ひいおばあちゃん

ゆうた・こうたのひいおばあちゃん(私の祖母)が亡くなりました。
明治36年生まれ、ちょうど100歳。
老人性痴呆症のため、横浜の介護施設でお世話になっており、そこで天寿をまっとうしました。

私が高校を卒業するまでは祖母と2世帯住宅で同居していましたが、卒業後、私は家を離れ、祖母も入院などで家を離れたため生前に再会することはありませんでした。

私が小さいころ、よくお菓子を持ってきてくれましたが、明治生まれのおばあちゃんが選ぶお菓子と私が好むお菓子の間には少々ずれがありました。
私が中学生のころから痴呆症の症状が出てきて、顔を合わせると同じ話を何度も何度も繰り返すので、疎ましく感じるようになり、次第に距離を開けるようになっていました。

いまひとつかみ合わなかった私と祖母でしたが、明治生まれのおばあちゃんは味噌汁のだしを取るのも、自分でかつおぶしを削ったり、いりこを煮たりしていたのを覚えています。
また、物を作るのが大好きだったおばあちゃん。ノコギリやカンナを使いこなし、自分でコンクリートを練って家の補修などをしていました。実家の庭にある灯篭も自分で作ったというのだからスゴイ!

おばあちゃんの二人の息子(私の父と伯父)は既に亡くなっており、お葬式は寂しいものになってしまいました。
おばあちゃんの亡骸を目の前にして100年間という時間の重みを思うと尊敬せずにはいられませんでした。
もう遅いのですが、私にも何か出来ることがあったのではないかと、申し訳ない気持ちにもなります。

お世話になっていた介護施設は三浦半島の海が臨める丘の上に建っています。スタッフの方々は私よりも若い方も多いようでしたが、親身になってお世話してくれていたことが伝わり、頭が下がります。ここでお世話になれたのは幸せだったと思います。

家に帰ってゆうた・こうたを見ると、はじまったばかりの彼らの生命がまぶしく見えました。彼らのために出来ることを悔いの残らないようにしたいと思います。

そして、おばあちゃん、100年間お疲れ様でした。ゆっくり休んでください。



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