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ザンギの由来


 

ザンギとの出会い

私の生まれは青森県八戸市だが、現在は北海道札幌市に在住している。
北海道でも札幌程の場所ならば、四季を通しての気候は青森とそれほどかわらない。
それと同様に言葉、方言も海を隔ててはいるが、それほど変わらない部分も多いのである。
東京は東京弁であって、標準語ではない。一番標準語に近いのは北海道だ。という言葉を聞いたことはないだろうか?嘘である。確かに北海道の言葉はズーズー弁のように独特のイントネーションを強く持っている訳でもなく、津軽弁のような独特の発声がある訳でもない。
私は、父が地方公務員だったことで、生まれてから常に青森県の全域に転勤、転校を繰り返していた。青森県というのはおもしろいところで、津軽弁、南部弁、下北弁という三大方言が地域により厳密に使い分けられているのである。だからこそ、私は方言と方言の区別をつけることには昔から慣れていたこともあって、北海道は訛りや方言が結構強いのだと感じることが出来たのだ。

方言に関して云えば、北海道独特。というものはそれ程あるわけではない。
「雪かき」という単語は雪の降る地方ではどこでも使われる言葉だし「ゴミを投げる」という言葉も東北地方以北では日常的に使われる言葉である。考えてみればその理由も明白で、一般的にイメージされる北海道とは、常に開拓の歴史と共にあり、本州に住む多くの人々の開拓こそが現在の北海道をつくったのだから。もちろん、先住民であるアイヌの人々との関わりは北海道に多大な影響を残してはいるが、その殆どが訛り、方言ではなく地名などにおける「名残」でしかみることが出来ないのが現状である。
その中にあって、これは北海道独特。という方言も数少ないながら存在している。
それは「わや」であったり「なまら」であったりする訳だが、これを標準語に変換するのは非常に難しい。簡単に表現するならどちらも「とても、すごい」という形容詞になるだろうが、シチュエーションにあわせてその形容詞が名詞にもなるし動詞にもなる。
友人との会話で「もう、わやだった」と使われるのはよくあることで、これはこの地方に住んでその空気を体感してみないと一体なにを云っているのか、なにを伝えたいのかは分からない。

そんな北海道に住み始めた私が、もっとも驚いたのは「ザンギ」という言葉であった。
ザンギ?
ザンギと云われて頭に浮かぶのはストリートファイターシリーズのソ連戦士ザンギエフの略称だけである。だから、コンビニで平然とザンギ弁当というものが売られていても、あの厚い胸板に剛毛でたわわな胸毛を想像してしまい、未だに買う気になれない。
ザンギというのは、どうやら鳥の唐揚げの事を指しているらしいと分かったのは、札幌に来てからしばらくした後、飲み屋での会話がきっかけだった。

友人「すいませーん、ザンギもう一つお願いします」
私 「?ザンギってなに?スト2?」
友人「いや、ザンギさ、ザンギ」
私 「?」
友人「えっ、ザンギしらないの?これだよ、これ」
私 「いや・・・単なる唐揚げじゃん。これ」
友人「そうだよ。これがザンギさ。へぇ、知らないんだ?」
私 「なるほど、おもしろいね。北海道では唐揚げのことをザンギっていうのかぁ」
友人「いやぁ、それがね。ちょっと違うんだな。唐揚げとは」
私 「は?これ、唐揚げじゃん」
友人「ザンギと違って唐揚げはね、もうちょっと水分が・・・云々・・・」

最後の友人の会話であるザンギと唐揚げの違いは、正直言って未だに私には承認できない。単なる地元の愛着心でしかないと思っている。この文章を読んでいる北海道の人は、もしかしたら「いやぁ、ちがうねぇ、ザンギと唐揚げは」などと思っているかもしれないが、それは明らかに誤った認識である。友人が熱く語った唐揚げにおける水分量の違いというものは、単なる地方的な違いでしかない。衣をつける前に下味として調味料に浸すという作り方も、他の地方では唐揚げの手順として平然と行われている所もあるのだ。

ザンギという言葉は、北海道の人々にとっては非常に当たり前な言葉なのである。
全国規模のコンビニエンスストアでザンギ弁当という弁当が売られていたときの衝撃は、北海道に生まれ育った人には全く分からない感覚なのであろう。本州では唐揚げ弁当というラベルを貼られて売られている商品が、北海道では北海道の為だけにザンギ弁当というラベルをつくってまでに、その名前にこだわっているのだ。
これほどまでに深く浸透した「ザンギ」という言葉だが、北海道生まれではない私にとっては当然の疑問である「なぜ鳥の唐揚げをザンギというのか?」という事には、誰も関心を持っていないようである。

ザンギがなぜザンギと呼ばれるようになったのか、その理由を調べてみると数多くの回答が見つかった。

・中国語の「炸鳥(ザーキー)」からきた
・昭和20年代に北海道の釧路で「ザーギー」という名で売り出したけれども、あまりに売れないので、「ザ」と「ギ」の間に「運」を入れた。
・ある会社の商品名がそのまま定着したものである。
・アイヌ語ではないか。

