嘘は良くない。でも、嘘をついてしまうことはある。それは、本当のことを言うと他人から見た自分のイメージが崩れるからである。他人から見た自分のイメージというのは嘘で固めたようなものだ。他人から見た自分のイメージが気になるのは、なりたい自分というものがあるからだ。なりたい自分というのは、「他人から見た自分」の理想の姿である。

嘘は仮想現実だ。でも、全ての仮想現実が嘘だというわけではない。仮想的だということがハッキリしている仮想現実は嘘じゃない。嘘というのは、現実のフリをした仮想現実のことである。嘘をつくというのは、仮想現実について語った上にそれが本当のことであるというフリをすることなので、とても疲れる。嘘がモノゴトを複雑にするのだ。

シンプルな生活は正直さから生まれる。生活というのは面倒くさい現実に対処することで、仮想現実は仮想であるとハッキリさせておかないと面倒が増える。仮想現実は必要だが、仮想を本当のように見せかけようとすると果てしなくややこしくなるのだ。

しかし、正直にものを言うのは礼儀に反することが多い。正直にホントのことを言うと、他人の感情を害するものである。他人の感情を害さないために礼儀というものがある。礼儀は仮想現実をできるだけ本当らしく見せるためのものだから嘘の親戚である。

礼儀というのは、例えば自分のやりたいことをやりたくないようなフリをして、同じことがやりたい相手と譲り合ったりすることである。単一の価値観の元での衝突を避けるために礼儀があるわけだ。では、多様な価値観の元で礼儀を尊重するとどうなるか。やりたいことが違うのにそれに気付かずに譲り合うと、お互いにやりたいことを相手にやらせて、自分はやりたくないことをやることになる。それでは誰にとってもいいことがない。多様な価値観の元では、先ず自分のやりたいことをはっきり表現するのが肝心である。

やりたいことをやるのは見た目を良くするのが目的ではないので、あまり嘘をつく必要がない。それに、嘘をつくと本当のフリをするのが大変だ。正直な方がやりたいことに専念できる。しかし、本当のことだけではものごとは面白くない。やりたいことをやるのには仮想現実も必要である。必要なのは仮想的だとハッキリしている仮想現実、つまり「バレてもいい嘘」だ。