悪夢の1週間 (前)


 先週水曜日のお預かりの日のこと。
 子供を園バスに乗せて、さあ帰ろうと思って車に戻ると、悠太の靴がひとつ座席に残っている。靴が片一方脱げたまま乗せてしまったのだ。
 先生が悠太の靴を探して困ってはいけないと思い、園に電話連絡した。
 普通に電話して・・・「うさぎ組の、」と言ったところで言葉に詰まった。なんと、自分の苗字をど忘れしてしまったのだ。あれ、私の名前、なんだったっけ?出てこない。
「えーっと、えーっと」と苦しんで出てきたのは結婚前の私の旧姓!「○○(旧姓)じゃあなくって・・・」数秒後、ようやく思い出すことができた。
 結婚して4年。自分の苗字を忘れて、今ではまったく使うことのない、普段思い出すことすらない旧姓が口から出てくるなんて。
 笑い話ではあるが、少なからずショックだった。

 その週の土曜日。
 笑い話にはならない、「この4年間の結婚生活ってなんだったんだろう」と思う出来事があった。
 本当にシャレにもならないので詳しいことは伏せるが、私は久々に前後不覚になるほど荒れた。私を地獄に突き落としたのは、またもや夫の軽率かつ、私の気持ちなど全く顧みない行為だった。
 私も自分で自分のことをろくでもない嫁だとつくづく思っているが、夫のような普段よくできた人が、「絶対やってはいけないこと」をさらりとやってのける・・・というのもこたえる。

 夫との結婚生活を維持していく自信がなくなった日曜日、私は数日分の着替えの入った荷物を持って家出した。結婚指輪もはずして。
 行くあてなどない。
 実家へ帰ろうにも、あの「悠太・光太命」の私の両親が、子供をおいて私が実家へ帰ることなど許すはずもなかった。
 悔やんだのは、子供の夕食をつくってこなかったこと。
今回のことに子供は関係ない。私がごはんを作らなかったら、子供がひもじい思いをしてしまう。コンビニ弁当やハンバーガーなどは受け付けない子供だ。
 重い荷物をかかえたまま、街をうろついて・・・結局、子供の食事の時間に間に合うように帰宅した。
 子供が障害児だと、家出すらできないのか・・・

 週明け、夫のお弁当作りを放棄することを宣言した。
 子供が1歳半の頃から作り続けていたお弁当。忙しい朝、残り物と冷凍食品をつめただけのお弁当も、つくろうとすれば15分はかかる。弁当箱に、彩りよく、すき間なくおかずを詰め終えた後の達成感は何ともいえず、弁当作りは苦ではなかった。
 けど、それも愛があってのこと。
 自分が弁当をつくるようになって、お弁当というのは愛なんだなあ、とつくづく思う。会話の時間の少ない夫への、「今日も頑張ってね」のメッセージがこもったお弁当。
 そんなお弁当を、つくる意味さえもはやない。

 週末から体調を崩して、鼻水をたらしている悠太・光太。(原因は、ぬるま湯になっても延々とやり続けるお風呂での水遊びなのは明白)
 月曜日のK学園、幸か不幸かその日の遊びは、二人の大好きな泥遊び。
 園庭の砂場にホースから水をどんどん流し、お山をつくって川をつくって・・・
 そりゃあ、悠太・光太は大喜び!ホースの水を頭からかぶって、全身ずぶぬれになってご機嫌!
 ただ、この日は気温は多少高くても風が強かった。
 ずぶぬれになった二人は、風邪をぶり返してしまった。
 妙な時間に昼寝をしてしまって生活リズムは崩れて機嫌は最悪、泣き叫び、暴れ、食事もとれななくなってしまった。

 火曜日、K学園に行っても光太はまったく遊ぼうとしない。園庭でも私にしがみつき、下りようとしない。大好きなトランポリンのあるホールにも入ろうとしない。
 あまりにもしんどそうな光太に、早々に帰宅。
 家に帰ってからも泣き叫ぶ光太に、ぐずぐずの悠太。
 もともと精神的に参っているのに加えて、延々と続く子供の泣き声。子供もしんどくて泣いているのはわかっているけど、なだめる気力もない。私も心身ともに限界。

