悪夢の1週間 (後)


 金曜日の朝、9時5分。
 いつものように、玄関のドアをあけた。意気揚々と駆け出す悠太・光太。
 外に出たらまず車に乗りたい二人は、まっすぐ車のところへ行くか、お気に入りの場所に行くのが常だ。
 家の鍵を閉め、荷物を車に載せて、子供を乗せようとあたりを見渡す。
 悠太が路地の石垣に植え込んである花をさわっている。光太の姿は見えないが、どうせ「あそこらへん」にいるだろう。
 とりあえず、悠太を車に乗せよう。
 悠太を迎えに行き、手をつないで実にのんびりと、鼻歌まじりに車まで歩く。悠太を車に乗せ、さあ次は光太。
 「こうちゃーん」と呼びながら「あそこらへん」を探す。いない。次に考えられる「あそこらへん」を探す。やはりいない。
 「こうちゃーん!」
 光太のお気に入りの場所を次々に探すが、やはり見当たらない。
 これは、まずい。ようやく事の重大さに気付いた。

 悠太・光太を外で遊ばせるときは、家のまわり、ごく限られたスペースで遊ばせている。そうでないと、二人に目が届かないし、それでも死角はいたるところにある。
 一番怖いのが脱走。いつも、脱走しないように常に気を張って、目を光らせている。
 最近はお気に入りの場所に執着して遊んでいたし、いつものようにK学園に行くのだと、分かってくれているだろうと思っていた。

 そんな甘い思いが、一瞬の気の弛みが、子供の命にかかわるのだ。

過去に2回脱走事件を起こした光太。
1度目は路地をぬけ、坂道を下り、車の多いバス通りの寸でのところで、たまたま居合わせた私の友達に保護された。2度目は裏のお宅の駐車場に座っていた。
どちらも、さほど遠くへは行っていなかった。

悠太を車に残し、バス通りと、近所をくまなく探す。
「こうちゃーん、こうちゃーん!」呼んでも返事をしないことは分かっていても、呼ばずにはいられない。
5分、10分・・・時間はどんどん過ぎていく。時間が経てば経つほど、事故にあう可能性は大きくなる。
たまらず、仕事中の夫に電話する。
「こうちゃんがいなくなった、どうしよう!?」
「えっ?・・・どこにもいないの?どうしよう、帰ろうか?」
「帰ろうか」って何?!こんな一大事なのに!

それまで外出していた、我が家の目の前に住む夫の伯母が帰ってきた。光太がいなくなったことを話すと、一緒に光太を探し始めてくれた。
探す、探す、探す・・・やはり見つからない。
これだけ近所を探して、あと考えられるのはローカル線のB駅方面だった。大人の足でも7、8分かかる。探しに行きたいけれど、悠太がいる。これ以上悠太を車に待たせておくことはできない。

そこへ、同じく我が家のすぐそばに住む夫の従姉が帰ってきた。
従姉には、悠太も一緒に彼女の娘の幼稚園まで連れて行ってもらい、伯母は近所の人、いろんな人に声をかけ、光太を探してもらうように頼んでくれた。
私はB駅まで走った。涙があふれて止まらない。最後の、思い当たる場所。それでも、光太は見つからなかった。

万策尽き果てた9時40分、110番通報した。
「事件ですか?事故ですか?」
ああ、110番するとこんなふうに言われるんだなあ、と思いながら、子供が行方不明になったこと、光太の特長、服装、障害があり言葉が分からない・喋れないこと、その他事務的なことを伝えた。
警察の人と話をしていると、少し気持ちが落ち着くのを感じた。
もう、これが最終手段なのだから。後は警察におまかせするしかない。

 そして、忘れていたK学園の欠席連絡。
 光太が行方不明になったこと、警察に連絡したことを話すと、K学園からも我が家に職員を向かわせるとのこと。驚いたが、有り難い、これほど心強いことはない。
 肝がすわっていった。

 管轄の警察官が来てくれるのを待ち構えていた。
 110番してから約10分後、警察から連絡が入った。
 「それらしい子供を1人保護しているのですが・・・」
 !!! それらしい子供、って保護されるような子供、光太しかいないじゃん!本当に見つかった?
 もう一度、光太の特徴を詳しく伝えて。
 「それでは後ほど連れて行きますから」

