食べていけたらよしとしよう

「やりたいこと」とお金の関係というのは難しい問題だが、何かを「自分がやりたいかどうか」はお金と関係なく決まるはずである。本当にやりたいことなら、お金をもらえなくてもやるし、お金を使ってでもやりたい。もちろんお金をもらうのもいいが、お金をもらうとお金を払った人の意見も気にしなくてはならないから、かえって面倒だ。「やりたいこと」をやる時の基本は「お金とは関係なく、自分のやりたいようにやる」である。

そうはいっても、現代社会で生きていくためにはお金がいる。だから我々は何か仕事をしてお金を稼ぐわけである。その仕事が「純粋に自分のやりたいこと」であればいいが、そんな人は滅多にいない。「お金がもらえなくても、その仕事をするだろうか?」と考えてみればわかる。我々は生活費や贅沢費を稼ぐために仕事をしているのだから、「お金がもらえないなら、やらない」という人がほとんどだろう。

仮に、この世の全ての仕事が無給になったとする。我々はお金を稼ぐために仕事をしているのだから、無給なら働かない。働く人がいなくなったら社会の機能が麻痺するだろう。しかし、もしも世界中の人が「お金とは関係なく、自分がやりたいから」という理由で働いていたら、全ての仕事が無給になったとしても社会は今までどおりに機能する。というわけで、理屈上「みんなが自分のやりたいことをやっている社会」はお金と関係なく成り立つはずなのだが、その「やりたいこと」は「お金をもらえなくてもやってしまうぐらい、やりたいこと」でなければならないのである。

全ての仕事が無給になったらというのは極端な仮定だが、現実に我々の収入は減りつつある。これから先、お金が儲かりそうな仕事はあまり残っていない。我々が仕事をする理由は「お金が儲かるから、頑張って働く」から「あまり儲からないけど、生活のために働く」に変化してきた。そこから「あまりお金はもらえないけど、やりたいからやる」まではあと一歩だ。

やりたいことをやって、何とか食べていけるだけのお金をもらうことができたら、やりたいことだけをやっていられる。それ以上は、お金をたくさんもらうほど「お金のため」という要素が強くなって、自分のやりたいようにやれなくなる。やりたいことをやるには「何とか食べていける」というポイントが理想的だといえる。そもそも昨今の経済情勢では、これから先、何とか食べていける以上の収入を得るのはかなり難しくなりそうである。