などといった説が数多く見受けられた。
が、これらの説は何一つ問題の本質を得てはいない。この問題の根源はなぜ「ザンギ」という名前がついたのか。であって、表面的な繋がりをただ示せばよいと云うものではないのである。言葉には歴史があり、過去、現在、未来と連続的に接続されている。そして、その中心にあるのは常に人なのだ。
言葉の由来を説明するためには、そこにいたであろう人の流れを説明してこそ初めてその真実が明らかとなるのである。
中国語からきたというのであれば、なぜ北海道にその中国語が伝来されたのか、その点を明確にしなければ意味がない。釧路の店の駄洒落が発祥ならば、その後なぜ札幌にまで流れ、北海道全土に定着するまでにいたったのかを説明しなければ、単なる駄洒落で終わりである。ある会社の商品名ならば、なぜその会社がその名前にしたのか、そちらを追求することこそが問題の本質であって、この回答自体は問題外である。アイヌ語には、残念ながらそれを示すような言葉は存在しない。

ザンギ最大の謎とは?

ザンギに関しては、その由来を紐解く重大な2点の問題が存在する。
一つは、ザンギという言葉は鳥の唐揚げを指し示す言葉であって、唐揚げという料理法を指す言葉ではない。ということ。
一つは、ザンギという言葉が北海道のある地方だけに存在する言葉ではなく、北海道すべての人々に使われている言葉であるということ。
の2点である。

一つ目の問題には多少の説明が必要であろう。
札幌の飲み屋から全国チェーンにまで成長した大衆居酒屋が「つぼ八」である。つぼ八には全国チェーンでありながら未だに北海道の名残が多く残っている事は有名である。例えば脂ののった白身と大根下ろしの絶妙なおいしさが自慢のほっけの天日干しを全国に広めたのもつぼ八であるし、人気の高いたこザンギがあるのもまた、つぼ八である。
たこザンギはその名の通りたこのザンギであり、いわゆるたこの唐揚げである。この用法から云えばザンギ=唐揚げとなるのだが、そう簡単には進まない。なぜならば、北海道に住む人は決して「鳥のザンギ」という言葉を使わないからである。ザンギ=鳥の唐揚げたこザンギ=たこの唐揚げという二つの言葉があるのならば、どちらの言葉がが先に定着したのかは明白である。たこザンギがたこザンギと呼ばれる為には、ザンギという言葉が定着した後、ザンギと同じように油で揚げたから。という後付の理由が必要だったのだ。だからこそ、傍目にみればザンギ=唐揚げのように受け取ることがあるかもしれないが、あくまでもザンギ=鳥の唐揚げなのである。

もう一つの問題は、先述した言葉が持つ人の流れという点で非常に重要なポイントを指す。
ファミコンという言葉がある。それまではテレビゲームというジャンルすら明確に確立されてはいなかった時代に一大旋風を巻き起こし、全国の子供たちを虜にしたテレビゲーム=ファミコンである。勿論、ファミコンが一大センセーショナルとなったのは一昔10年以上前のこととなり、現在ではプレイステーション2、ドリームキャスト、ニンテンドー64など大手各社が犇めいている。が、年輩の世代に云わせれば、未だにそれらはすべてファミコンなのである。それまでに存在しなかったもの、弱かったものに、ある大きな具体例が登場すると、その存在は具体例と等しい名前を持つのである。つまり、テレビゲーム=ファミコンとう等式が自然と成り立つのである。そして、その等式は急速に未開の地域にまで浸透していくのである。
ファミコンを例に出したのは、ザンギにも同様のことが云えるからである。
ザンギは北海道のある一部の地域にのみ広がったものではない。北海道全土に同じ感覚で認識されているのだ。ならば、ザンギという言葉が広まったのも、鳥の唐揚げという言葉が広まる以前の事だったのではないかという推論が成立する。

しかし、ここで私の思考上での検証は大きな壁にぶつかった。
ザンギは少なくともアイヌ語ではない。釧路の店が始めたといっても、それまでに鳥の唐揚げが一般家庭に広まっているのであれば、今でもザンギではなく鳥の唐揚げと呼んでいるはずである。中国から伝えられたといっても、それ程昔に北海道と中国の大々的な繋がりはあり得なかった。では、いつ、どこから、どのようにして、だれが伝えたのか・・・明確な回答を探し当てることが叶わぬまま、この問題は棚上げにする必要があった。

しかし、邂逅は唐突に訪れた。

ある日曜日、朝早くに起きた私は目的があるわけでもなくNHKのニュース番組を眺めていた。どうやら地方中継があるらしく、その地方伝統の料理を紹介する番組らしい。テレビ画面に映っているのは愛媛県今治のありふれた田舎町であった。一人の老婆が腰を曲げながらも一生懸命に料理をつくっていた。その時、レポーターが「このように、鳥をぶつ切りにすることをこの地方では「せんざんき」といいまして・・・」と言った言葉が妙に耳に残ったのである。せんざんき、鳥のぶつ切り、今治、瀬戸内海、ニシン、昆布、北前船・・・一度壊れた積み木のおもちゃが重力に逆らって再構成され、大きな城に復元されていくような、この思考上の快感は何事にも代え難い人間のみに許された究極の快楽である。

