- 刹那の輝き - 越水桃源

 刹那に、真・善・美を顕示し、いのちが劫なる存在
の徴を、如実に披瀝する。

 そこに卑陋なるものはなく、清浄なるものもなく、
ただ化身の表衣を通して、唯一なる生命が見せる素顔
の瞬間である。

 いのちの輝きが、真如の月となって照らし、迷妄を
消し去り、生きることを慫慂する。

 生も死もないと断言し、今を在ることが全てと、際
立てるのである。

 生きて在れ、生きてあれ、それこそが真なり、善な
り、美なり、そして我が思いなり。

 躊躇うことなく、我が創りし命を全うせよ、われは
億劫に亘り枯れることなき泉である。

 湧き出でる水が流れるように、流水が毫ほどにも千
変万化を止むことないないが如くに、我は変化する。

 我に適うのは、わが表意を息吹することである。我
は全てを見通す者であり、総ての在り様がわれであり、
知見の目を以って我を見るなら、不生の実相に達する。

 生きよ、生きよ、わが全てを生きよ。感ぜよ、感ぜ
よ、わが総てを感ぜよ。

 享けよ、享けよ、わが寂することのない呼吸を、決
して萎えることなきわが生気を。

 到る処に我は在る。忘却の輩にも、他を害する者の
内にも、それゆえ我を見る者も知る者も稀なり。

 我が目となり、我の創りし万象を観る最も相応しき
者を創りしも、叡智に到らず愚痴を露呈する始末であ
る。

 だが我は総てを容れる者であり、不浄も煩悩濁も含
む。合切我なりゆえに、真の智を見出す者、我と共に
在って喜悦する者は、光激しい真夏の昼に星見るより
も困難なことである。

 我は倦まずに如何なる場面においても、我自身を着
飾る。我に目を置く者は我を知る。

 数限りない一切のものは我が創りしものなり。だか
らといって、我を崇めることはない。我が一番に斥け
ることである。

 真・善・美なるものへの智を持つがよい。我との融
合は其れに在る。然為れば、虚構の仕組みに惑うこと
もない。

 汝自身が神仏なればなり。