コミュニケーション?

 光太はよくしゃべります。
(もちろん、意味の分かる言葉は出ないのですが・・・)
最近はまっているのは「あばばーっ!」
音や発音するときの口の動きが面白くて言っているのでしょうが、
光太はこの「あばばーっ!」にあらゆる気持ちを込めます。
 嬉しいときも「あばばーっ(^0^)」。
 怒っているときも「あばばーっ!」。
 困っているとき、助けて欲しいときも「あばばーっ!」。
 一緒に遊んで欲しいときも「あばばーっ!」。
そのときどきのシチュエーションから私たちが光太の気持ちを判断している面もありますが、笑い声まじりだったり、泣き声まじりだったり、声の調子も実にストレートに気持ちを込めているので分かりやすい。姿の見えない部屋にいても「今は楽しいんだな」、「悠太におもちゃを取られて怒っているな」、なんとなく分かります。
 一方、悠太は、光太ほどのおしゃべりはありませんが、なにかして欲しいときは目をしっかり見て訴えます。笑顔、泣き顔、言葉はなくても気持ちは伝わります。

 私たちが子どもたちの気持ちを感じることは出来ていると思いますが、その逆はどうでしょう。子どもたちは私たちの気持ちを分かっているのでしょうか?
先日、台風のために急遽、会社が休業になった日の朝、休業の知らせを聞いて喜んでいる私たち夫婦を見た悠太君、いつもはふとんでごろごろしている時間ですが、にこにこ笑ってやって来ました「何かいいことあったのー?」といった感じ。
 光太も楽しい雰囲気が大好きです。私たち夫婦に限らず、楽しそうにしている人たちを見つけるにこにこ笑って一緒に参加しようとします。

 ”気持ちが伝わること”当たり前のことのようですが、悠太・光太と付き合う中で、言葉がなくても気持ちがつながっていると実感できることは、とてもありがたいことです。相手が楽しかったら自分も楽しい、自分が楽しかったら相手も楽しい、楽しい気持ちが相乗効果で膨らんでいく幸せ、言葉がないから余計に感じられるのかも知れもません。

 もうじき、自閉傾向の診断が出てから1年。療育センターでは発達テストも予定されています。悠太・光太はあいかわらず模倣もしないし、言葉も理解してないし、指差しもしないし・・・おそらく発達テストの項目では、ほとんど1年前と変わっていないでしょう。でも、気持ちが伝わっているという手ごたえは1年前よりずいぶんあります。
 もちろん、そんな漠然としたコミュニケーションだけでは、不自由なことがだんだん増えていきますから、具体的なコニュニケーションの方法を工夫していく必要があります。でも、コニュニケーションの土台になるところは出来つつあるのかなァ、と楽観的、希望的に思っています。




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