 今まで、悠太・光太二人の面倒を私ひとりでみてきた。
 困ったことは多々あれど、大概においてにこにことご機嫌の二人、あまり「手に負えない」と思うことはなかった。
 言葉の喋れない二人だが、だいたい、二人が何をして欲しいかは理解できた。要求に応えることができた。「私はこの子を理解できている」ということが親としての自信でもあった。

 けど、最近の二人はまったくもって手に負えない。
「こうしたい、ああしたい」という思いが強くなり、要求も複雑になってきている。それだけ成長しているのだと思えばありがたいことなのだが、何をして欲しいのか分からないことが増えてきた。
要求は複雑化しても、それを伝えるすべが相変わらずクレーンだけ。クレーンだけではすべての要求を伝えられなくなってきているのだ。
子供は一生懸命に何かを伝えているのだが、私にはわからない。
「ごめんね、わからない」
「なにがしたいの、わからないよ」
「わかるように教えてよ!」

伝わらない思いに、子供もストレスを随分ためこんでいる。子供を分かってやれないことに私もストレスがたまる、親としての自信も失う。
限界。
精神を病むまで子供から解放されないのだろうか・・・

いつもなら水曜日はお預かり、単独登園の日だが、とても子供の体力がお預かりに耐えられそうにない。この日は1日お休みすることに。
けど・・・私も、子供とまるまる1日向き合う精神的な余裕がなかった。
子供がこわい。
子供と3人だけで過ごす1日を思うと、体も心もこわばるのを感じた。
今日このまま3人で過ごすと、子供か私のどちらかが壊れてしまう。もしくは共倒れに。
急遽、夫に会社を休んでもらい、1日子守をしてもらうことにした。

私以外の手がある、というだけで少しでも気持ちは休まる。
案の定、子供はぐずぐずで、気の長い夫の手にも余るほどだ。1日休養のために休んだのに、「外へ出せ」とうるさい。自分の要求が通るまでしつこく訴え続ける。
あいにくの雨模様。気分転換のドライブはできるが、外遊びはできない。
どちらかが泣き疲れて眠ると、もう1人が同じように「外へ出せ」。
機嫌の悪い二人の泣き声がとだえることはない。

夫が子守をしてくれている間、少しだけ外出。久々に、映画館で映画をみた。
家から車で5分のところに、シネマコンプレックスの入ったショッピングセンターがあって、便利。
2時間の現実逃避代、1000円也。

しばらく食事をとらなかった悠太が、この夜、3日ぶりにクリームシチューを口にした。光太は昼、夜と随分食欲も快復した。
なんとか、大丈夫かな。

木曜日。
まだ鼻水は残るものの、元気いっぱいの二人。ようやく園でも普段どおり、にこにこで遊べるようになった。
やはり園では何も食べようとしない二人だが、帰宅後、遅めのお昼ご飯をしっかり食べる。(悠太は夜は「いらない!」ハヤシライスは食べたくない、キライらしい。光太は夜もぱくぱく。)
一食でも食べられればもう大丈夫。食べ物を受け付ける「気持ち」が出てきた。この気持ちが出てこない限り、いくらお腹がすいていても食べようとしない。やっかいなのだ。
子供も体調が回復し、延々と泣き叫ぶことはなくなった。
困ることはたくさんあるし、子供がかんしゃくを起こすこともたびたび。けど、私も随分精神的に楽になり、ようやく平穏な日が戻ってきた。
もう、大丈夫。

金曜日。
いつもどおり、K学園に行く支度を済ませる。
この日は悠太、朝ご飯からしっかり食べてくれた。朝ご飯を食べるなんて何日ぶりだろう?よし、もう大丈夫!これで今日もしっかり遊べるね。
すっかりうれしくなった私。
「ゆうちゃん、こうちゃん、行くよー!」
にこにこで玄関にやってきた二人に靴を履かせて、ドアを開ける。

この日、最大の悪夢が待ち受けていることなど予想だにしなかった。



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