短編旅行記へ戻る

98年GW 九州旅行記


98/4/28 秦野-羽田-熊本-阿蘇

仕事を午前中だけであがってから秦野を出発。 3時まで仕事をしてしまうとやはり羽田のその日の便には間に合わないようだ。 年休を全く使わずにその日のうちに現地につけるのだからなかなか悪くない。

熊本空港でスターレットを借りて阿蘇に向かって走り出す。 以前の屋久島などに比べると車もいるし、商店もたくさんある。 温泉街の橋が工事中だったので少し手間取るが、 無事五岳ホテルに到着し、就寝。


98/4/29 -久住山-法華院温泉

久住山
深田百名山
山1000
1791m 大分最高峰(中岳)
今日の行程はそれほど時間的にきつくないので朝風呂(温泉)に入り、ゆっくりとホテルの食事をしてから出発。

途中、大観峰から曇った阿蘇山を眺めてから、九重山に向かう。 GWとはいえ、5月3〜5日までは車も少なく、やまなみハイウェイは快適そのもの。 牧ノ戸峠は思っていたよりも混んでない。 駐車場に車を止めて登山の準備をしてから、今日の宿泊地法華院温泉に電話を入れる。 牧ノ戸峠の売店に公衆電話があり、そこに温泉の電話が書いてあるので簡単だ。

まず、久住山をめざして登り始める。どうやら周りのほとんどの人たちは牧ノ戸峠から久住山を往復するだけの人たちのようだ。 ファミリーハイキング気分で地域の子供達を連れてきているような団体も多い。 リーダはアウトドアは好きでも登山をそれほど知らないらしく、 自分たちの後ろにどんなに他の人たちが渋滞になっていようとも、自分たちの団体への安全の指示だけを出し続け、後ろの人たちを先に行かせない。 久住山への道の半分も過ぎる頃から道も広くなるので勝手に抜いて解決はしたけど、、、
久住山山頂に無事に到着。 周りは霧ですっかり白くなっている。

中岳〜法華院温泉

次に最高峰である中岳に行った。 最高峰であるにもかかわらず久住山が常に主峰として取り上げられるだけあって、 中岳はぱっとしない山だ。 「登頂は最高点に立ったことをもって認める」という条件を自分に課していなければ、無理に行く必要はないと思う。

久住山で帰ってしまう人がほとんどで、一部の人たちが中岳までやってくるが、この先法華院温泉に行くまではほとんど他の人たちと会うことがなかった。 中岳から直接法華院温泉に下る登山道を下り始めるが踏み跡がはっきりしないので、 もう一本東側の下山道から下る。法華院温泉のキャンプ場に泊まっていた人と話すと、 平然とさっきの踏み跡のない道を下りてきたと言っていた。
雪山などをやる気なら、この程度の登山道を降りれないとやはりまずいのかな。

法華院温泉でゆっくりと湯につかる。 山の中の温泉だからしょうがないのか、 体を洗ったりするスペースはなくて大きな湯船があるだけ。 でも山の中で温泉に入れるのはやはり幸せだ。

法華院温泉
法華院温泉

98/4/30 -大船山-高千穂峡

高千穂峡
高千穂峡
大船山
山1000
300名山
余計な荷物をほとんど法華院温泉に置いていって、 大船山に出発。半日で戻ってこれる上に天気も悪くならなそうなので、荷物は本当に軽い。 途中5組ほどの登山者とあった。 山頂からは久住山、中岳、三俣岳などがよく見える。

大船山は二百名山らしいが、九重山群に含まれていると考えないのは少し不思議。 もっとも百名山にしても山群の中の一つの山だったり、 山群全体を指していたりするから、 それなりの考えがあってのことなのか。

下山〜高千穂峡

法華院温泉に帰って、昼食の丼物を急いで食べる。 バスの時間に間に合わせるためだ。 食べ終わってから、少し早歩きで下山する。 バス発車予定時刻の30分ほど前に到着しジュースを飲む。
やっとバスが来たと思って近づくと目的地が牧ノ戸峠じゃない。 不安になって時刻表を見直すと「休日運休」だと思っていたのが「休日のみ運行」だった。 バスの運転手と話してどうなるものでもないので、すぐにタクシーを呼んだ。 私たちと全く同じ誤解をした登山者2人を誘って牧ノ戸峠に戻る。一人は今から久住山に登るらしかった。

明日は祖母山に登る予定なので、高千穂峡に向かう。 朝の高千穂峡を見てから祖母山に向かいたかったので、 高千穂付近のキャンプ場を苦労して見つけだすが、 結局この時期は閉鎖中だった。 こんなことをしている間に、高千穂峡見物の時間はなくなってしまった。 今回はレンタカーだから久しぶりにキャンプ場探しをしないといけないけど、やっぱり1BOXで車中泊が一番楽だ。

