価値ある情報の伝達

自分にとって価値のある情報は、自分に何かの影響を及ぼす。他人にとってどんなに価値がある情報でも、それが自分に何の影響も与えなければ、自分にとって価値があるとはいえない。自分にとっての価値が大きな情報は、自分を大きく変化させる。ところが、自分という複雑なシステムを短時間に大きく変化させるのは「大変」なことで、我々は自分が急に変化すると動揺する。価値の大きな情報は、我々の心身に衝撃を与えるのである。

自分自身の大きな変化に耐えられる人ほど、自分にとって価値の大きな情報を得ることができる。変化に耐えるとは、変化しても元に戻ることができるということだ。それは、自分の価値観に結び付いた情報処理能力である。その能力が高い人を天才というわけだが、我々凡人が価値の大きな情報を安全に得るには、長い時間をかけなくてはならない。焦ってもダメなのだ。短時間に価値の大きな情報を得ようとするのは危険だ。もちろん、そういう危険に挑戦するのも自由だし、うまくいくこともあるだろうが、そういうのは永くは続かない。

価値の大きな情報を伝えようとする場合にも同じことがいえる。価値の大きな情報を伝えるのは、相手を大きく変化させることである。伝えようとする情報の価値が大きければ大きいほど、長い時間をかけなければならない。焦って短時間で価値の大きな情報を伝えようとすると、相手の心身に衝撃を与えることになる。その衝撃が大きすぎて相手にひどいダメージを与えたら、相手に対して本当に価値のあることが伝わったことにはならない。

時間は情報の衝撃を緩和する。長い時間が経つと、頭で覚えたことは忘れてしまいやすいが、身体で覚えたことは忘れにくい。それに、そもそも身体で覚えるのには時間がかかる。つまり、自分にとって安全で価値のある情報というのは、身体で覚える情報なのだ。身体で覚えた情報は、頭で覚えた情報と違って直接には伝達できない。覚えたことをやって見せることができるだけである。やって見せたとしても、見せられた方が同じことを身体で覚えるには時間がかかる。

本当に価値のある情報を他人に伝えようと思ったら、まず自分がその情報を身に付けるしかない。情報を身に付けることによって、その情報の価値を自分の生活の中で発揮すれば、その情報に本当に価値があったことが確認できる。それを伝えるためにできることは、誰かがそれを身に付けるのを待つことだけである。価値のある情報を伝えることは、伝言ゲームではないのだ。