑




千国諏訪神社 (小谷村・千国)

千国宿の北のはずれにあります。毎年9月15日には奇祭「ささら祭り」が行われます。
千国街道の旅は、ここでひとまず終わりです。










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