障害と、偏見と


ある晩、子どもたちの寝顔を見ながら、ふと「先のこと」を考えてしまった。
きっと、障害を持つ子どもの親なら誰でも考えることなのだろう、けど、そんなふうに先のことを考えたのは初めてだった。
私が死んだら、夫が死んだらこの子たちはどうなるのだろう?そもそも「死」を理解することができるのだろうか?
きっと、悠太と光太で助け合って生きていくのだろう。兄弟がいるというのは心強い。けれど、もし、どちらかが先に死んでしまったら?相棒がいなくなってしまったら?
この子たちがこの世を去るとき、「幸せだったなあ」と笑顔でいてくれるのだろうか?
バカだなあ、そんな先のこと。私たちが死んだ後のことを考えても仕方の無いことなのに。自嘲しながらも涙があふれてきた。
どうか、私たちが死ぬまでに、1人で生きていく力をつけて欲しい。そして、彼らをサポートしてくれる社会であって欲しい。

 私が小学校4年のある日、担任の先生がナンバくんのことを話し始めた。小学校4年生の子どもには先生の言うことがあまりよく分からなかった。
 そして、私のクラスにナンバくんはやってきた。

 ナンバくんは障害児学級に通う知的障害の男の子。私のクラスは今でいう交流学級になったのだ。今では交流学級はよくある取り組みだけど、20年以上前の当時は画期的なことだったはず。親御さんの希望だったのか、今となっては分からない。

 ナンバくんは幼い、あどけない笑顔がとてもかわいい男の子だった。4年生の授業についていけるはずもなかったが、彼の出来る課題を彼なりに懸命にやっていた。
 ちらっと彼のノートを見ると、たどたどしいひらがなで、簡単な文章を書いていた。当時で、5、6歳程度の知能だったのかなと思う。
 クラスのみんなも、知的障害うんぬんはよく分からないけれど、彼をからかったりいじめたりすることもなく、適当にナンバくんを助けながら楽しくやっていたように思う。
 偏見が生まれる前の子供時代。とっても自然な関係だった。

 ナンバくんは、なぜか40人近くいるクラスメートの中で、スエマサさんという女の子が気に入ってしまった。スエマサさんは、特に面倒見がいいというわけでもなく、普通の明るい小柄な女の子だった。
 ナンバくんが教室に入ってくるなり、「スエマサさん!」と大きな声でニコニコ。スエマサさんも、困惑気味ではありながらも彼のことをよくフォローしていた。
 ナンバくんのことで思い出すのは、ひらがなのノートと「スエマサさん、スエマサさん!」と懸命に彼女を慕って連呼する彼の声、笑顔。

 4年生の1年間が終わると、ナンバくんはどこかへ行ってしまった。転勤族のおうちだったらしく転居したのか、私も5年生になるとクラス替えもあり、彼のことはすっかり忘れてしまった。

 ナンバくんは私が初めて接した知的障害をもつ人だった。悠太・光太と出会うまで、最初で最後だった。
 悠太と光太に障害があると分かってから、よくナンバくんのことを思い出す。私と同い年だから、もういい大人だ。
彼はどうしているのだろう?働いているのかな?幸せにしているのかな?

障害者がすぐ隣にいて、当たり前の社会に。
それは、とても難しいのかもしれない。無知が産み出す偏見ははかり知れない。
実際に私も、障害者に偏見を持つひとりだったのだから。

まだ、悠太と光太の障害がはっきりしていない頃。
アマチュア劇団に所属する高校時代の友達の舞台を観るために、子守を夫にまかせ、久々に外の空気を吸いに街へ出かけた。
昼食をとろうと、パスタのお店に入りカウンター席に座った。しばらくすると、そこへ、明らかに知的障害者とわかる一人の青年がお店に入ってきた。
その彼を見て私が一番に思ったこと。「隣の席に座られたらいやだな」。あんな人が隣に座ったら、久々の開放感が台無しだ。
彼は少し離れた席に座ると、大きな声でペペロンチーノを注文した。私は彼が隣に座らなかったことにほっとした。
そのお店は、注文が入ってから麺をゆでるので料理が出てくるまで時間がかかる。そのことが分からない彼は、何度も「僕のペペロンチーノまだですか?」と甲高い大きな声で尋ねる。そのたびに、店内に硬い空気が流れた。

今なら、知的障害の青年が隣に座ろうと平気だろう。「まだですか?」と言う彼に、「もう少し時間がかかるからね」と言う余裕もあるだろう。会話を楽しむこともできたかもしれない。
今なら、1人でお店に入り、注文し、食事をとれる彼を尊敬しただろう。ちゃんと自立した彼は憧れだ。あんなふうに、悠太と光太もなって欲しい。
障害児を子どもにもって、障害児と正面から関わる中でわかること。
知らないから分からないのだと。知らないから、偏見をもつのだと。

障害児を預かる託児所に遊びに行くことがある。見知らぬ大人は珍しいらしく、遊んでくれとねだられたり、本を読んでくれと言われたりする。
会話はできても、言い回しが独特だったり、言いたいことが見えないときもあるけれど、懸命に私とコミュニケーションをとりたがっている子たち。うれしいし、かわいいし、何より彼らとのコミュニケーションは楽しい。

悠太・光太と、障害児と関わることで消えた障害者に対する偏見。
普通の人は障害者と関わるチャンスも無い今の社会、なんだかさみしい。



育児なんか大キライ!目次へ
ホームへ