思えば遠くに来たもんだ


 今日はちょっと育児ネタを離れた私のひとり言です。


 4月22日、私たち夫婦は結婚4周年を迎えました!
 改めて、こんな私をおヨメさんにしてくれた夫に感謝です。この日は夫にも定時退社してもらい、ここぞとばかりにご馳走とワインでお祝いしました。

 それにしても・・・結婚記念日、と盛り上がっていたのは最初の1、2年くらい。去年あたりからはこの日を思い出すことすら怪しくなってきました。
 1ヶ月前あたりには、「もうそろそろ結婚記念日だねえ」なんて思うのですが、直前になるところっと忘れてしまうのです。先週末も1週間分の食料の買出しに行って・・・まったく普通の献立を考えて買い物。週の半ばになって、「ああっ!そういや金曜日は結婚記念日、ご馳走しなくちゃ!」と、ぎりぎりのところで思い出す始末でした。
 結婚記念日が普通の日々に埋もれてしまうのも時間の問題かもしれません。

 けど、私たち夫婦よりもちゃ〜んとこの日を覚えていてくれる人がいるのです。
 それは、アメリカはフロリダ州に住む私の友達、S嬢。
 私たちの結婚記念日が近づくと、毎年エアメールで「結婚記念日おめでとう」のカードと手紙が届きます。彼女からの手紙で、「おおっ!そうだった」と忘れないように念を押しているのです。

 私が愛知県出身のこの友達S嬢と出会ったのは12年前。
当時、私はアメリカ・カンザス州の小さな町にある短大に留学していました。そこへ、私より1年遅れで入学してきたのがS嬢でした。

私の高校時代というのはバブルの絶頂期。それがもうすぐ崩壊するのも知らず、小さな地方自治体が町おこしの一環とこぞって「アメリカ○○州立××大学日本校」なんてのを誘致していたのです。
私は高校時代、音楽大学を目指していました。残念ながら、高3になると極度のスランプに陥ってしまい、結局受験目前で音大進学はあきらめてしまったのですが、そのせいで普通の勉強はまったくしていませんでした(笑)。
行き場の無い私は、高校卒業後、当時できたばかりの「××大学日本校」でとりあえず英語の勉強をすることにしたのです。

その後、1年でその「××大学日本校」は辞め、親元に戻り、さらに1年間のアルバイト生活を経て、20歳のときアメリカへ渡ったのです。(ちなみに、その「日本校」はバブルの崩壊とともに、あっという間に閉校となってしまいました)
当時は本当にものすごい留学ブーム。私が「学費が安い!」ということで選んだそのど田舎の小さな町の小さな短大にも日本人留学生が数人いるほどでした。

アメリカ人はもとより、その日本人の中にも馴染めず、交われずにいた私。だって、ほんとに「ここまで何しに来たの〜?」という輩たちばかりだったのですよ。勉強もせず、言うことばかりいっぱしで。それでも、数少ない日本語を喋れる人たちでもあり、週末には寮生活の私に日本食を食べさせてくれる人たちでもあり・・・とかなり無理をして付き合っていました。

そんな中、1年後にやってきたS嬢はかなり異色な存在でした。
馴れ合いの日本人同士にも染まらず、アメリカ人の文句を言いながらも(時には涙を見せながらも)、マーチングバンドに入ってがんがんにアメリカ人の中に入っていって。
私以上に歯に衣着せぬ物言いのS嬢、最初は距離をおいていた私も、うまが合うとはこのことなのか、急速に親しくなっていきました。

その後、私は望郷の念耐えがたく卒業後すぐに帰国。「また日本で会おうね!」と言いながらもS嬢は4年制大学の3年次に進み、そこで生涯の伴侶と出会いあっという間に結婚。数々の職につきながら、今はフロリダのディズニーワールドで働くつわものなのです。
彼女は本当に不思議なパワーの持ち主で(きっと本人はつゆともそんなこと思っていないでしょうが)、たまたま出場することになったアメリカの国民的クイズ番組で車を当ててしまったり、日本でも若者に人気のロックグループのメンバーの1人とボーリングしたり(彼女もご主人もその手の話題にうとく、その人がそんな人気スターだとは知らなかったそうです)、と話題に事欠きません。

