タイの神話の中に、インドが起源ではないかとも思われる「異郷訪問神話」があります。「天人女房」と「浦島太郎」が1つの話になっている神話です。この中の「天人女房」の説話が「天人女房」と「竜女説話」に分かれるそうで、分かれた後の「天人女房」は「難題型」「七夕型」「七星始祖型」の3つに分類されるそうです。これらが雲南省から北上して中国へ、その中国南部から更に南下してベトナム、フィリピン・ルソン島へと伝わっているようです。「浦島太郎」は豊穣、或は、富をもたらす神話ですね。(A4.C7)
異郷訪問神話の主役と地名を比較しますと以下のようになります。
表:「日本民間伝承の源流」から引用・抜粋 比較 インド・パーリ語 南部タイ語 西双版納タイ族 雲南省のタイ族 ストン王子 Sudhana Phra Suthon Zhao Shutun 召・樹屯 マノーラー姫 Manohara Nang Manora Nan Muluna 喃・(女若)娜 北パンチャン国 Uttra-pancala Uttarapanchan Banjia 板加
(女若)は一つの漢字です。インドの「スダナ・クマーラ・アヴァッダーナ」の説話が、タイの「ストン・チャードク」としてほぼ忠実に説話が伝わり、説話が伝承された地域で、もともとあった説話と融合分裂を繰り返した形跡があるそうです
現在タイ南部舞劇に「Noraノーラ−」と云う劇があるそうで、これとほぼおなじ説話である中国の西双版納の舞踏は「孔雀の舞い」と云うそうです。このように異郷訪問神話はインドから稲作の発祥の地「雲南省」へと伝わったと思われます。ただし説話が全く逆のルートで中国からタイへ、そしてインドへと伝わった可能性も否定できません。(A4.C7)
比較 | タイ国 | 中国 |
始まり | 竜王が猟師に命を助けられる | 男が動物を助ける |
水浴 | 竜王の手助けで | 動物に教えられ |
飛来 | 池に飛んできたキンナリーを捕らえる | 沐浴中の天女の羽衣を隠す |
天女 | キンナリーの一人マノーラーを妻とする | 天女を妻とする |
子供 | なし | 子供が生まれる |
帰る | 誹謗にあい殺されそうになり翼と尻尾を帰して貰いカイラートに帰る | 羽衣を手に入れ |
追跡 | マノーラーの教えた方法で後を追う | 天まで追いかける |
結末 | 父の難題を解決して再び夫婦となる | 難題型・七夕型・七星型 |
まずタイの「竜王」ですが、生産的な農耕の方法を見つけて国が豊かになり、隣国の王に妬まれて殺されそうになります。この「生産的な農耕の方法」とは何の事であるかは分かりませんが、豊穣を意味する話になっています。
中国ではこのタイの「竜王」が竜女伝説や竜王伝説へと独立するようです。浦島太郎では竜宮城へ行きますが、お土産の玉手箱は、財宝又は豊穣を意味します。次に「夫が天まで追いかける」方法ですが、中国では「天女に抱えられ一緒に行く」「助けた動物の皮を使って飛ぶ」などに変化しています。
最後に重要な「難題型」「七夕型」「七星型」への変化です。
(A4.C7.C1)
- 難題型は天女の親から無理難題を課せられて、助けた動物から知恵を授かり難題を解決してゆく等の話で、解決できないで地上に帰れなくなる話もあります。
- 七夕型は難題が解決できないで、二人が7月7日に一度しかあえないもの。3月に一度を3年に1度に聞き違えてしまうものなどがあります。
- 七星型は天女が7人降りてくるのですが、「北斗七星の七」と「昴の七」の話があるようで、昴の七は、天女の一人が王族(七夕始祖型)となり星の数が六になったものがあります。
この変化の中でインド・タイに於いては「知」「力」「豊穣」のインド・ヨーロッパ語族の特徴である三体機能がありますが、中国に渡ってからは天上と地上の二極対立へと変化します。ここに訪問説話が「竜女」「浦島」「七夕」などへと分離していく理由があるようにも思えるのです。(A4.C7)
