●二章:帰巣
 

 
 

 
 母の匂いを辿り、団地の一室に辿り着く。表札には大きな字で名字の『山中』と、小さな字で五人の名前が書かれていた。父は健司(けんじ)、母は実沙絵(みさえ)、幼い娘……私にとっての姉が三人おり、上から実衣子(みいこ)、沙織(さおり)、絵美(えみ)。姉は母の名前を一つずつ貰っているらしい。
 両親はまだ若く、姉達は長女から五歳、三歳、一歳と言ったところだろうか。夜も更け、姉達は既に寝息を立てていた。

 私は押入に忍び込み、みんなが寝静まる夜を待っていた。寝ている間に母の胎内に戻ろうという作戦だ。
「狭い家だな。おおっ、へそくり発見だ♪」
 デビコは人間から見えないように姿を隠せるらしく、興味深そうに部屋のあちこちを探索している。

 ベランダで煙草を吸っていた健司が、寒そうに寝室へと戻る。
「健ちゃん……」
「なんだ実沙絵、まだ、起きているか?」
「うん……まだ、寝付けなくて」
 母、実沙絵は悲しそうな顔で自分の腹に手を添える。
「気にしないで、早く寝ろ。仕方なかったんだ」
「仕方ないって……簡単に言わないでよ! ここには、確かに子供がいたのよ。たまに動いて、元気で……それを……」
 実沙絵の頬を涙が伝わる。情緒不安定になっているようだ。
「ちゃんと避妊はしたんだ。俺達のせいじゃないよ」
「産まれてもいない罪のない子供を殺したのよ! それだけなの!?」
「仕方ないだろ……」
 これが、健司の口癖らしい。夫に当たる妻、運が悪かったと言いたげな夫。二人とも、何かのせいにして気を紛らわせようとしていた。

「家には、三人も子供がいるんだ。仕方ないだろ」
 家計が苦しい。それが、私が中絶された理由だった。聞きたくなかったが聞こえてしまった。
『私は……そんなつまらない理由で産まれる事が出来なかったのか』
 悔しさと怒りと悲しみが同時に沸き上がった。
 

 
 

 
 深夜になる。健司も実沙絵も寝息を立てていた。
「寝てるぞ。もう、ぐっすり寝てるぞ。何、じっとしているんだ?」
 デビコが私の手を引っ張る。
『…………』
 私は考えていた。
「早く早く♪」
 デビコに急かされ、隠れていた押入から追い出される。
『…………』
 母の腹の横に降り立ち、私はもう一度考え込む。
「何やっているんだ? ママのお腹に戻るんだろ?」
『……いや、駄目だ』
「おっ?」
『このまま戻っても、また、中絶されてしまう』
「…………おー、そうか!」
 デビコはしばらく首を傾げた後、ポンッと手の平を打った。中絶の原因が直らなければ、再び中絶される事が目に見えていた。
「でも、どうするんだ? デビコ、面白そうだから力を貸したのに、このままじゃ面白くないぞ! 早く何とかしないと、お前腐っちゃうぞ!」
 デビコは勝手な事を言って、勝手に怒っている。彼女の指摘通り、私の腐臭が強くなっていた。未完成な肉体は、自力で生きることが出来ない。母に栄養を補給して貰わなければ生きられない。

『中絶の原因……』
 私は父、健司を睨む。この男の稼ぎが少ないせいだ。
「そうだ、そうだ! こいつが悪いんだ。夢枕で恨んでやれ! 呪ってやれ♪」
 デビコは私の体を持ち上げて、健司の頭の近くに落とした。
『産まれたい! 産まれたい! 産まれたい! 産まれたい!』
 恨めと言われても、私の一念は変わらない。父を懸命に働くように説得出来れば、母は私を産んでくれる。私は、その希望にすがり、健司の夢の中へ入って行った。
 

 
 


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