健司の夢の中。

 健司はマンションの階段を気怠そうに昇っていた。
 ピンポーン。
 健司は一室のチャイムを鳴らす。誰も出て来ない。チラシを郵便受けに入れ、隣の玄関で同じ事をする。それを延々と繰り返す。
 ピンポーン。
「はーい?」
 やっと返事が聞こえ、眉間のしわが険しい中年主婦がチェーンロックの隙間から顔を覗かせる。
「あのぉ、私、ボディーライフ製薬の山中と申します。今日は、テレビ通販などでお馴染みの健康ドリンク、ローヤルゼリーウコン茶のご紹介にお伺いした訳でして」
「興味ないわねぇ」
 主婦はドアを閉めようとする。
「あっ! よろしければ、試供品だけでも……」
 締め掛かったドアが、開く。

「あらっ、あのテレビでやっているやつね。思い出したわ♪」
 主婦は、急に機嫌を良くし鼻息を荒くした。
「はい、このローヤルゼリーウコン茶には、他にも大麦若葉やニンニクエキス、自然植物から抽出した……」
「はいはい。うんうん」
 主婦は健司の説明に愛想良く相槌を打つ。主婦の視線は、ちらちらと試供品の方を追っていた。
「それでは、お試し下さい」
 主婦の手に試供品が渡される。
「はい、試してみますわ」
「もし、気に入って戴けたら、こちらの注文書で……」
 バタンッ!
 健司がチラシを取り出そうと鞄に目を逸らした隙に、主婦はドアを閉めてしまっていた。
「あ、あの……」
 健司がうろたえる。しばらく、呆然とドアを見つめているが、そのドアが再び開きそうな気配はなかった。
「仕方ないなぁ……」
 いつもの口癖を呟きつつ、チラシを郵便ポストに入れる。

 ピンポーン。
 健司は隣の部屋のチャイムを鳴らした。家主は現れない。健司はチラシを入れて隣の部屋へ……また、延々と繰り返す。

 ピンポーン。
 ガチャ!
 ドアが開いた。
「山中っ! 今日も、ひとつも注文を取って来られなかったって? お前、やる気あるのか?」
 突拍子もなく、マンションの一室が会社に変わってしまう。中から出て来たのは、健司の上司だった。
「はぁ、申し訳ありません」
 健司が頭を下げる。
「申し訳ないと思ったら、注文を取って来い! 斉藤にでも、コツを聞いたらどうだ?」
「いやぁ、僕なんかとても……」
 部屋の中では斉藤と呼ばれた若い男が苦笑していた。リクルートスーツを感じさせる真新しいスーツが、新入社員だと物語っていた。斉藤は壁に貼られた折れ線グラフに自分の業績を書き込む。斉藤の線の遙か下方に山中健司の名があった。
「はぁ、残業に行って来ます」
「当たり前だ! ノルマ達成するまで帰ってくるな!」
 健司はポリポリと頭を掻きながら隣の部屋へと向かう。
 

 
 

 
 ピンポーン。
『はい』
 ガチャリとドアが開く。
「あのぉ、私、ボディーライフ製薬の……あれっ?」
 誰の姿も見えない。健司はドアの裏と部屋の中をキョロキョロと見回す。
『ここです』
「えっ……」
 健司は腰をかがめ、声の聞こえる足下を覗き込んだ。
「……ひ、ひいっ!?」
 私の姿を見て、一気に仰け反る。驚くのも無理もない。私は手の平大の異形の胎児で、しかも血まみれで腐臭を放っていた。

 ドアが消え、背景がホワイトアウトする。真っ白な空間に、私と健司だけがいた。
「な、なんだ!? なんだこれは!?」
『私は今日、中絶された胎児。あなたの子供です』
「ば、化けて……お、俺を恨んでいるのか!? し、ししし、仕方……仕方なかったんだぁぁ!!」
『恨んでいる訳ではない。私はただ産まれたい。私は……』
「やめてくれ! 近寄らないで! お願い! 仕方なかったんだ! 許して! 許して! 許して! 許して! 許して!」
『ち、違う……お、お父さん……!?』
 世界が……夢の空間がガクガクと震える。ヒビが入り崩れる。
『ま、まだ……』
 伝えたい事を言えないまま、私は夢から排出された。
 

 
 


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