幸せは小さいほど確かだ

すごく幸せな状態になった人は「夢みたいだ」とか「実感がわかない」と言うようである。TVドラマや漫画だと、夢ではないことを確かめるために頬っぺたをつねったり、「夢なら覚めないでくれ」と言ったりする。つまり我々にとって「幸せ」というのは夢のように現実離れしたものなのだ。

なんでそうなるのかというと、すごく幸せな状態は夢と同じようにディテイルが無いからである。現実というものは、厳しくも面倒くさいディテイルでできている。現実は厳しく面倒くさいので、我々は「現実から離れられたら幸せだろうな」と思ったりする。つまり「厳しく面倒くさい現実のディテイルについて考えずに済んでいる状態」のことを幸せというのである。

しかし、我々は生きているかぎり現実の世界にいるのであって、現実から離れるなんていうことは不可能である。厳しく面倒くさい状況から離れたところに行ったつもりでも、そこにも厳しく面倒くさいディテイルがちゃんとある。我々が幸せになっちゃったときに実感がわかないのは、慣れない状況で現実のディテイルを把握しきれなくなっているだけである。

現実を把握できないというのは危険なことだ。「大きな幸せ」は現実のディテイルのことを完全に忘れてしまった状態だからすごく危険である。そういう時、安物のTVドラマでは「幸せ過ぎて怖い」などと言うわけである。実際、幸せ過ぎて現実のディテイルのことを忘れていると、後で必ずツケが回ってくる。借金で買い物をして幸せになっても、翌月から返済しなくてはならないのと同じことである。幸せ過ぎるのは後が怖いのだ。

大きな幸せは危険だが、小さな幸せは危なくない。小さな幸せは現実のディテイルの中にひそんでいるので、現実のディテイルを慎重に観察すれば発見できる。現実のディテイルをよく見るのだから、怖いことはない。厳しく面倒くさい現実生活の中で、一瞬かほんの数分だけほっとする時間が持てたら、それは小さくはあるが確固とした幸せである。

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