異郷訪問伝説はインドからタイに渡った時点から「星」を加味した話へと変化して行ったようです。
表:「日本民間伝承の源流」より抜粋引用 比較 インド タイ 国王 大いなる財 太陽 王妃 不明 月の女神 人数 5百人 七人の姉妹と侍女千人 飛翔力 宝玉のかんざし 翼と尾 夫が後を追う時間 不明 七年七月七日 王妃との再会 不明 七日間 伝承がタイに入りますと全体に聖数の7が多くみられます、また国王と王妃は太陽と月、7人の姉妹は「太陽」「月」「火星」「水星」「木星」「金星」「土星」を象徴しています。またインドでは飛翔力は「かんざし」で国王の「大いなる財」に掛かっていますが、タイでは国王は「竜王」であるので「翼と尾」に変化しています。
また夫が後を追う時間では、夫の地上時間は7年7月7日ですが、天女の天上時間では7日であって、浦島太郎現象が起きています。
こうした伝承は一度に伝わるものではなく、間隔を置いて波状的に何度も伝わるのが通例であるそうで、その伝わった時代の状況で話が変化して行くのだそうです。
(A4.C7)
このなかの難題型の難題の種類ですが、漢族では虫や蛇の害、少数民族では力試しや知恵試し、山地民族は焼き畑の全過程があります。農耕や虫害と云った項目が多いのが目につきます。「捜神記」や壮族の話には「田」「稲」等も出てきていて、焼畑・稲作の両文化が共存しているようにも見えます。始祖型のみの分布からみてやはり伝承は北上していった気配があります
- 七夕型は七夕説話と羽衣説話が融合したもので揚子江より北方に分布
- 七星始祖型は七星と始祖伝説が融合したもので揚子江南の主として沿海地方に分布(始祖型のみのものは北にも伝承しています)
- 難題型は天女を追って男が天に行き、天女の父から何か難題を課せられるもので、西南少数民族の大部分・広東・福建・山東・東北 蒙古など広く分布
タイから中国に伝承が入った地域が少数民族の多かったことから伝承が様々な形に変化していったようにも思えます。
(A4.C7)
七夕の伝承は大きく分けて3つの説があるようです。
- 農業生活を上代漢民族で、2星が接近する7月の男女相思の説話であるとする説
- 五穀豊穣の神事祈祷の生命力を象徴する穀神(神牛)と豊穣の女神との会合が牽牛織女の伝説になったとする説
- 西王母と東王公が分裂し、二星の会合は宇宙の再生を意味するもので、その信仰が薄れ牽牛と織女になったとする説。
(C7.C8.A4)
七夕に関係すると思われる民話の経路を「民族学」の本で探して見ますとインド−−モンゴル−−アルタイ−−ブリヤート・ヤクート
モンゴル−−中国−−−−−ブリヤート・ヤクート
インド−−タイ−−中国−−ブリヤート・ヤクート
以上のような経路が浮かび上がってきました。通常の伝承経路の説(1920-1930年代)は、上記の図と逆さまの経路で、アルタイ語族が印欧語族へ牧畜文化とともに影響を与えたとされています。しかし最近の説(S60ぐらいから)では秩序だった農耕文化が牧畜文化へ影響を与えたとする考えが多く出てきているようです。伝承は西から東の方向へと言う事ですね。(C7.C8.A4)
民話などの伝承はブリヤートやヤクートに集まる傾向があるようで、民話はこの地において一番原形をとどめた形で存在することが多いようです。
またこの地の神話は日本神話に非常に良く類似していることも一つの特徴なようです。(C7.C8.A4)
インド・ヨーロッパ語族には共通の神界の構造や特徴(フランスのジョルジュ・デュメジルの説)があります。この印欧語族のうちにイラン系譜の遊牧民がおりまして、彼らの遊牧文化を継承したのがアルタイ系の遊牧民であるそうなのです。
「三神一体」の神話はこのような経路で西から東へと伝わって行ったようなのです。日本は原始アルタイ語族に属しますので、日本神話とギリシア神話が似ていても不思議ではないようですね。七夕の「牽牛」「織女」「天漢」の構造は、この「三神一体」から来ているようにも思えます。(C7.C8.A4)