気を取り直して、かなり東に行ったキャンプ場にする。 キャンプ場にはライダーなどがそれなりにいたが、 テントが雨に濡れるのを嫌ってか、 炊事場が使えないくらい屋根の下はテントだらけ。


98/5/1 -佐賀関-別府

キャンプ場にて

佐賀関

早朝からひどい雨。 高千穂峡の朝靄も祖母山もあきらめ。 佐賀関に念願のサバを食べに行く。 ワイパーを最高速にしても前がよく見えないほどの大雨のせいか、思ったよりも遠い。

佐賀関につくとなかなかサバを食べさせてくれそうな店がない。 ガソリンスタンドで給油がてら、近くにお店がないと聞くと、 さっき見たときには閉まっていたお店がもうじき開くらしい。 なるほど戻ってみるとちょうど開店時間だった。
サバ定食を二つ頼む。 朝から食事していないせいかもしれないけど、 素直においしい。 サバだけをもう一皿食べて佐賀関を後にした。

別府

別府に行き、温泉に入った後、 観光の定番地獄めぐりをする。 いろいろな色(ほとんどは赤か青みがかった乳白色) の温泉が噴きだした池を見て回るのだが、 中にはワニが飼われていたり、動物園だったりする地獄もあったりして、 他種類にするのに苦労しているようだった。

鶴見岳付近のキャンプ場に泊まるが、 キャンプ場使用料や車乗り入れ料などを加算すると、 九州のキャンプ場はそれなりのお金がかかってしまう。 最初に電話をかけたキャンプ場などは全部で\8,000もするそうだ。 さすがにここは驚く客が多いらしく、 電話に答える人もわざわざ注意してくれた上に、 そばの(九州では)普通の値段のキャンプ場を紹介してくれた。
値段がそれなりにするわりには、 北海道のキャンプ場と比べると質も悪く、 無料や数百円という値段がほとんどの北海道が、 本当にキャンプ天国なんだと改めて実感する。


98/5/2 -阿蘇山-柳川-長崎

阿蘇山
深田百名山
山1000
今日も天気が悪そうなので、 湯布院の温泉でゆっくりしようと考えていたが、 起きてみるとなんとか午前中くらいはもちそうな天気。 急いで阿蘇山に向かう。 うーむ、どう見ても我ながらすっかり百名山ハンターだ。
下山途中
阿蘇山の火口西ロープウェイは、 駐車場がちょうど満車になる直前で、 私たちが朝2番のロープウェイに乗る頃から、 駐車場待ちの渋滞がおきていた。

ロープウェイで火口付近まで登り、 山頂に向かって歩き始める。 右側には霧の間に火口がなんとか見える。 外輪山のスケールもすごいけど、 この火口のスケールもなかなかだ。
頂上とはいっても火口の縁で一番高いところ。 こういう形の山はいろいろあるけど、 火口の縁までたどり着いた以上の感動はほとんどない。

霧が出ていて、風がかなり吹いている (注意していれば、 稜線から火口に飛ばされるほどではない)ので、 いつも通り短パンにTシャツ姿の私は 「そんな格好で寒くないの?」と雨具まで着込んでいる人たちから話しかけられる。 雨具や防寒具は持っているので、全く我慢しているわけではないのだが、だいぶ普通の人と温感がずれているのかも。 そのくせ雪山の朝などはしっかり寒くなるんだから、 困ったものだ。

下山は登山道を駐車場まで降りた。 「ロープウェイでは登山じゃない」と思ってかは知らないが、 十数人の登ってくる人たちとすれ違った。 「登りはロープウェイで楽しよう」 ということで今回のコースにしたけど、 岩がごろごろしている登山道は下っていても神経を使うだけで、 あんまり楽しくない。登りだけ歩いた方がよかったかも。

駐車場付近はツツジが咲き乱れていて、 ほとんどの観光客は火口を見た後、 そこら辺を散歩して帰るようだ。
駐車場にはたくさんの出店があり、 ちょっと覗いているうちに、 大雨が降り出しきたので退散した。

柳川

柳川へうなぎを食べに行く。 ガイドブックにも載っている有名な店らしく、 店の玄関は外が大雨なのも災いして大変な混雑。 お店が入ってきたお客の順番を確認しない上に、 大家族の一人が順番取りに並んでいたりして、 お客同士はかなりぴりぴりしている。 実際、あっちこっちで「私たちが先に来てた」 「あなたたちはいなかった」などと言い争いが絶えない。