94年、私の卒業後もう10年以上S嬢とは会っていませんが、今でも大切な友達であることには変わりありません。こうしてずっと友達関係でいられるのも、何かにつけ筆まめなS嬢と、パソコンの普及のおかげです。筆不精の私ですが、Eメールとなれば別。封筒の宛名書きや、切手を貼ってポストに投函・・・という私にとって恐ろしく面倒な作業をしなくて済むのですから。特に子供を産んでからというもの、徒歩2分の郵便ポストが地の果てのように遠いのです。

彼女もこのホームページを見て、応援してくれています。「愚痴でもなんでもいつでも話をきくよ」と言ってくれる心強い存在です。そして、わざわざこのホームページをプリントアウトして、愛知の実家のお母さんにも送って読んでもらっているそうです。
アメリカの片田舎の町で出会い、かけがえのない時期を泣いて、笑って一緒に過ごした友達。
かたやアメリカで結婚、アメリカに根をはって生きる彼女と、日本で結婚、双子の障害児の子育てに奮闘する私。
まったく違う道を歩むことになったけれど、こうして、遠くの大切な友達にも「元気で頑張っているよ」というメッセージをタイムリーに送れる現在、気持ちの近さはあの頃と変わりません。

友達なんて、本当に気の合う人一人で十分!が信条の私は、留学時に知り合った日本人で帰国後も連絡をとっているのはこのS嬢1人だけ。他の人には日本での連絡先を教えもしなかったし、こちらから聞きもしなかったもんなあ・・・
でも、ちょっと前のこと。
留学時に知り合った一人の私と同い年の男の子、やんちゃでいきがってばかりの「なんだこいつは」と思っていた子が、教育テレビの育児番組に奥さんと赤ちゃんと一緒に出演しているのを見たときにはぶっ飛びました。
うっわ〜、こいつもいいお父さんになってるんだ・・・

時が経つのは早いもの。
音楽に身も心もすべて費やして燃え尽きた高校時代も、ホームシックに苦しみながらも頑張りぬいた2年間の留学期間も、今となってはいい思い出です。

これ以上つらい思いがあるのだろうか、と思っていたあの頃。
でも、その後もまた別の違った「つらいこと」はつきることはなく・・・結婚・出産後はこれまで人生最大のピンチでした。
今までは、どんなに挫折してもまだ若く、いくらでも別の選択肢や逃げ道がありました。どんなにつらくても、「死のう」とは思わなかったもんなあ。
けど、いくらつらくても子育てに逃げ道はありません。その責任の重さといったら。

このトシになって今更だけど、本当に「おとな」になってしまったんだなあ・・・
そして、みんなそれぞれの道を頑張って歩んでいる。

あの頃があったから今の自分がある。
夫と結婚することになったとき、「神様は本当にいるんだなあ」と思いました。夫と出会えたことは、今まで頑張った私へ神様からのプレゼントだと思いました。(神様はとんでもない苦悩もおまけしてくれましたが。)
現実の生活はいろんなことがあって、半端じゃないけんかもするけれど、それでも夫を「生涯の伴侶」と思う気持ちは変わりません。
よくもまあ、こんなノロケをぬけぬけと!と思われますか?
いえいえ、ノロケじゃないんですよ、事実ですから。

夫は私の人生の大金星!
悠太と光太は・・・さしずめ、ダイヤモンドの原石、ということにしておきましょうか。磨こうにもちょっと・・・あまりにもやっかいで(笑)。

結婚記念日ということで、たまには夫を持ち上げないとねえ。こんな感じで、ま、いっか〜・・・




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