<2歳代・障害の告知後>
 どん底の状態。家の中にいても近所の子供の声が耳に入る。かわいいおしゃべりの声。
耳をふさぎたくなる。あんなふうに自分の子供から「お母さん」と言ってもらえたら・・・
ささくれだった心を癒してくれたのは時間だった。徐々に、徐々に最初の衝撃は薄れていった。どんなに落ち込んでいても、子供にご飯を食べさせなくてはいけない、お風呂にいれなくてはいけない。そんなこともそのときは救いだったのかもしれない。

 10月に入ると、それまで月に1度程度だった療育センターの指導も隔週になり、保育士さんとのマンツーマンからうちの子供を含め4人の教室になった。
 その頃にはすっかり療育センターへ通うのもなれた悠太と光太はニコニコ、ご機嫌だ。
センターの教室は親の私もとても楽しかった。親も一緒に子供と走り回る。家の中だけでは気付かない成長も垣間見ることができた。
 すき在らば脱走しようとしていたのに、途中でドアを開けられてもじっとしている。
おやつの時間もちゃんと椅子に座っておくことができる。そこが楽しい場所だということがわかっているのだ。
 何よりも、楽しそうにしている子供の顔を見られるのがうれしかった。

 気がつけば、随分と笑顔が増えている。相変わらず呼びかけには反応しないが、一緒に遊んでいるときは視線もよくあうようになった。
 もともと甘えん坊で、スキンシップや抱っこは大好きな二人だったが、より一層抱っこをせがみ甘えてくるようになった。
 これといったきっかけはないのだが、ようやく、二人をかわいいと思えるようになってきた。子供を産んでからというもの、これでもかとばかり辛いことが続いた。子供を心からかわいいと思うことができない私は母親失格なのか?と1人苦しんできた。
けれど、2歳3ヶ月目にしてようやくこの子たちの母親になれたような気がした。

 7月から通い始めた月1度の区の双子サークルでも、子供に障害があることを告げた。
知的発達障害で自閉傾向があること、出入り口に執着があるために脱走癖があること、人のものと自分のものの区別がつかないので迷惑をかけるかもしれないこと、一人で遊ぶことを好むので決して他のお子さんを傷つけるようなことはしないこと、などをみんなの前で話した。
 話しているうちに、自然に体全体に震えがくる。
 この後のみんなの反応を考えると怖かった。白い目で見られてしまうんじゃないんだろうか、腫れ物をさわるように扱われるんじゃないんだろうか・・・
 理解してもらえないかもしれない。何もここで言わなくてもいいんじゃないか。けど、これが最善だと信じたい。子供たちを守るために。
 意外にも、お母さんたちの反応は好意的なものだった。
 子供の発達を心配する気持ちは母親は一緒。双子ゆえ小さく生まれた子供も多く、発達がのんびりしている子もいる。病気を繰り返してばかりの子もいる。みんな、パーフェクトな子育てをしているわけじゃない。
「どうして障害があるってわかったの?」「どんなふうなの?」
 ストレートに尋ねてくれるおかげで、私もいろんなことを答えることができた。
障害のことを告げても、変わりなく接してくれるお母さんたち。ほんとうにうれしかった。
今もお母さんたちは本当によくしてもらっている。ちょっと目を離した隙に脱走しかけていたうちの子を連れ戻してくれたり、帰り際、私が1人に靴を履かせていると、もう1人に靴を履かせてくれたり、と、さりげなく手をかしてくれる。普段は1人で背負い込みがちな2人の世話。助けてくれる人がいるというのはどれだけ嬉しいことか、こんな瞬間身にしみる。サークルのお母さんたちには感謝の気持ちでいっぱいだ。

10月の終わりには一泊で温泉に家族旅行もした。
半年前に旅行したときと比べると随分と楽しいものとなった。子供も体力がつき、少々の移動も苦になることはない。家族風呂でみんなで温泉に入ることもできた。子供を湯船の中にぽんと入れておいても、もう湯船の中でバランスを崩してひっくり返っておぼれる心配もいらない。多動の子供をことあるごとに制止するのは大変だったが、何よりも子供が楽しそうにしていてくれるのがうれしかった。

以前は、ただただ子供と離れたい、解放されたい、1人の時間が欲しいとばかり願っていたが、子供と一緒に楽しめることが増えてきて、随分と気持ちも変わってきた。1人よりも家族みんなで楽しく過ごしたい。悠太と光太の笑顔がいっぱい見たい!

