古代てんから




 古代てんから

 現代てんからが騒がれる前のてんからスタイルを一部紹介します。
今年秋田の父を訪ねた時に昔のタックル等を見せてもらいました。
いくら古代といっても、昭和40年代であり、それ以前がどうだったか
までは分かりません。
しかし、40年代はカーボンが出てきたころであり、それまでは古代の
スタイルが保たれていたものと思います。

 はなしは、タックルになります。

 タックルといえば、竿は竹、ラインは馬毛です。
最近の竹材料と言えば、このやろーというくらい高値で出回っています。
しかし、当時といえば竹が主流、のべ竿なんて子どもの必要アイテム
でした。



さて、ラインにしている馬のしっぽの毛ですが、ナイロンのラインと
間違うような光沢を放っています。
竿先から12本より、先端は3本よりとだんだんにテーパのように
繋いで作り込んでいます。



それぞれのつなぎ目は大きなコブになっています。
つなぎ目仕上げはセメダインをつかってたそうです。





 画像を見ていただく通り、黒いものと白いものがあります。
やはり、白い馬毛は貴重品ということで、手に入りにくいそうです。



この辺の色については満足度の問題で、釣りには関係ないかも
しれませんが、見やすさに影響してるかもしれません。



 馬毛のラインは水に浸してから使います。
水に浸したあとはしなやかになり、毛針を打ち込むのに丁度良い
バランスになるそうです。
(今度、馬しっぽでもさがすか)



 馬素ラインを飛ばす竿ですが、やはり竹竿が適すでしょう。
昔の竿はそれこそ今の先調子と違い、完全に胴調子です。
これは、魚を掛けるときのショック吸収にもなっていたのでは
と思います。





それにしても竹竿も調子種類が多く、釣り師の好みで制作してた
ことでしょう。
軽くバランスの良いもの、重く、尺物をごぼう抜きできるもの、
仕舞いこみが一本になるように工夫されているもの。











竿職人の個性と釣り人の個性の融合というものが感じられます。
ここには山形庄内竿のてんから竿もありますが、作成者は故人に
なっているため、貴重な物と思われます。





また、東京銀座の竿屋で作った物もあり、昔の風情を感じます。
といっても昭和40年代なので、現代ですが、和竿屋は昔のまま
の店があったということで、今のショーウインドー化されたもの
とちょっと違ってた頃です。

 父は、今はカーボンを使用してますが、いずれは竹竿と馬毛で
またやりたいといってました。
父が学生時代に使っていたぼろぼろになった竹竿もありました。
もう、45年くらいたってます。
 人も多く、落ちつきを持たない渓では、昔のスタイルをする気持ち
にならないのかもしれません。

 父の知り合いに、上流し(とんぼ釣り)の名人が居て、この人も
馬素ラインを愛用していたそうですが、1匹のとんぼを何振り
でも生きたとんぼのように川面に飛ばして流すことができた
そうです。



ふつう、とんぼを飛ばすと4〜5回でとんぼがこわれるものです。

 釣り道具は、その環境、釣り方で様々ですが、竹竿のように
手間をかけて作られた物は、それこそ愛着が強くなると思います。
竹竿職人は今も居ますが、昔の伝統を引き継いで、どのように変化
してるものかと考えてしまいます。



鮒竿は未だに健在と思うのですが、てんから竿を竹で依頼する人は
殆どいないことでしょう。
私がもしその様な気持ちになるのは、やはり歳老いてからと思います。
それこそ、父の竹竿を振って見てから、わかったことで竿を作ること
になるのでしょう。
 それまで、竹竿屋が生き続けるのかも分かりませんが。



 98年7月末にちょっとだけ秋田の小川にいってきました。
私はてんから竿にスピナーでちびをかけました(邪道か)。



父は、背病み山女魚含み、2尾あげました。
(9寸を越えてました)
この日は田に水をひき、異常に減水してましたので、相当
厳しい状況でした。



あくる日からは雨で、滞在期間に思うような釣りはできません
でした。

 ダイワとバリバスの4mラインを使ってみてもらいましたが、
ダイワが良いといってましたので、私も一つ購入しようと
思ってます。
それにしても、ダイワのてんから竿はなかなか良いと思います。
昔の同額の物を使っている父も、改善されていると言ってました。

 今は神奈川、渓に足を運ぶのも億劫で竿は無用になりそうです。
東北へ戻ったらダイワも考えたいと思うのですが。
今はマグロに夢中で・・・・。




今年はしどけが豊作だったそうです。うまそー。

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