<双子との生活・0歳代後半>
 そんな親を尻目に、子供は順調に成長していた。
二人は、よく笑う子だった(よく泣きもしたが)。検診に行っても医師の診察を受けながらにこにこ。私と目があっただけでにっこりしてくれるようになった。
 5ヶ月を過ぎてまもなく悠太が寝返りをした。修正月齢では4ヶ月に満たない。思いがけない成長振りがうれしかった。
 二人ともうつ伏せにすると視界が変わって面白いのか、とてもご機嫌だった。

 2002年の2月(生後6ヶ月)は、父親不在の月だった。
夫はとにかく仕事が忙しく、深夜帰宅は相変わらずで、土曜日も日曜日も仕事で出て行った。
 その2月。光太がめきめきとかわいらしくなっていったのだ。表情が豊かになり、顔もややふっくらとしてきた。
 長いこと、光太をかわいいと思うことは無かった。悠太と比べて見た目もひけをとっていたし、向き癖で頭の形もいびつだし、ぎゃーぎゃーよく泣いて手がかかった。すべてにおいて手のかかる光太を優先しなければならなかった。悠太がわりと「待てる」子だったので、あの時期なんとかなったようなものだ。
ずーっと、ただ義務で世話をしてきたようなものだった光太。 それが、ここにきてようやく、かわいいと感じることができるようになったのだ。

 顔の形がまん丸の悠太と違って面長な光太は、何を着せてもさまになった(私も親バカモードだ)。悠太が着ると田舎くさくなってしまうものでも、光太が着ると似合う。以来、無難な色を悠太に、ちょっと派手な色やデザインのものは光太に着せることが多くなった。

<光太> 母お気に入りの一枚 <悠太>見て、この笑顔!

 2月の後半には離乳食をスタートさせた。が、これが新たなストレスの発端となった。
 二人とも、食べない。とにかく何も受け付けないのだ。
 ミルク以外全く何も受け付けてくれない日が3ヶ月続いた。これはつらかった。精神的にもまた限界まで追い詰められることとなる。

 一口でもたべさせるために、彼らのご機嫌をとる方法は何だってした。見たことのないおもちゃ、そこらじゅうにある文房具、普段さわらせることのないテレビのリモコン、絵本、ありとあらゆるものを並べ、それらを手渡す代わりに口を開けさせる。お世辞にも食事とはいえない雰囲気だったが、それでも食べて欲しかった。
 少し食べたかと思ったら、まったく食べない時期が続いたりもした。
1歳になる直前まで、区の栄養士さんに相談の電話をして泣きついていた。

 思えば、この「食べない」ことも障害の予兆だったのかもしれない。
 離乳食の開始の目安は、「親の食事風景に興味を持ち、欲しそうなそぶりをする」とあったのだが、二人ともまったく親の食事に興味をもつことがなかった。
 食事もそうだが、周囲のもの、人のすることにあまり関心がなかった。
二人乗りのベビーカーに乗せて散歩に出かけても、他の赤ちゃんはベビーカーから身を乗り出して周りをきょろきょろしていたりするのに、うちの子はただぼーっと座っているだけだった。

 春が来て8ヶ月になり、悠太に遅れること3ヶ月、ようやく光太が寝返りができるようになった。悠太はずりばいを始めた。足はほとんど使わない、バタフライのようなずりばい。ばったん、ばったんと力強く両手を床に打ちつけて進む音が家中に響いた。
 光太もほどなくずりばいをはじめた。さすが双子、悠太とまったく同じバタフライ。が、ここにきて光太が一歩リード。ずりばいから四つばいのハイハイへすぐに移行する。

 9ヶ月。この頃から、悠太と光太が二人で遊ぶようになる。
何がおかしいのか、二人で顔を見合わせてげらげらと笑ったり、ハイハイで部屋の中を追いかけっこしたり。とにかくにぎやかだ。
 初めて、「ああ、双子っていいな」と思った。

二人で仲良く(?)遊んでいます。 同じポーズで眠る二人。

 あっという間につかまり立ち、伝い歩きもできるようになった二人。
ただ、一つだけ不安に思うことがあった。
 二人とも、まねをしようとしないのだ。
 通常、10ヶ月、11ヶ月になるとまねっこが始まる。バイバイやお返事ハーイなど、いろんな芸ができるようになるはずだった。
「なんでうちの子はまねをしようとしないんだろう?」
漠然とした不安を打ち消すのに、二人の笑顔は十分すぎるほどだった。
 まあ、そのうち、そのうち。
 1歳の誕生日を迎えようとしていた。




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