衝撃の出会い

 療育ってなんだろう?
最近、ずっと考えていた。
 悠太と光太は今、週に一度、療育センターのグループ療育(親子教室)に通っている。
うちの子を含め5人のクラスなのだが、発達の程度もさまざまだ。その中で群を抜いて「できないちゃん」の悠太と光太。悠太と光太はそれなりにクラスの遊びを楽しんでくれているのだが、母親としては、ついつい他のお友達と比べてしまう。
 うちの子以外は、みんなお弁当を自分で食べることができる。落ち着いて座っている。
片や、スプーンもフォークも、コップすら使えない二人。気持ちが向かないときは、せっかく温めてもらったお弁当も食べられないほどぐずり、座っておくことすらできない。
 そんな2人をなだめすかすだけで、体力も気力も消耗してしまう。

 みんなで行くトイレの時間。
おまるに座るだけでもいいから、お友達を見るだけでいいから。
 そう言われても、「今の」悠太と光太に果たして意味があるのだろうか?
おしっこやうんちの意識もなく不快感もわからないのに、おまるに座らせる練習だけさせても、「おまるに座りました」で、完結してしまわないだろうか?

「発達の弱い子ほど、ゆっくりと時間をかけて、スモールステップで」
「できないことも、少しずつチャンスを与えて働きかける場面をつくって」
そうアドバイスをする保育士の先生。
 言うは易し。困ったちゃんの二人を抱えて、少しずつの働きかけをする時間も、気持ちの余裕もない現状。できないことは山積みで、どうにかしなくちゃと思いながらもどうにもならない毎日。
 先生の言葉がプレッシャーになる。
 何かをさせよう、教えようと思っても、当の本人・悠太と光太に「やってみよう」という気持ちが育たないうちは何をやらせても無理だと思っている。
「時期を待ちたい」という私に、
「でもね、そういう場面をつくっていかないと、いつまでたっても・・・」
ありゃりゃ、否定されちゃった。
「時期を待つ」なんてのは、何もしない私の言い訳なのかしら・・・

 そんな、悶々とした気持ちを抱えていたこのところ。
「こういうのがあるんだよ」と、我が家のホームページを見てくれたことで知り合いになった、同じ市内に住むお友達、Kさんが「K学園」のリーフレットを見せてくれた。障害児のための発達支援センターで、通園施設も外来療育もある。
 なんとなく心惹かれるものがあり、早速見学に行くことにした。

 見学当日、我が家から車で50分、込み入った住宅街にあるK学園に、迷いながらようやく到着。そこで出迎えてくれたのは、とても小柄な女性のH先生。
 早速、芝生の園庭を走り回り、遊び始めた悠太・光太。それをニコニコしながら見ているH先生。
 何から話せばいいんだろう?と戸惑いながらも、ぽつぽつと質問し始める。話を進めるうち、このH先生、とんでもない眼力をもった先生だということがわかった。
 ほんのわずかな時間、悠太と光太が遊ぶ様子を見ただけで、完全に2人の性格、タイプの違い、現在の発達の状況を見抜いたのだ。
 それはもう、頭の後ろをバットで殴られたような衝撃だった。

 「うちの子、まだ何もできなくて・・・コップやスプーンも使えないんです」
おずおずと言う私に、
「周りのものが見えるようになれば、自然にできますよ」ときっぱり。
「今はまだねえ、見えてないでしょ。」
「そうなんです、見えてないんです!」
このとき、どれだけ私が感動しただろう。
 悠太と光太の視野の狭さはずっと気になっていたことだった。
見てないよなあ。っていうより見えてないよなあ・・・。
 そう思っていても、みんな「そんなことないよー!見てないようでちゃんと見てるんだよ!」と口をそろえたように言うのだ。
 そう言われると、「いや、ほんとに見えてないんだよ」と反論する気力もなくなる。言えなかった言葉は、心にたまっていく。
「いつごろ見えるようになるんでしょうか・・・」つぶやく私に、H先生は
「うーん、こればっかりはやっぱり・・・」
その言葉の先にくるものが分かってしまった私。
「時期!」
H先生の声と私の声がハモって、お互い顔を見合わせにっこり。
「できるようになる、見えるようになる時期が必ず来るんです」
「そうですよね・・・」
 この先生、好きだなあ!


「特にねえ」と悠太を指差し、「あの子は、地道に教えて、教えて、努力して・・・っていうのが、全く無駄なタイプでしょうね」
 なんと!
「ずーっとずーっとできなくて、でもある日突然教えてもいないのに、ぽんっ!とできるようになるタイプでしょうね」
 驚きのあまり、H先生を見つめる。この人は千里眼か?!
「今までもそういう経験あるでしょう?」
 そうなのだ。
どうせ、悠太は食べられないから、と与えたこともないバナナをひょっこり自分で食べていたり、それまで持とうとすらしなかったスプーンを使って、これまた食べたことのないヨーグルトを自分からなめてみたり。
自分の意思があって初めて行動に出る。「食べなさい」とか「やりなさい」とかは、悠太に通用しない。
まさにそれは、今まで悠太を育ててきて身をもって感じてきたことだったのだ。
光太のほうは、H先生いわく、まだ「地道な努力」が実を結ぶ可能性もあるタイプだそうだ。
確かに。その2人の違いに、おおいに納得。

 その後、室内遊びにうつってからも、パチンコ台もどきにビー玉を入れて遊ぶおもちゃにはまってしまい、しつこく「やって」とクレーンで要求する悠太に、納得の行くまで楽しそうにつきあってくれたH先生。見ているだけでも辟易していた私だが、
「大人が、もうおしまい、って思うのと子供がもういい、って思うのはちょっと時間差があるからね」とH先生はさらりと言ってのける。

 個別療育を望む私に、
「皮膚からいろんな刺激を入れて、なるべく不快なものをとりのぞいて、心地よいもの、楽しいものにたくさん触れさせてあげたいですね」
 と言ってくれたH先生。マイナスの経験がプラスに転じにくい自閉症のことをよくわかってくださっているからこその言葉。温かかった。ありがたかった。
「苦手なことも、少しずつでもチャレンジして乗り越えていこう!」という療育センターの方針とは少し違う。

「今はただ、食べられるものを食べて、楽しく笑えることが一番。時期を待ちましょう」

 時期を待つ、というのは何もしない言い訳じゃなかった。
これでいいんだ。私の信じたやりかたでいいんだ。
 初めてOKをもらえた。ゆらいでいた足元が確かになった。

 療育方針もいろいろだ。どの方法がベストで、どの考えが一番いいのかはわからない。けれど、親の子育て観・育児方針と限りなく寄り添える療育が子供にとってもいいんじゃないだろうか。
 療育って、子供のためだけじゃなく母親のためでもある。
 孤独になりがちの障害児の子育て。
何がこの子のプラスになるのだろう?どうやってこの子とかかわっていけばいいのだろう?そんな戸惑いや疑問を親と一緒になって、一緒の思いで考えてくれる人がいるだけで、とっても気持ちがラクになる。

H先生との出会いはまさに衝撃で、その後2日間、興奮してなかなか寝付けなかった。





育児なんか大キライ!目次へ
ホームへ