おいしいうなぎを食べにきただけなのに、ちょっと憂鬱になる。 しばらくして部屋に通されるが、 注文してもいつになってもうなぎが来ない。 GWなんだからしょうがないのだろう。 こんなことなら、ちょっとお腹に何か入れてくればよかった。 正直空腹でくらくらしていた。

長崎

明日の普賢岳にそなえて長崎に向かうが、 天気は大雨。 市内は普段はお目にかからない市電がうろうろしているので、 運転はちょっと緊張する。 今回行ったところの中では一番都会だ。 地理的にはずいぶん端っこの気がするけど、 貿易の歴史とは偉大なものだ。
ビジネスホテルに泊まることにして、 中華街で皿うどんの夕食をとる。

98/5/3 -普賢岳-熊本-南阿蘇

普賢岳
200名山
1359m 長崎最高峰(普賢岳)
山1000
天気がよいので、早々に普賢岳に向かう。 普賢岳への有料道路はそれなりの長さがあるけど一方通行。 阿蘇山と同じように、 私たちが駐車場に車を止めてしばらくしてから、 駐車場の入り口に長い渋滞の列ができた。 一方通行で、道が駐車場を通過しているので、 渋滞であきらめて帰ることも許されない。
普賢岳より平成新山
下からバスで来た人たちも、 バスが渋滞でやってこないので降りれなくなっていた。 待ちきれなくなった人たちは歩いて降りていたようだ。 混雑期にこの道路に入るのは勇気が必要だ。

駐車場に車を止めて、ロープウェイに乗る。 駐車場が混んでいるのに、すぐ乗れる。 ロープウェイ山頂駅から普賢岳山頂をめざす。
噴火の影響でロープウェイ山頂駅の付近までしか、 立ち入りが許されていなかったが、 この数ヶ月前に普賢岳山頂までの立ち入りが許可された。 一般のニュースなどでも「普賢岳開山」 という形で出ていたので、 普段は山には登らなそうなハイカーがたくさんいる。 当然ゆっくりと後ろの人を譲ることなく登っていく。 無理に抜かしてもいいけど、 頂上までの時間も大したことないし、 しばらくするとその人達は必ず休憩するので、 こちらが休憩をとらずに遅い人の後ろで休憩しながら登れば大丈夫。

登る途中で、足の悪そうなおじさんが岩場を登れなくて困っていたので、 後ろから押してあげた。 しばらく一緒に下から押しながら登っていったのだけど、 「どうぞ先に行ってください」と強く言われたので、 相手に気を使わせるのもよくないかと思い、先に登った。 結局、頂上についてからだいぶ時間がたってから、 そのおじさんも無事に登頂していた。

頂上からは平成新山が正面に見える。 今までは自分が立っている普賢岳が一番高い地点だったかと思うと、 それ以上の標高になっている平成新山発生の威力を思い知る。 昭和新山と比較するとはるかに山らしいし、 それだけ噴火が大規模だったことが分かる。 本当は平成新山に登りたいけど、それは今度の楽しみにしよう。

ロープウェイの駅から普賢岳山頂までは、 行きも帰りも一回下って登りかえすことになる。 帰りは行き以上に休憩する人が多いが、 がんばって休憩無しでロープウェイ駅まで戻る。 駅の中にある噴火の時の写真を見て、またまたその破壊力を実感。 今回のいくつもの山行の中で一番おもしろかったかもしれない。

島原

雲仙温泉に入った後、火砕流の被害にあった島原へ行った。 記録用に数件の家屋が埋まったまま保存されているが、 その他の部分は再開発が進行していた。 普賢岳噴火にちなんだお土産屋を探すために付近を走り回ったが、 思っていた以上に被害にあった地域は狭かった。

報道であまりにも「雲仙の地域は壊滅だ」 というニュースを流しすぎたので、 全然被害にあっていない雲仙温泉も客が減っている、 という話を聞いたことがある。 その時の説明では「被害にあった島原とは離れているのに、、、」 ということだったが、 島原も直撃を受けたところ以外はしっかりと町として機能し続けている。 あの時点での報道に「島原の地区が限定されていて、 観光業も存続している」というものは見られなかったと思う。 災害の状況を伝えることの方が重要なのはわかるが、 その周囲がどれくらい持ちこたえているのかを伝えることも、 災害から町が立ち直るためはひつようなのでは。

火砕流の爪跡(保存家屋)
島原

熊本〜南阿蘇

島原港から熊本へフェリーで渡る。 このGWから運行を始めたという高速フェリーは、 さっそく事故を起こしたらしくて運休になっている。 GWから始めるということは、 そこでの収入をあてにしての営業開始だったのだろうから、 フェリー会社は大丈夫なのだろうか。

