注)2001年7月25日の文章に加筆
97年7月から約1年半、中国・北京に留学(遊学か?)しておりました時のことなど書いてみます。ドッグイヤーといわれるくらい変化が激しい中国のことですが、少々賞味期限切れの内容があることをご了承ください。
学生寮に入る
私が勉強しておりましたのは、北京語言文化大学です。(注:現在の『北京語言大学』。もっと前の名前は『北京語言学院』ややこしいっちゅうの。)
この大学は留学生に語学教育を行うために設立された学校ですので、学校の中で一番多い学生は留学生です。学校選びをする際に色々調べたのですが、この学校のカリキュラムがしっかりしていること、先生方も外国人に言葉を教える経験が豊富ということで、この学校に行くことに決めました。あとから、他の学校に行った方に話しを聞くと、「学生が先生をしていた。」とか「文法のことを聞いても答えてくれなかった。」という学校もあるようで、この学校にしてよかったと思ったものです。
さて、私が北京に着いたのが97年7月初め。とりあえず、6週間のサマースクールから始めました。中国は欧米と同じく9月に新学期が始まります。9月に本格的に入学する前に、頭を慣らしておこうと思ったのです。
日本にいる時から、市民講座やラジオ講座で中国語は独習していたものの、そんな勉強の仕方では身につくはずがありません。最初の授業では、先生の言っていることがさっぱりわからない!(先生は中国語オンリーで授業を進めます。)とてもとても不安でした。不安といえば、もっと不安なのが宿舎。6畳くらいの広さの部屋に、ルームメイトと二人で住むのですが、自分のスペースはベッドの上と机くらい。今日会ったばかりの他人とこんな狭いスペースで暮らせるものだろうか?と思ったものですが、まあ、人間慣れるものですね。
共同シャワーもお湯が出る時間が制限されているため、夜は行列して、シャワーというより滝のような水をあびることにも、いつしか慣れてしまいました。この年の北京は50年ぶりの猛暑で、日中は40度近い気温で、夜になっても温度は下がりません。もちろんエアコンなどありませんから、寝不足で激ヤセしてしまいました。たまりかねて、寮長さんに扇風機を借りに行くと、やっと出してくれたのが、首が回らないしろもの。ルームメイトといかに公平に風にあたろうかと検討した結果、風を壁にあてて、そこから風を平等にうけましょうということになりました。
ノートパソコン持参で行ったものの、メールを送ろうにも部屋に電話線はありません。4階建ての80人が住む寮には1階に共同電話がありますが、それは主に掛かってきた電話を取るためのもの。その電話線を使うわけにもいかず、半年後に部屋に電話がある部屋に移るまではパソコンも眠ったままでした。
こうして、〇年ぶりかの学生生活が始まったのでした。不便なことはもちろん多々ありましたが、寮での学生生活は楽園そのもの。ご飯作る必要もないし、気があう仲間と話し込んだり、毎日勉強だけすればいい生活は夢のようでした。
果物が恋しい!
中国から帰ってきて、一番なつかしくて恋しいものは、果物です。
春にはいちご、夏に入ると桃やスイカ、夏の終わり頃はぶどう、秋には栗等等、季節の果物が旬になると山ほど売っていて、旬が過ぎるとぴたっと市場から消えるのです。日本で生活していると年中色んなものが手に入るので旬というものを忘れがちですが、食べ物の旬というのはこうゆうことなんだなあと、私は初めて実感しました。
スイカは出始めでも一玉(一つまるまるですよ!)10元くらい。旬になると10元を切った値段で売られていました。日本のスーパーで切り身にされてラップに包まれたスイカをみるたび、ラバがひく荷台に山ほど積まれたスイカをまるまる1個買って、お腹一杯毎日食べていた頃を思い出します。
中国では、果物も野菜もほとんどグラム売りです。正確には1斤(500g)いくら、という売り方をされます。買物は「1斤いくら?」と聞くことから始まるのです。スーパーなどでは値段の表示がありますが、市場では表示がありません。この表示がないというのが外国人にはつらいところです。ぼられてしまうのです。私も痛い目にあってからは、まず地元の人が買うのを横で聞いてから買うようにしました。もし売り手が「1斤〇〇元だよ。」と、地元の人より高く言ってきたら、「さっきの人には1斤△△元って言ってたじゃない?」と言い返すのです。相手は、にやっと苦笑いして、地元の人と同じ値段にしてくれます。まだ、私たち東洋人はましな方で、クラスメートの西洋人は尋常じゃないぼられ方をされてました。いつも彼女は「ああ〜、まけてくれなくてもいいから、私は値札がついたものを交渉なしで買いたいの〜」とこぼしてました。
豚は禁物
中国には55あまりの民族がいます。漢民族について多いのが回族です。回族はイスラム教を信仰しています。回族はさまざまな地域に住んでいて北京にも多く、どこに行っても『清真』と看板に書かれたイスラム教の人達のための食堂がありました。日本では羊肉は食べたことがなかったのですが、私は中国に来て羊肉のおいしさを知りました。(ついでに香菜も食べれるようになりました。)
学校の近くにおいしいラーメン屋さんがあって、お昼はよくそこで食べていました。ある日、私はラーメンだけじゃ物足りないので、包子を持って入り一緒に食べようとしたのです。(中国の屋台では、近所のものを持ち込んでも問題ないのです。)ラーメン店に入ろうとしたら、そこのお兄さんが「入ったらダメだ〜」とすごい剣幕で注意されました。えー、なんでー?と思っていたら、食堂の上の看板『清真』を指指されたのです。あろうことか、私はイスラム教の食堂に、豚肉入りの包子を持ち込もうとしていたのでした。豚肉じゃない包子もあるので、それだったらOkだったのでしょうが、回族の人達はほのかなニオイでも豚肉はわかるのですね。「ごめんなさい。」と平謝りで出て行くと、「いいよ。また来てね。」とお兄さんはにっこり。気をつけなければと思った一幕でした。