 本当に光太なのだろうか?姿を見るまで安心できなかった。
家の外で待つこと約10分。光太がいなくなってから約1時間。ミニパトカーが視界に入ってきた。
そして。
パトカーの後部座席の車窓から、泣きもせず、ごく普通のしれっとした顔の光太を見つけた瞬間、へなへなと全身の力が抜け、その場に座り込んでしまった。

「光太!」かけよる私。
こんなとき、普通なら「お母さん!」と感動のご対面なのだろうが・・・
光太にしてみれば、きっと不安もなく楽しく遊んでいたのだろう。そこをわけも分からず遊びを中断させられ、あれよあれよという間に見知らぬ車に乗せられ、なんだろう、ドライブうれしいなと思っていたら家じゃないか!
パトカーを降りるなり、光太はご立腹。私には見向きもせず「ギャーッ!」と暴れ、泣きはじめた。
「ほら、光ちゃんお母さんよ。家に帰れてよかったねー」
そう言ってなだめる周り。こんな状況でも明らかに母親を求めない光太を、みんなどう思っただろうか?私にしてみれば、寂しくも当然の反応だったのだが・・・

その光太、見知らぬ大人用のシャツを着ている。そしてズボンも靴もずぶぬれ。
そして、光太とともに1人の女性が降りてきた。
その女性を見て驚いたのが、伯母。「これからうちに人がくるから・・・」と言っていたその人が、パトカーから降りてきたこのSさんだったのだ。
光太は、この伯母のお友達のSさんに保護されたのだ。

詳しいことを聞くと、光太は、私が光太を探しに行ったB駅のまだ先の、我が家からゆうに1kmはあろうかという場所の用水路で遊んでいたそうだ。
そんな遠くに・・・と伯母も私も絶句。
その用水路は、ローカル線の沿線の住宅街を南北に流れている。幅は割と広いが、ほとんどのところにガードレールはない。この日はたまたま水深が浅く、光太のひざ程度の深さしかなかったが、雨の降った後などはかなり増水して危険だ。

光太を最初に見つけてくれたのは、89歳のおばあさんだったそうだ。用水路に四つん這いになって水遊びをする光太を最初見たとき、「浮いている(死んでいる)!」といたくびっくりさせてしまったらしい。
しかし、光太はそれは楽しそうに水遊びをしていた。周りに母親らしき姿も見えない。きっと、「これこれ、危ないよ」と水遊びをやめるように諭してくれたのだろう。けど、何の反応もない光太に、「耳が聞こえないのか」と思ったそうだ。

その後も意気揚々と用水路を北上する光太を放っておけず、ずっとついていてくれたらしい。さすがに水から引き上げないと、と近所の人に助けを求めても、どこの家も留守だったらしく人が出てこない。通りがかりの人もいたらしいが、素通りされた。
そこへ、たまたま通りかかった伯母のお友達のSさんが、光太と困っていたおばあさんに気付いてくれたそうだ。
Sさんは、伯母の家の周りで遊ぶ光太を見たことがあったらしい。「あそこの子に似てるなあ」と思って、伯母に何度も電話をしてくれていたのだが、そのとき伯母は光太を探して走り回ってくれていたので、電話はつながらずじまいだった。

Sさんは自らもずぶぬれになりながら、光太を用水路からあげようとしてくれた。
しかし光太にしてみれば、「遊んでるのに何するんじゃー!」とSさんやおばあさんの気持ちが理解できず、暴れまくり、寝そべり、また水に入ろうとする。
そのときの光太の様子は親には想像に難くない。どんなにか抵抗しただろう。どんなにか手こずらせたことだろう。
Sさんが警察に連絡する間、おばあさんが光太を見てくれていたそうだが、それでもまだ何度も水に入ろうとする、そしてその力の強いこと。光太を水に入らないよう捕まえるのに、それはそれは大変だったそうだ。

そんな光太の濡れたTシャツを脱がせ、かわりの上着を着せ、警察に届けてくれたSさんとおばあさん。
感謝の気持ちは言葉ではとても言い表せない。
「良かった、無事で良かった」と一緒に喜んでくれた伯母、ご近所さん。
おかげさまで、こんなに早く、光太が無事に私の手元に戻ってきました。本当に、本当にありがとうございました。
頭を何度も何度も下げた。

「まだ遊ぶんじゃ、行くんじゃー!」と暴れる光太を家に連れ込む。
おお、おお、楽しかったんだねえ。でも、勘弁してくれよ!
嬉しいやら、腹立たしいやら。
光太が無事に見つかったことを、夫とK学園に報告する。

ほどなく、悠太を乗せた従姉の車が帰ってきた。
何にも分かっていない悠太は、乗ったことのない車に乗って、行ったことのない幼稚園に連れて行ってもらって、いたくご機嫌だったらしい。そして・・・ご機嫌であっちこっちへ行きたがり、従姉をかなり手こずらせたようだ。
従姉にもごめんなさい、そしてありがとう。おかげで安心して光太を探すことができました。
悠太を従姉の車から降ろそうとすると、「まだ乗るんじゃ!」と激しく抵抗するし。本当にあんたたちときたら!

