「何となく」は伝わるか?

何となく」というのは説明できないから「何となく」としかいえないのだ。なぜ「何となく」としかいえないのかというと、「何となく」は「無意識の自分も含めた自分」についての説明だからだ。自分というものには色々なものが含まれていて結構複雑だから自分でもよくわからない。だから「何となく」としか言えない。

その「何となく」を他人に伝えることはできるだろうか? 「何となく」は全体的な自己に基づいている。つまり「何となく」は「自分にとってはこれが大事だ」という価値観のようなものを含んでいるので、自分の「何となく」を他人に伝えようとすると価値観の押し売りみたいなことになってしまう。だから他人の「何となく」なんて聞きたくないのが普通である。「何となく」というのはまず第一に自分にとって意味があるようなことなのだ。

自分にとって意味があることは他人にも伝えたくなる。でも他人の「何となく」を聞きたがる人は滅多にいない。だから我々は自分と同じような「何となく」を抱えた人を探したりする。それで運良く同じような「何となく」を抱えた人に出会うこともある。そうやって出会った2人の間ではお互いの「何となく」の重なる部分は伝えるまでもなく「当り前」である。伝え合うべきことは「何となく」のうちで2人が共有していない部分である。ところが、やっぱりそんなものはお互い聞きたくないのだ。「何となく」を共有している人がいたら黙って喜んでいるしかない。

「何となく」は自分にとって意味があることで、他人にとってはあまり意味のないことである。他人の「何となく」は自分にとってあまり意味がない。自分にとって意味のないことを受け入れるのは難しい。難しいけど、それがである。自分の「何となく」を他人に聞かせるのは他人の愛を要求していることになる。それは、まあ無理な要求である。

「何となく」は積極的に誰かに伝えようとしても伝えられないものなのだ。「何となく」が伝わるのは、他人の「何となく」を受け入れようと思った人の方に受動的に伝わる場合だけである。