こんな便利な乗り物が利用者が少なくなって、年々便数が減ってきているのは残念なことだ。 フェリーに乗ってしまえば次の日の朝から現地で行動がすぐに開始できる。 天気に左右される石鎚の登山をスケジュールの最初にもってこれたのも、 フェリーのおかげだと思う。
フェリー乗り場は大抵待たされるものだけど、
乗り場の多くは駅などから離れた場所にあるので、
時間の潰し方に困ってしまう。
これが欠点といえば欠点だけど、
ガイドブックでも見て時間を潰そう!
ちょっと時間が早いけど、別子銅山(マイントピア別子) へ向かう。 ありきたりの感想だが、大変な仕事だ。 日本の産業の発展はこのような人たちの努力によって成り立っていたのだろう。
マイントピア内で朝食と入浴 (結構いろんな種類のお風呂があって楽しい) を済ませていよいよ石鎚山への準備を始めた。
石槌神社成就社は石鎚山が御神体。 明日の御神体への登頂を願って祈りを捧げよう...
宿は名前通り山小屋というよりは旅館。
以前の山小屋は火事で燃えてしまい、
立て直すときには旅館形式でないと認可がおりなかったらしい。
使う側としてはとても便利なのでうれしい限りだが、
この認可を理由に山小屋が減っているのであれば複雑な気分だ。
具体的な内訳は、 家族連れで単にのんびりしにきた人たちと、 別の神社の神主さんたち (この人たちは夜中に数時間おきに神事を行っていた)と、 ベルギーからやってきたという外人。
ベルギー人は二人連れで、一人は英語を話すが、
もう一人はフランス語しか話せないようだった。
しかし、英語を話す彼は全く友達に気兼ねすることなく、
いつまでも英語で私たちにまくしたて続けていた。
そんな友達に嫌気がさしたのか、
英語が話せない彼は部屋に戻ってしまった。
食堂でいつまでも話をしていると、
宿の人が順番にキウイとオレンジを持ってきてくれる。
このフルーツはどうやらこの宿の名物らしく、
その際に交わす宿の人との会話もとても楽しい。
車中泊を繰り返してめったに旅館に泊まらない私たちだが、
このような他の客や宿の人との会話がとても素晴らしいものに思える今日この頃...
明日の装備を最小限のものに分類しなおして就寝。
石鎚山 |
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登り始めてしばらくすると、宿のおじさんに追いついた。 おじさんは石鎚の写真を撮っているらしく、 「今日は雲がなさすぎる」と言っていた。
おじさんは夜明峠までしか登る気がないようだったけど、 私たちの装備を見て、 「それだったらエベレストでも登れるよ」 と笑っていた。さらに 「でも天狗岳は積雪で危ないからやめておいたほうがいいよ」 との助言をくれたので、素直に助言に従うことにした。
このおじさんは絶対に宿の人だと思っていたのだが、
帰りにデポした荷物を拾いに宿によったときに、
宿の人に尋ねると、どうやらよく来るお客らしかった。
部屋の案内や食事の準備までしてもらったので、
しばらく唖然としてしまって状況が理解できなかったが、
宿代を割り引いてもらう代わりに手伝ったりしているのだろう。
峠を一歩過ぎたとたんにトレースが不明瞭になった。
トレースを何とか見つけても、
靴は雪の中にすっかり埋まってしまう。
この傾向はどんどん強まって、
鎖の巻き道
(鎖と岩肌はは完全に雪に埋まっているので冬は通行しないものらしい)
では桟道は完全に雪に埋まってしまっているし、
小さい沢のようになっている場所では、
腰まで雪に埋まってしまう。
三ノ鎖の巻き道では、真剣に撤退を考えた
(こんなに真剣に撤退を悩んだのは初めて)が、
「下山時間があるまでは登ってみよう」
と判断して登り続けた。
今から思うと、
この腰まで雪に埋まった状態を写真に撮っておきたかったが、
その時点では技術的にも精神的にも全く余裕がなかった。
結局、危険な場所は三ノ鎖が最後だったので、
十分な余裕をもって登頂!
なんとこの日の登頂者は私たちだけだった。
宿でデポした荷物を拾ってから、
ロープウェイ乗り場まで歩いて登山完了!
石鎚山はとても大変だったけど、
今までで一番印象深かった山となった...
漱石の部屋と皇族用の浴室を見学した後、
部屋でラムネなどを飲んで休憩。
漱石が何をここで思ったのかは分からないけど、
温泉の楽しみ方の一つを教えてもらったのかも知れない...
待望の讃岐うどんもやっと食べることができた。 本にも書いてあるように、 セルフで作るお店などの多さにはかなりびっくりしたが、 やはり躊躇してしまって調理してくれる店にしてしまった。
今度来るときにはもっとゆっくりと讃岐うどんを楽しんで、
セルフの店にもチャレンジしたいものだ...