「せっかく楽しかったのにー!」と「楽しいことを中断させられた」という思いしかない二人は、家の中でなおも激しく泣き叫ぶ。
あれだけ大それたことをしておいて、たくさん人に迷惑をかけて心配をかけて、親の寿命を縮む思いまでさせて。
なんなの、あんたたちは・・・

光太が見つかった後ではあったが、K学園の園長先生と、O先生がわざわざ訪ねてきてくださった。光太がまだ見つかっていなかったら、先生方も捜索を手伝うつもりで、光太の写真持参で。
「本当に見つからなかったら、こっちでも捜索隊を組まなきゃ、って話してたのよ。ま、無事でよかった!」とからから笑いながら言う園長先生。その笑顔の裏で、光太のことを本当に心配してくれていたのだろう。
有り難い気持ちでいっぱいになった。

そして、ぜ〜んぶ片付いた後で、のこのこ「ただいま〜」と帰ってきた夫。遅い!


今回のことで、「地域の目」というのがどれだけ子供の身を守るか、身にしみてわかった。Sさんがたまたま光太のことを知ってくれていたから、こんなに早く助かったのだ。

「私1人でこの子たちを育てている」のは思い上がりだった。こんなにもたくさんの人が、私を、この子たちを支えてくれている。
独りで抱え込んで、周りに壁をつくっていたのは自分じゃなかったのか?

 後で、伯母が話してくれた。
 「悠太を見ていてくれ」と私が頼んだとき、言葉が足りず私に不快な思いをさせてしまった。お互いなかなか話をする時間がないから、いざというとき意思疎通できないね。これから、もっともっと、会話をしようね。

 従姉も、自分の娘が迷子になったとき、パニックになったことがあるそうだ。
あのときパニックになった私を見て、そのときのことを思い出して辛かったそうだ。従姉が叫んだ、「わかるから、わかるから!」はそういうことだったのだ。
親なら誰でも、我が子に何かあったら気が狂わんばかりになる。その辛さを、いたみを一緒に味わって、心配してくれていた。
「もっと話をしなきゃね」従姉もそう言ってくれていたそうだ。


夫と結婚して、この土地で生きることを決めたのは私だ。
夫の伯父・伯母が目の前に住んでいて、従姉夫婦が住んでいて。それはあくまで「夫の」伯父・伯母、従姉で、私にとっては他人で。
そんなふうに思っていた。
古くからの土地で、地元の人に馴染めなくて、ご近所付き合いもほとんどなくて。
この子たちを抱えていると、今は本当に家から出られない、お付き合いもできないのだけれど、それをどこかで好都合と考える自分がいた。

 今回、光太を、私を助けてくれたのは誰だったか?誰に助けられ、生かされているのか?

 急にはできないけれど、少しずつ、心の壁を崩していこう。この土地で生きていくのだから。

 最初に光太を見つけてくれたおばあさん、Nさんのお宅に家族みんなでお礼に伺ったが、Nさんは残念ながら不在でお会いすることができなかった。Nさんの息子さんにお礼の品を渡し、言伝を頼んでその場を辞した。

 翌日、Nさんから電話をいただいた。
なんでもNさんは、夫の亡くなった祖母と知り合いだったらしい。伯母にうちの電話番号を尋ね、ずぶ濡れだった光太が風邪などひいていないか、心配してわざわざ電話してきてくださったのだ。

人の気持ち、情、善意・・・
何に感謝していいのかわからないほど、温かい気持ちにつつまれた。


悪夢の1週間は終わった。
光太が行方不明になったショックは、今も引きずっている。
園長先生は、「無事に見つかったんだから、それでよし!もう何も考えないのよ!」と言っていたけど、やっぱり簡単には忘れられない。

ふと、1週間前にはずした結婚指輪をつけてみようかな、と思った。
サイズが合わなくなる前に、もう一度、向き合ってみようかな。



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