17.ワーグナー:舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」


 リング! いわずと知れた、オペラ史上の巨峰。全曲盤CDは、学生の時分にはちょっと手が出なかったが、ショルティのハイライト盤やマゼールの組曲で“ヴァルキューレの騎行”“魔の炎の音楽”などを楽しんで、それなりに魅力を感じてはいた。
 就職して初めてのボーナス、迷わずショルテイ盤を買いに走った。ライトモチーフ集や分厚い解説もついてずっしりと重いそのCDを、いそいそと部屋に持ち帰ってあちこちつまみ聴いたものである。

 …それだけなのである。旋律が親しみやすい訳でもなく、独立した有名なアリアがある訳でもない。ライトモチーフは数が多すぎて把握しきれない。結局、楽劇の一つたりとも聴き通すことなく、大枚をはたいたCDは棚の端へ追いやられてしまった。つまるところ、僕にはワーグナーを聴くという心構えが無く、ただ巨大な世界に憧れただけだったのだ。

 数年後、偶然、黒田恭一さんの「オペラへの招待」(朝日文庫)という本を手にした。これには「フィガロの結婚」「椿姫」「カルメン」などの有名オペラの筋書きや登場人物の性格・心理描写などが初心者向きに解説されているが、「指環」だけは、どうアプローチしていくべきか、攻略本のように書かれていた。
 「もう一度試してみよう」と、この本を参考にして聴き始めた。台本(対訳)を丁寧に読み、ヴォータンの挙動を追っていく。時々、登場人物の関係を図にしてみる。すると解るのだ、以前よりずっと。壮大だが人間臭い神々の世界が、目の前に広がっていった。
 いったん面白いと思えると、興味が尽きないオペラである。「神々の黄昏」でヴァルハラの城が焼け落ちると、もう一度「ラインの黄金」へ戻って神々の入場のシーンを聴きたくなる。ブリュンヒルデが死ぬと、気の毒になって「ジークフリート」の愛の抱擁へ戻る。ついでに、眠らされる前の「ヴァルキューレ」の魔の炎の音楽も…。

 要するに、足を洗うと手が汚れる、「リング」はそんなオペラなのだった。

 まだ実演に接したことはない。今年(2002年)の2月、バレンボイム率いるベルリン国立歌劇場の引越し公演があったのだが、S席4晩で19万6千円。いくら独身貴族でも、そんなに出せるものではない。いつか、バイロイトで体験したいものだけれど。

 DVDは2種視聴していて、サヴァリッシュ/バイエルン国立とレヴァイン/MET。演奏の水準自体はバイエルンが上回るように思う。しかし、長く愛蔵するのは、SFっぽい演出のバイエルン盤ではなく、非常にオーソドックスなメト盤だろうと思う。作られた頃に想像もされなかったような演出というのは、特にワーグナーではどこかに無理が生じるのではないだろうか。

追記:
 2002年9月、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の「ヴァルキューレ」で、ついに「リング」初体験。ワルトラウト・マイヤーのジークリンデが素晴らしかった…!
 ついでに、お土産にブーレーズ/バイロイトのDVDを買ってきた。シェローの演出は舞台をダムの工事現場に見立てるというもので、これはこれで、それなりに説得力はあると思うが…。

2002.10.7

ワーグナー
舞台祝祭劇「ニーベルングの指環」全曲

Deutsche Grammophon POBG-1001/2(DVD/国内盤)
ジェイムス・モリス(ヴォータン)
ヒルデガルト・ベーレンス(ブリュンヒルデ)
ジークフリート・イェルザレム(ジークフリート)

ジェイムズ・レヴァイン指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
(1989-90年ライブ収録)