我が子ということ 〜奥平綾子さんの講演会で〜


 9月5日、自閉症界のカリスマお母さん、奥平綾子さん(ダダくんのお母さん・「レイルマン」の著者)の講演会に行ってきました。
 奥平さんの息子さん、ダダくんは現在小学校6年生。鉄道が大好きで、1人で駅に行き電車に乗ることもでき、趣味の一眼レフカメラを自在に操ることができるとても賢い自閉症児です。
私たち夫婦にはダダくんも、ダダ母さんの奥平さんもあこがれの存在なのです。

 我が家のホームページを見てくださっている方は、うちと同じく自閉症児をかかえる親御さんはもちろん、夫の友達、私の友達、そして私たちの家族、親戚と、実際に自閉症児と接する機会がないし、自閉症というものがどんなものかあまりよく分からないけれど、悠太と光太の成長を楽しみにしてくださっている人たちもたくさんいます。
 今日は、奥平さんの講演でのエピソードをもとに、自閉症児が、そして悠太と光太がどんな世界に生きているか、もう一度確認してみたいと思います。

ステージに現れた奥平さん。ショートカットの髪に大きな目。その強い目力と心地よい関西弁で、あっという間に会場全体を引き込んでしまいました。
講演は2時間だったのですが、その長い時間を全く感じることはありませんでした。
私も今まで何人かの自閉症の専門家の講演会に行ったことがありますが、途中、どうしても気がそれてあさってのことを考えてしまうのです。「悠太と光太は今頃何してるのかなあ」とか。それが適度な休憩にもなるのですが、奥平さんの話は、一言一言が重くて、おもしろくて、とても気がそれるという状況にはなりません。あまりに集中して聞いていたので、最後のほうは頭が痛くなってぐでんぐでんになってしまったほどです。
実際に自閉症児を育てている母親、私と同じ立場の人からの話、言葉は専門家以上の専門家でした。

奥平さんが、息子ダダくんを受容するための4つの柱をあげられました。
1. 我が子ということ
2. 自閉症という障害があるということ
3. 権利のある人であること
4. 子どもであるということ

 ガツーンと最初からカウンターパンチをくらった気持ちでした。
それは、「我が子ということ」。その言葉の重みです。 
自分に置き換えてみると、そう。悠太と光太はまぎれもない、我が子ということなのです。
「なんのこっちゃ、あたりまえのことじゃないか」そう思われるかもしれません。
けど、毎日毎日、私の言葉すら通じない子ども、気持ちすら届かない子ども、理解できない行動ばかりする子どもを育てている私にとって、悠太と光太が我が子であるという実感は希薄です。
「あなたはだあれ?宇宙人?」
そんな感覚に近いかもしれません。
我が子という実感も薄いまま、それでもこの手を離すわけにはいかない。そんな、追い立てられるような状態でやっている子育て。
ありのままの悠太と光太を受け入れることができているだろうか?
否。一番根っこの部分が不確かだったのです。
「悠太と光太は我が子である」そこから、始めなければと思ったのです。

自閉症の人は、ものの見方、聞こえ方、触覚、味覚がすべて私たちとは違うと言われます。それは私たち、自閉症児の親には周知の事実です。けど、知識として知っていても、それがどんなものかは分かりません。
そんな私に、奥平さんはとっても分かりやすく示してくれました。

まず、見方。メガホンを逆さにして覗いた感じ。見るものはピンポイントだそうです。
「木を見て森を見ず」はまさに自閉症の人の特徴を言いえています。
 悠太もそうです。車が好き。でもその全体像でなく、好きなのはマークだったりナンバープレートだったり、給油口の形だったり(マニアックですねえ)。
 見方はピンポイントでも、視野は広いそうです。
「見ていないようにみえて、見てるんですよ」
奥平さんにそういわれると、妙に納得してしまいました。

 聞こえかた。
 私たちのように、たくさんの音の中から必要な音だけを拾うことができません。すべての音が同じように耳に入ってきます。
 「こんなふうに聞こえているんですよ」と、カセットテープに録音された、スーパーマーケットの中の音、学校の昇降口の音を聞かせてもらいました。(カセットテープはすべての音を拾うからです。)
 それはもう、不快としか言いようがありませんでした。
 あと、分かりやすい例で言えば補聴器をつけた感じと似ているそうです。
日常生活には音があふれています。その音を否応なくすべて拾ってしまう。どれだけしんどいことでしょう。

触覚もそう。
抱っこがキライな子は、抱っこされるだけでものすごく痛いと感じているかもしれない。パンツのゴムが、針金でしめつけられているように感じているのかもしれないのです。