階段の数は確かにたくさんあるけど、
軽い登山だと思えばつらいものではない。
金刀比羅宮までで終了とする人がほとんどで、
奥社まで歩く人はあまりいないけど、
せっかくだから行ってみた方が金刀比羅宮の雰囲気に浸れる感じがする。
時間も遅くなってしまったので、
剣山への運転は眠くて、眠くて、、、
山と温泉、うーむ悩めるところだ、、、
剣山登山に備えて見ノ越へ移動。 予想はしていたが、幹線(国道192号)からの距離60km は正直閉口した。
事前のラフォーレ剣山への調査では、
「スキー場までは除雪の保証があるけど、
その先はスタッドレスだけでは走行困難で、
4駆でチェーンでないとだめです。
さらに439号線は雪が積もったら通行止めです。
ラフォーレは通年営業ですが、
スキー場からラフォーレまでは除雪はしませんし、
送迎の車両を出すこともありません」
とのこと。
「通行止めで送迎がないのに、
なぜ通年営業なんだろう」
とも思ったが、
「まだオープンしてから1年くらいしかたってないからだろう」
と思って納得した。
結局、スキー場手前から道路は雪に覆われていたけど、
見ノ越まで丁寧に運転すればスタッドレスの2駆で十分だった。
スキー場の駐車場で車中泊。
剣山 |
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神社(+寺?)の階段を登っていくと、
簡易宿泊所が隣に建っている。
事前に電話して聞いたところでは、
普通の山小屋のように予約無しで泊まれるようだ。
簡易とはいっても山小屋だと思えば十分に快適な宿に見えた。
宿の横を歩いて行こうとすると向こうから犬がダッシュで走ってくる。
大きなシベリアンハスキーだ。
予想外の場所での出現でかなりあわてたけど、
犬もこちらの反応を見て調子が狂ったのか、
こちらに到着する前に少し元気がなくなったみたい。
でもよくよくみると、雪景色の中でのシベリアンハスキーは彼らの本来の姿のようでとても似合ってる。
近寄って撫でてあげるととても喜んでいた。
アイゼンは持ってきたけど、結局装着せずに登頂。
ずっと緩やかな登りなので特に問題もなかった。
山小屋の入口を見ると、
今日の晩から正月の間だけ宿泊が可能だそうだ。
アイゼンを装着して、軽快に下山。 道路の冬季閉鎖の不安はあったけど、 この時期に登った方が楽しい山だと思う。
奥祖谷かずら橋に着くと、 やはりシーズン外だからなのか、 全く人の気配がない。
ガイドブックには
「訪れる人が少なくてスリルがある」
などと書いてあるが、さすがに少なすぎだ。
かずら橋へと降りる階段も雪が凍っていて、
あまり人が歩いていない感じだし、
入場料の400円も受け取る人がいなかった...
もう一つのいわゆる(?)かずら橋の方は人もたくさんいて、 入場料もしっかり取られてしまった。 しかし、かずらの中心にはしっかりとワイヤーが通っていて十分に安全だし、すぐ横にコンクリートの橋が架かっている、 というのはどんなもんだろう。
大歩危、小歩危を船に乗らずに上から眺めた後、
最近できた温泉施設に行こうかと向かっていったら、
年末休みに入ってしまったそうだ。
この時期に旅行をすると常にこういう危険性はあるようだ。
営業開始を待って四万十川遊覧船に乗った。 船頭のおじさんは外で寒そうだけど、 私たちはガラス張りの船室の中、 ストーブもしっかり焚かれているのでとても暖かい。
「今日はサービス」(とおじさんは言っていたが、
いつものことなのかもしれないけど)
とのことで、沈下橋の下をくぐってくれた。
「欄干がなくて落ちる人とかいないんですか?」
と聞くと
「毎年、何台か車ごと落ちて人が亡くなってますよ。
大抵は酔っ払い運転ですけどね」
水鳥がのんびりと泳いでいる。
「四万十川の自慢は清流。
景観などは特にありません」
という船頭のおじさんの言葉が印象深かった。
この川を上流から延々と下れることができたら楽しいかも。
なぜか木に登る猫たち
会場ではまず横綱の土俵入りがある。 さすがに横綱だけあって風格がある。 写真を撮ってもよいのだが、 室内なのでVelvia(ISO50)ではストロボでも全然だめだった。
そのまま横綱が対戦と思いきや、
実際の対戦は軽量級から重量級まで順番で行われるらしい。
私たちが見れたのは残念ながら軽量級。
それでも試合直前となると私たちも含めた観客みんながじっと注目する。
ところがいざ始まってみると一方が他方の首をくわえて、 延々とそのまま。 関節技みたいなもので、「オー!」というよりは 「ウー、思ったよりえぐいなぁ。見てられん」 という周囲の声が聞こえてくる。
結局一方的なまま加えていた側の勝利となった。
見て面白い試合もたくさんあるそうだけど、
残念ながらはずれの試合だったようだ。
まぁ、生物が相手の話だからしょうがないのだろう。
そもそも人間の楽しみのためだけに痛い思いをして闘わなければいけない犬たちに不満を言うこと自体、無礼な話だ。
誰が言い出したのか知らないけど 「日本三大がっくり」(札幌の時計台、日光の眠り猫、 高知のはりまや橋)の二つ目だ。 最近までは橋の欄干しかなくて上記に選ばれたみたいだけど、 地元もそれを気にしてか、 擬似的に川と橋を復活させてしまった。
しかし、実際の昔のはりまや橋は以前からあった欄干からは想像できないもので、「いったいあの欄干はなんだったのだろう」
といった感じだ。
復活させた人々も同様に感じたらしく、
「みんなが思い描いたはりまや橋」
という不思議なものが併設されている。
今でも期待を裏切らない橋と言えるのでは?
「例年通り人が少ない」という話だから、 2000年問題とは関係なく、 大晦日に高知から大阪へ向かう人というのは少ないらしい。
ミレニアムを迎えるときのテレビ番組を楽しもうと奮発して一等船室にしたけど、
全乗客の数がとても少ないので、
二等船室の人でも各グループで1個のテレビを占有していた。
二等船室のテレビの方が大きくて一等船室よりもよかったくらい。
テレビの映りはいまいちだったけど、
ミレニアムを祝う世界の雰囲気は十分伝わってきた。
やっぱりフェリーはやめられないかも!