<悠太の変化>
 2004年の年明け早々、私は思いがけないお年玉を悠太からもらった。
1月1日、家族みんなで夫の実家へ遊びに行っていたときのこと。昼食をとり終わり、例年だと、ここで義母に子供を見てもらって夫と2人で初詣をすることになっていた。今年も、子供の目を盗んで外出のチャンスがないか伺っていた。
そのとき、悠太がぐいぐいと私の手を引っ張るのだ。こんなことをするのは初めてだ。
なんだろう?私の頭の中はクエスチョンマークでいっぱい。あまりの力に悠太に手を引かれるまま行くと、なんと玄関へ連れて行ってくれたのだ。まるで「お外へ連れてって」とでも言うように。
「悠太、お外へ行きたいの?」と問いかける私をじっと見つめ返す悠太。
そうなんだね。お外へ行きたいんだね。お外へ連れてって欲しいんだね!

私は驚きと感激でいっぱいになった。
今までも、「絵本読んで」と絵本を手渡してくれたり、遊んで欲しいおもちゃを持ってきて手渡してくれたりはしていたのだが、こんなふうに手を引っ張って「こうしたい」と意思表示してくれたのは初めてだったのだ。
初詣は当然中止。家族4人とおばあちゃんと一緒に近くの公園へ。そこでもまた驚きの変化を見せてくれたのだ。

悠太は石橋をたたいて渡るタイプ、といえば聞こえはいいが、とても怖がり。特に段差には慎重で、いまだにほんの10センチ程度の段差でもいったんしゃがんで下りるほどだ。階段も苦手で、4つんばい状態に手をついて上がり、下りるときも後ろ向きに慎重に下りている。
その悠太が。公園の滑り台の階段を1人で上手にすたすたと上がり、滑ったのだ。よほどうれしかったのか、満面の笑みで何度も何度も滑り台を滑っている。
ひと月ほど前に光太は「1人で滑り台」デビューははたしていたのだが、それは怖いもの知らずの光太のこと。こんなに早く悠太ができるようになるとは思っていなかった。
なんともうれしい年の始めとなった。

それ以後、悠太はぐんぐんと意思表示をするようになった。
家の前の外で遊んでいて、疲れたら「もう帰ろう」と私の手を引いて玄関まで連れてくる。取って欲しいものがあるところに連れて行って、私の手をその方向へ持っていく。
(以前は、取りたいものがあると1人で何とかしようとやっきになって、それでも取れないと泣き出していたのだ)
 クレーンだろうがなんでもいい。一生懸命いろんなことを伝えようとしてくれる悠太。今までほとんど私からの働きかけばかりで、コミュニケーションは一方通行だった。それが今では悠太から働きかけてくれる。頼りにされている。
 うれしかった。涙が出るほどうれしかった。今まで子育てしてきた中でこんなにうれしかったことがあっただろうか?

 悠太に手を引かれると、「今度は何がしたいのかな」と楽しみになってきた。
が、最近の悠太は「自分がこうしたいと思えば何でもかなう」と思っているふしがあり、お殿様気分でたいそうつけあがっている(笑)。 
できるだけの要求はかなえてあげたい、がそこは鬼ハハ。「ダメなものはダメ!」と手厳しい。すると、悠太もよく知ったもので、子供に甘ーいお父さんに「お父さん、これやってー」とすり寄っていくのだ。

先日、思わず笑った一件があった。
古い携帯電話をおもちゃにしていたのだが、以前それを使っていた頃は、何かしらボタンを押せば画面が明るくなっていたのに、バッテリーが切れた今となっては画面に何も表示されない。それが不満な悠太は、父に「これ、なんとかしてよ」とその電話を持っていく。しかし父は「これはねえ、もうだめなんよー」と埒があかない。
その様子を見ていて、私は「ははあ、今度は私のところに持ってくるな」とふんでいたのに、悠太が次に行ったのは光太のところだったのだ。
悠太と光太が一緒に遊ぶことはまずない。2人の接点といえばおもちゃや絵本の取り合いぐらいで、それ以外のときはお互いの存在が眼中にあるのかさえ疑わしい。
それが、悠太は光太の手を懸命に取り、「こうちゃん、これ直してよ」と携帯電話を渡そうとしている。けれど、何のことかわかっていない光太は当然そ知らぬ顔。真剣な悠太の顔と、あさってのほうを向く光太。その絵づらのおかしかったことといったら!

こうやって意思表示をしてくれるようになった悠太を見て思う。
きっと、今までも「あれやって欲しい、これやって欲しい」ってずっと思っていたんだろうな。でもどうすればいいのか、どうすれば伝わるのか分からなかったんだね。いっぱい、いっぱい伝えたい気持ちがたまって、やっとそれがあふれてきたんだね。



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