私は即座に今治で呼ばれる「せんざんき」という言葉について調べてみた。
せんざんきは主に鳥のぶつ切りのことを指す言葉らしいのだが、鳥の唐揚げの事をせんざんきという地方もあるらしい。
今治で鳥のぶつ切り、鳥の唐揚げのことをせんざんきというのか、これに関しても諸説交々であるが、一番有力なのは北海道でのザンギ説と同様中国伝来説であった。
私は、今治におけるせんざんきは中国伝来説で正しいと確信する。
にもかかわらず、北海道のザンギ中国伝来説を否定するのは、人の繋がりが全く見えてこないからである。

先述したが、言葉には歴史があり、過去、現在、未来と連続的に接続されている。そして、その中心にあるのは常に人なのだ。それが説明できないのならば、それはなにも証明していないに等しい。

愛媛ならば、九州とも海を挟み、瀬戸内海を通じて昔から海外文化の伝来が行われていたのである。そして、鳥を料理する、鳥を油で揚げる、という行為に日本独自の名前が定着する以前に中国の文化が一大センセーショナルとして定着するには十分な地理的状況があったのである。
中国から伝わった鳥に関する料理方が海を越えて愛媛今治に「せんざんき」として定着した。それと同時期、北海道には未だ中国との直接的な繋がりが無く、また、鳥に関しての料理法も定着してはいなかった。そこで登場するのが北前船である。
ここで、北前船の紹介をしておこう。学校でも必ず習うが、北前船は、江戸時代から明治にかけて活躍した船のことである。「北前」とは“北の前には日本海がある”という意味とも言われている。北前船は日本海で人を運び、物を運び、そして文化を運んだネットワークであったのだ。
北前船には上りと下りがあり、上りとは北海道から瀬戸内海、大阪、途中の寄港地にニシンやニシンかすという肥料を運び、下りは逆に北海道へ米や塩、茶や綿、薬などを運んでいたのである。
下りの荷物の多くは、茶や綿、薬などから分かるように、大陸からの伝来である。つまり、北海道は北前船を通じて中国の文化を取り入れていたのだ。
言葉がにているから、という理由だけで中国=北海道を結びつけるよりは、中国=今治=北海道という船を通じての人と文化の繋がりの方が余程綺麗ですっきりとまとまっていると云えるのではないだろうか。この理論ならば、北海道に近い青森や秋田にはザンギという言葉が全く伝わらず、北海道と今治にだけ似た言葉が伝わっていることもすっきりと証明できる。

この推論には一部証明していない点がある。それは、中国=今治=北海道という流れがあるというのであれば、炸鶏(ザーキー)=せんざんき=ザンギという言葉の繋がりを証明しなければいけない。ということである。釧路の店の駄洒落を否定したにも関わらず、せんざんき=ザンギとうい駄洒落みたいなことを採用するのか。と思われるかもしれない。
しかし、私が釧路の店説で否定したのは、釧路が出発点であれば札幌、北海道全土まで広まった理由が説明できない。という一点であって、駄洒落をみとめないと云っているわけではない。

言葉は常に変容して行くものであり、様々な意味を持ちうるものであるが、その変容の仕方は地理的な状況というものが非常に強く働くのである。
中央から発生した言葉は、東西南北に広がるたびに変容を続け、独自の言葉として定着する。その言葉は、南方に広がる際には文字数は余り変わらずに変容するが、北方に広がる際には文字数が少なくなり、言葉も濁っていくという変貌を見せるのである。その証拠に、津軽弁は一文字や二文字で構成された言葉が数多く存在するのである。有名な話で、「どさ?」「ゆさ」というものがある。「どこにいくんですか?」「ちょっと銭湯に入ってきます」という会話がここまで短くなるのである。
なぜこのような傾向があるのか、この現象に対して明確な答えは出されていないが、北は寒いから、余り口を開けていられない。という笑い話のような説が、実は一番説得力があったりするのである。
これをふまえて、せんざんきがザンギに変貌したとしてもなんの不都合も起こり得ないのである。主点はあくまでも人の流れを探すことにあったのだから。

これで、ザンギの由来に対して「私自身が納得できる私の説」の証明は終了である。
現実に存在する事象に対して疑問を持ったら、自分の視点でその疑問を解明することこそが、真実に繋がる道である。たとえ、その結果が辞典主義や権威主義と大きく異なるものであったとしても、何一つ臆することはない。辞典が正しいとは誰も決めていないのだし、権威は常にむち打ちで首が回らない。そこから新しいものを見つけることは出来ないのである。そして、真実とは常におもしろいものである。今回の理論であればどちらがおもしろいかは云うまでもない。

もしも、飲み会の場でザンギの話題が出るようなことがあったら、北前船に命がけで乗った海の男たちの蛮勇に思いをはせながら、目の前のザンギをしっかりと噛みしめ、染み出す肉汁をじっくりと味わってみるのも又、一興かもしれない。

QED

FILE...2 サクマ式ドロップスとインタフェース


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