古和釜小学校右横の稲荷神社の右隣にある庚申塔。
青面金剛と並んでいますが、土台はコンクリートなので、
どうも移設されたものであるようです。
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この庚申塔の右側面に「金掘基:嘉永三戌年二月吉日」とあります。 「戌」は書けていて良く見えないのですが「成」か「伐」にもみえます。 しかし「成」「伐」だと意味をなさない字なので、恐らく「嘉永三年」が「戌年」 と言うことなのでしょう。嘉永三年は江戸時代末期1850年で、庚戌年ですね。つまり「戌年」でOK。 但し嘉永三年ですと「庚申」の日は旧暦1月27日ですので、 庚申の日にあわせて建てられたものではないですね。
願い事が成就したお礼と言うことなのでしょうか。 なんでこう建立が幕末が多いんだろう(^^;
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この青面金剛塔の右側面には「明治11年寅9月吉日」 とあります。明治6年1月1日から新暦ですので、明治11年は寅年でOKとして、9月には 庚申の日はなく、10月9日が庚申ですので、これも庚申の日に合わせて作られたものではなく、 また、1878年ですので、庚申塔が建てられた日から28年余り経過していますね。
でもこのあたりでは、明治11年前後では、庚申待が迷信として排斥されてなかった ことになりますね。
庚申塔には「講中」と書いてあるので、やはりこの辺りの方がある程度集まっていたことは 伺えますね・・・。 わかるのはこのぐらいだな・・・
金でもでたのかな(^^; ここは昔本当に金が出たそうなんです。ですから 地元の人は「かねほり」と読むのですが、役所では「カナホリ」と読むみたいですね。 金が出たなら笑っちゃうんだけどな(^^;
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青面金剛塔にある上の雲が気になります。 雲が一箇所から左右に噴出していて、その上に両方とも「丸」が書かれています。これは多分「日月」の事なんだろうと推測します。