味覚、これはうちはよく肝に銘じておかなくては。
「おいしいよ、食べなさい」と親が懸命に口に押し込もうとしているものは、子どもにとっては、砂を食べているように感じているのかもしれない。
冷たいものがキライで、たまーにだまして冷たい牛乳を飲ませると、「うえっ」とまるで毒を盛られたような顔をするうちの子。舌を針で刺されるような感覚なのかもしれません。
「冷たくておいしいよ〜」それは親の勝手なんですよね。

自閉症の人が視覚的優位というのは知られています。
ある程度会話が理解できて、言葉での指示がとおるダダくんでさえ、耳からの情報はほとんど入っていない状態だそうです。音声の言語は単なる音。そこに、絵カードや実物=目に見える具体的なものを提示することで、理解の幅はぐんと広がります。

具体的なものは理解しやすいけれど、抽象的なものは理解できません。
「具体的・抽象的」=「絵にかけるもの、かけないもの」としてみれば分かりやすいと思います。
具体的なものの名前、名詞などは絵にかけるのでOK。「きちんと」「しっかり」「ちょっと」なんて普通の会話でよく出てきますが、絵にかけない、NGです。

少し前に発達テストを受けたダダくん。
「タイヤとボールの共通点は何?」という質問。答はもちろん「どちらも丸いもの」。
 けれど、ダダくんにはそれが分かりません。
 現在小学校6年生のダダくん。
「6年前の1年生のときから同じ質問を繰り返してるのにまだわからないんですよ」
 そう奥平さんは笑いますが、こういった想像力を働かせることも苦手、言葉の裏の意味を読み取ることも苦手です。

「○○をしてはいけません」「○○しません」
何気なく使う否定形ですが、否定形の指示はほとんど理解できないそうです。
「走ってはいけません」ではなく、「歩きましょう」。
 肯定的な言い方で。これがなかなか難しい!

 それと同じことで、受験のときのタブーとされる言葉;「落ちる、滑る、割れる、こわれる」ああいった言葉、自閉症児は大嫌いだそうです。
 バツではなくマルを。否定的ではなく肯定的に。悲しい暗い言葉ではなく、やさしい心地よいきれいな言葉を。
 それは、私たちでも同じことですよね。
 そう思うと、私たちの世界にはなんと暗い、マイナスの文字や言葉、世界があふれていることでしょう。
 
 自閉症児の記憶力の良さは私も実感して認めるところですが、本当に、ぜーんぶ記憶しちゃうのだそうです。全部、頭の引き出しにつめこんじゃう。いいことも悪いことも。
 記憶したものが、何かの拍子に・・・同じ場所に来たときとかに、引き出しの中からぽんっと出てしまう。それがいやな記憶なら、その場所に来ただけでパニックをおこしてしまったりする。
「どうせこいつらは分からないから」そう思って悠太と光太にやってきた数々の仕打ちのことを思うと、正直この先怖いです。(ちょうど、連載中の「光とともに・・・」で前月号、光くんが小さいときにお母さんになぐられたことのフラッシュバックを起こしてしまう場面があって、すごくショックでした)
 でも、それを上回る愛情はかけてきた!それは悠太と光太も分かってくれているはずです。そう信じたい・・・

 私たちいわゆる健常者とはまったく異なった世界・文化を持った自閉症児。
彼らと共に生きていくには、こちらの世界を押し付けるのではなく、こちらから歩みよらなければなりません。
 歩み寄ること。それは普段私たちが他者とコミュニケーションをとるときにしていることと、なんら変わりはありません。ただ、その手段がちょっと違うだけ。

 悠太と光太はまだ3歳の子ども。そして我が子です。この世界で暮らすにはちょっとしんどい、ハンディがあります。
 この子たちを理解し、この子たちの杖となって支えることが私の、母としての役目です。
 そして、悠太と光太が親の手を離れるとき、そのときに、この子たちの杖になってくれる人がいろんなところにいてくれたら・・・
 そう願ってやみません。

 おしまいに・・・
 この10月5、6日と、ダダくんは修学旅行で広島に来るのだそうです。
いらっしゃいませ、広島に〜。
 広島に修学旅行といえば、当然入ってくる原爆資料館見学コース。
 けれど、ダダくんは原爆資料館は見ません。奥平さんは静かに、「見せられません」。
あまりにも、映像として入ってくる負の刺激がダダくんには強すぎるのです。そして、ダダくんには理解することができません。戦争の意味も、殺し合いも。
「いつかは歴史として理解するときがくるのでしょうが、今ではありません」
 どうか、ダダくんの修学旅行が楽しいものになりますように・・・




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