それと関係あるのかは分からないが、2時間ほど待たされた。 陸続きになっている場所への短距離フェリーというのは、 待ち時間や移動の速度の遅さなどを考えると、 なかなか微妙なものがある。 それでもフェリーはのんびりしていて、何とも言えず楽しい。

熊本で期待していたラーメンを食べて、南阿蘇のキャンプ場に向かう。 時間の関係と明日の天気次第で祖母山か他の場所を選べるので、このキャンプ場にした。
それなりにきれいなキャンプ場で、普通のキャンパーがたくさんテントを張っていたが、 管理室は予想通り誰もいなかったので、そのままあいている敷地にテントを張った。


98/5/4 -高千穂峡-祖母山-湯布院

祖母山
深田百名山
1756m 宮崎最高峰
山1000
早朝に起きて、高千穂峡の霧を撮りに行く。 国見ガ丘から雲海を眺めるがなかなか撮り方が分からない。 他にも写真を撮っている人がいたけど、いい写真は撮れたのかな?

高千穂峡に立ち寄ってから祖母山登山口へと向かう。
一ノ鳥居からの登山道が紹介されているような本もあるが、 一ノ鳥居には「ここからは登らないでください」と書いてある。 ほとんどの登山者は北谷登山口から登るので、 登山道整備の都合からこのようになったのだろう。

北谷登山口にはツアーらしいマイクロバスも含めて、 たくさんの車が止まっている。 ちゃんとした駐車場はないので、登山口からちょっと離れたスペースに駐車。
ツアーの人達は阿蘇と九重を一日、祖母を一日で帰るらしい。 確かにいいペースだ。

傾斜のちょっときついところとほぼ平坦なところが交互に現れる、 とても歩きやすい登山道。 結局頂上まで一度も休むことなく登ってしまった。

頂上は結構にぎわっていたが、 あるおじさんが登ってきて三角点に手を合わせたかと思うと、 大きな声で「傾山はどれですか?」 と別のおじさんに質問した。
聞かれたおじさんも「分からない」とは答えにくいらしく、 ごにょごにょとつぶやいている。

「傾山はあれですよ」と私がストックで指さすと、 そのおじさんだけでなくて頂上にいた多くの人達が 「あれが傾山だってさぁ」とざわつき始めた。 ついにはみんなで順番に写真まで撮っていた。
みんな地図は持っていたのだから、 それ見ればすぐ分かることだと思うんだけどなぁ。。。

天岩戸神社

祖母山から下りて、天岩戸神社へ。
神社の人に、御神体である天岩戸の解説をしてもらった。 この解説をお願いしないと御神体を拝むことはできない。 無料ということだったけど、普通は何か渡すものらしい。 こういう習慣はちょっと苦手。
天岩戸自体は地震で崩れてしまって解説されてもなかなか分かりにくかった。

湯布院へ向かい、町営のクアージュゆふいんに入る。 水着で入る今風の温泉。
何はともあれ湯布院という単語の響きは悪くない。


太宰府天満宮
太宰府天満宮

98/5/5 -鶴見岳-博多-天草

鶴見岳
300百名山
鶴見岳のロープウェイ乗り場に行くと、 終点は雲の中。 予定の山々は登ってしまったので、 特に気にせず乗ってみると、 やっぱり頂上からは全てが霧の中。
ロープウェイの終点から頂上まではちょっと歩くだけだから、 霧くらいで文句を言う必要もないだろう。

博多に行ってラーメンを食べる。 ここが替え玉の本場? 地元の人達も来ているらしく、なんとも言えない雰囲気の店だった。

太宰府天満宮で普通の観光。

天草までがんばって走ってキャンプ場に着くが、 GWが終わってしまうとキャンプ場は寂しい限り。 管理室はもちろんのこと誰も泊まっていないので、 ホテルに泊まることにした。


98/5/6 -水俣-熊本-羽田-秦野

水俣に行く予定だったので、本当はフェリーに乗って行きたいところだったけど、 天草四郎メモリアルホールの開館時刻とどうしてもあわなくて、 博物館を見てから陸路を移動することにした。

でも博物館自体は、 私のように普通の日本人が知っている歴史をほとんど知らない人間にとっては、 とても興味深い物だった。解説は当然パス。
私は歴史の勉強を年号の暗記だとしか思わなかったけど、 歴史の好きな人はこういう人間ドラマが好きなんだろうな、きっと。

水俣まで目の前なのに延々と車で走って、 フェリーや高速道路のありがたみが実感される。
福田農場ワイナリーで食事をして、熊本空港へ。


短編旅行記へ戻る