自発性は伝わらない

他人に伝えることができないものはいろいろあるが、その中で一番根本的に伝達不能だと思われるのが「自発性」というヤツである。他人から伝えられたものは「自発的」とはいえないんだから、どう頑張っても自発性を伝えることはできないのだ。では、自発性のある人はどのようにして自発性を得たのだろうか。外から伝えられないとしたら、それはもともと中にあったはずだ。

自発性というのは「気が向けばどんなに面倒なことでもやるが、どんなに簡単なことでも他人から言われたとおりにはやらない」ことで、要するに勝手気ままである。まるで子どもだ。子どもは自発性に満ちている。子どものシツケは「言われたとおりにしなさい!」などと叱りつつ自発性の芽を摘み取っていくようなものだといえる。そのようにして我々の自発性はどこかに失われてしまったのだ。

自発性がどこに消えたのかは分からないが、とにかく自分の外で見つかることはないのだから、自分の内側を探すしかない。ところが、自分の内側というのは目に見えないので、ワケがわからない。ワケがわからないものは他人にうまく説明できない。他人にうまく説明できないのは、他人と違うからである。つまり、内側というのは他人と違う部分のことなのだ。他人と違うものを行動として表に出すと、他人からは勝手気ままなヤツだと思われるだろう。それが自発性というものなのだ。勝手気ままなヤツと思われたくない、と思っていたら自発性は発揮できない。

勝手気ままな人間は迷惑なので、他人との間に距離ができる。離れた人間とコミュニケートするには意識的な表現の努力が必要だし、大層なことを表現する時ほど他人との距離が必要になる。表現というのは、自分の中にある「他人と違うもの」を他人に伝えようとすることだから、自発性と表現の欲求は大体比例するだろう。そして、そういう欲求は自分の感覚で現実を認識することの積み重ねによって自然に生まれる。伝達可能な知識によって自発性は生まれない。つまり、自発性に関しては、他人のことは放っておくのが一番だということになる。