三国志〜魏書〜文帝伝
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◆◆◆概要◆◆◆
●概要
 魏(ぎ)の曹丕(そうひ)が後漢(ごかん)の皇帝から帝の位を譲り受ける時の正史(せいし)の 記述から星の関連記事を抜き出してみようと思います。

 後漢の最後の皇帝は「献帝(けんてい)」。国を献じてしまったので献帝と呼ばれます(^^;)

 魏の初代曹操(そうそう)は皇帝を利用するために漢の臣であり続けましたが、 二代目の曹丕は、中国では支配者が変わる時に最も良いとされる禅譲を選びました。
 禅譲とは戦によらないで、平穏に相手に皇帝の位を降りてもらい、その位を 譲り受けることを言います。ここに400年の歴史を持つ「漢」が滅亡します。

 で、ありますから。献帝を引きずり下ろすために、 色々ゴテゴテ理由を考えないといけない。  そこでゴテゴテ理由の中に「天文」がありますので、 内容を見てみようと思いまする。 

◆◆◆辛酉革命説◆◆◆

●辛酉革命
 易で言う六十四卦の中の辛酉(沢火革[たくかかく]と火風鼎[かふうてい])の年に、 「天命が改まり、偉大な人物が出たり、新しい時代がはじまったりする」と言う考えがあります。 その干支が二十一巡する1260年には、前述の大革命が起きると考えられました。

 以前建国記念日と言うのがありましたが、この考えを元に神武天皇の即位の日を計算し、 紀元前660年(辛酉年)の2月11日とはじき出した事もありました。

 干支の説明も少々しましょう。干支は別名「十干十二支(じっかんじゅうにし)」と言います。 十干は「甲乙丙丁・・・・と10個」。十二支は「子丑寅辰巳・・・・と12個」で これらの最小公倍数60で一巡する年などの表記方法です。因みに今年は

となります。今年が 年なのは皆さんご存知かと思います。要約すれば60の倍数年で変革が起きるとの考えです。 それでは本文を見てみることに致します。

●正史の記述
 新しい王朝の興る時期は720年をもって1つの区切りになる、とか。 有徳の場合にはその期間を超えて800年にもなり、徳なき者はその期間に及ばず、四百年までです。 したがって周王朝は767年、夏王朝は4百数十年でした。漢は夏の暦を用いており、 現在まで426年を経過しております。また、高祖が天命を受けられたのは、暦数からいって乙未の年 (前206)からでしたが。しかしその兆祥は麒麟の捕獲(前481年)に始まります。 麒麟の捕獲以来7百余年、天の与えた暦数はまさにつきはてようとしております。(注1)
●辛酉説
 王朝の衰える時期は720年と年数が出てきます。結局は60の倍数を問題にして、 今まさに漢の国の命運が尽きるに結びつければ言いのですから、どこかの王朝から 数えて都合の良い年にすればよかった様に思えますね。
●夏の暦
 夏とは古代王朝の国の名前。この夏では四分暦という暦法を使っていました。 四分暦は6種類あり夏の使っていた暦を夏暦と呼びます。

 前漢では改暦され暦法も大初暦(漢書による)を使用していましたが、 後漢になり再び四分暦を使用していました。

◆◆◆星座◆◆◆
●正史の記述
 大微(天帝の朝廷に当たる星座)の中で、黄帝(土徳を示す)の星座は常に明るく輝いているのに、 赤帝(漢の火徳を示す)の星座は常に見えません。黄家が興って赤家が衰え、 次第に情勢が悪くなり滅亡すると判断されます。(注1)
●天帝
 中国の天文は天に天帝がいて、その天帝が全てを支配していると考えます。 そしてその天帝が認めた、いわゆる天命を受けたものが地上の支配者になると考えます。 天の運行はその天帝の意思を表しており、天文官はその天の意思を読み解くのが仕事と されていました。天には地上と同じように役所などがあるのです。

 天帝がいるのは北極星を中心とした紫微宮でありますが、大微宮は北斗七星から南に 約63度の幅を持って分布しています。天の役割では行政府にあたります。

●黄帝
 大微宮の中心に五帝座があります。この第一星は「史記・天文書」では黄帝座となっています。 現在で言う「しし座β(デネボラ)」です(注2)。

sg_zenjou1.gif

●赤帝
 四帝座は黄帝座を取り囲み、東は蒼帝(霊威仰の神)・南は赤帝(赤[火票]怒の神)・ 西は白帝(白招矩の神)・北は黒帝(叶光紀の神)。(注2)

 赤帝はよく分からないのですが、恐らく図の黄帝の字の倍程度の範囲ですから、 なんにせよ二等星のデネボラより暗いのは当たり前ですね。

 だから常に見えないと言うんでしょうね。ないもん本当に・・・一週間も探しちゃったよ(^^;)

◆◆◆熒惑(けいわく[火星])◆◆◆
●正史の記述
 上記の文章に続いて

 それから以後四十余年たち、また熒惑(「以後火星と言います」火徳の象徴)が 色あせて輝きを失う事十余年に及びました。(注1)

●色あせて輝きを失う
直列  これは単に火星が色あせてと言いたかったのか、それとも地球から火星が遠いのが 十余年続いたのかですね。しかしそれが何時から何時までなのかがはっきりしませんね。

地球-太陽-火星という配置になり火星が太陽の裏側になり、火星が完全に見えないのは、 200年5月頃。202年6月頃。204年7月頃。って感じの周期ですしね。

 これは・・・いちゃもんですね(^^;)

◆◆◆彗星◆◆◆
●正史の記述
 建安十年(205)彗星(ほうきぼし)がまず紫微を掃除し、二十三年(218)にはふたたび太微を 掃除いたしました。
●建安十年(205)
 んにゃ。彗星か・・・見つけにくいんだなこれが(^^;)

テンペル第一彗星が2-3天文単位まで近づくけれども15.7等ぐらいまでだしな。 大体6等星までにならないと見えないですしね。 ううん。15等星じゃ見えないな〜。分かっている彗星じゃないですね。単発の彗星かな???

マックホルツ第一って言うのかも知れないです。   206/2/14に6.5等・15日5.7等・16日4.9等・17日3.9等   〜〜〜20日2.1等って言うのかも知れないんですけど、   上手くステラで表示できなくて・・・見失ってしまいました(^^;)

●建安二十三年(218)
 これは知ってる。ハレー彗星だ。

sg_zenjou3.gif

図の通り6月の初旬が最初に大きく見えますね。6/5の21時35分。

sg_zenjou4.gif

これはかなりでかい。おおぐま座ぐらいの大きさがありますね。


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