<2歳代・障害の告知>
 二人は2ヶ月早く生まれたので、修正月齢で2歳を迎える9月の終わり、療育センターで発達テストをうけることになった。
 障害があることはテストを受けるまでもなく親の目には明らかだった。
 テスト当日。室内をうろうろするばかりで出される課題にほとんど興味を示さなかった悠太。一方、高度なことはできないが、おもしろそうなものには手をだしてきた光太。
 結果、悠太は生後9ヶ月程度の知能、光太は1歳程度の知能。この時点で知的発達障害と診断された。自閉傾向はあるものの、はっきりと自閉症と診断に結びつくこだわりの強さは見受けられないということだった。
(けれど、一緒に生活しているうえでは、こだわりはいたるところにある。悠太の水や丸いもの・缶のふたや輪っかなどに対する執着、出入り口に対する執着、二人とも温かい食べ物・飲み物しか口にしないという温度に対するこだわり、など・・・)

「あーあ、ついに二人もまぎれもない障害者か・・・」
医師から障害を告げられた帰り、夫の運転する車の中で笑ってつぶやいた。
 わかっていたことだった。わかっていたことだった。でも。
 これで一縷の望みさえなくなってしまった。経たれてしまった。
 絶望感は時間がたつごとに重くのしかかっていった。
 これからどうやってこの子たちを育てていけばいいんだろう?どうして普通の子じゃないんだろう?私にはできない。こんな子、育てられない。いやだ、いらない!

 死んでしまいたい。この子たちを殺して、私も死のう。
 子供がにくかった。なんであんたたちなの。どこまで私を苦しめれば気がすむの?
 怖かった。このままでは本当に子供に手をかけてしまう。
助けを求めて夫の携帯電話に電話をした。何度かけても夫が電話に出ることはなかった。
仕事が忙しいのか。それでも、出ない電話番号を何度も何度も押し続けた。
 家からの着信記録が残っていたはずなのに、夫が電話をかけてくることはなかった。
 また、ひとりだ・・・
 絶望に疲れ果てて眠った後、夫は帰ってきた。

 翌朝、いつものように支度をして出かけていこうとする夫に問い詰めた。
 どうして昨夜電話に出てくれなかったのか。夫は「どうしても電話に出られなかった」という。なら、なぜ今朝「昨日どうしたの」と聞かないのか。用があって電話したに決まっているのに、何度も電話したのを知っていながら、どうして何も言わないのか。
 夫はいつもそうだ。
 肝心なところで逃げる。昨日のことは終わったことであって、面倒なことをあえてほじくり返したくないのだ。あの電話が私が助けを求めていたものだったと知っていたとしても。
 逃げ腰な夫の態度に涙があふれてくる。
 どうして助けてくれないの?子供を殺すところだったんだよ。
 私は叫び狂った。
「じゃあ、どうしろっていうの・・・」うなだれた夫は、そのまま会社へ向かってしまった。
 私は呆然とした。また、取り残されてしまった。もう死ぬしかないんだろうか・・・

 後日、夫と話し合った。
どうして、あの日の朝、私を置いて会社へ行ってしまったのか。
 帰ってきた夫の言葉に愕然とした。
「大人なんだから大丈夫だと思った」
 わかっていない。この人は何もわかっていない。子供とずっと接しなければいけない母親の苦しみなど、わかろうとすらしていない。
 障害の事実をつきつけられて絶望して、一人では背負いきれず助けを求めて泣き叫ぶ私を見て、どこをどうやったら「大丈夫」に見えるのだろう?この人は人間なのか?
 確かに、夫は仕事が忙しい時期だった。やらなければいけないことが山積みだったのだろう。
だからといって、死を選びかねない妻をどうして見捨てることができたのだろう?私はあの瞬間見殺しにされたのだ。
夫をもはや信じられなかった。

その後も何度か話し合いをした。夫に対する信頼を回復するには長い時間が必要だった。今では元通り、普通に夫婦をしているが、いつか私が歳をとってぼけたとき、ずーっとこのときの記憶がついて回るような気がする。
あのとき、あなたは助けてくれなかった。子供の障害に直面したとき、私はひとりだった、と。




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