大阪・幼児虐待死事件に思うこと

 大阪で6歳の長女を衰弱させたうえ、暴行して死なせたという事件の新聞記事を読んだ。双子の長男には脳に重い障害があるという。
 新聞記事にはこうあった。「未熟児や双子、障害がある子供は虐待を受ける率が高い」。
 目がとまった。これって、まんま、うちのことやん。
 2000グラム以下の未熟児で生まれて、双子で、障害児。

 虐待はどんな理由があれ、許されることではない。ましてや死に至らしめるような虐待などはもってのほかだ。
 けれど、けれど。
 私は知っている。長女を虐待死させたこの母親と私は紙一重なのだと。
私はわかる。この母親がどんなに苦しんでいたか。

 未熟児で生まれた子供は、すぐにその手に抱くことはできない。自分が産んだ子供と長い時間切り離されて生活しなくてはいけない。その時間は我が子であるという実感をどんどん希薄にさせてゆく。
 実際に私は恐かった。子供を産んだことすら忘れそうだった。
 子供と生活を始めてからも、子供に愛情を感じるまで長い時間が必要だった。

あの母親は、双子を育てる上で怒涛の0歳代、1歳代をどんなふうに過ごしたのだろう?それでも、あの地獄ともいえる時期を乗り越えたのだ。懸命に、頑張ったのだ。
そして長男の障害。
頑張って、頑張って、頑張るがゆえに孤立していく。
なぜ、周囲に助けを求めなかったのかと言われるかもしれない。けれど、障害をもつ子供がいて、まわりに助けを求めるのはそんなに簡単なことじゃない。障害を、気持ちのどこかで受け入れられずにいる場合はなおさらだ。
障害のことを知られたくない、この子を人目にさらしたくない、周りの目が、反応がこわい。それは自然な感情だ。
この母親は、1人で頑張るしかなかった。

けれど、その状況は1人で頑張れるようなものじゃない。無理をして、頑張って・・・
そして、正気が狂気へと変わってゆく。
それはとても簡単だ。私は、知っている。

障害を持つ子供、育てにくい子供の母親が、子供に一度も手を上げたことがない、というのは割りとまれではないかと思う(聞いてみたことはないけれど)。
私も、一度ならず子供をたたいてしまったことがある。まったく子供と意思疎通できず、子供がなにか得体の知れない生き物のように見えていた、障害がはっきりとわかる以前のこと。
「子供に手をあげてしまったんです」
訪問してくれた保健師さんに打ち明けた。
保健師さんは私を一言も責めることなくこう言った。
「お母さんも辛かったでしょう」
その言葉に、止めようとしても涙があふれてきた。

この子たちの育てにくさを思えば、手をあげた回数も少ないほうじゃないかと思う。
恒常的な虐待に発展しなかった理由は、ただ、「たたくと痛いし、かわいそうだから」。エスカレートするのはとても簡単だったはずだ。相手は何も出来ない小さな子供なのだから。けど、たたいて余計に泣かすのは面倒だったし、何よりも虐待にエスカレートしてしまって自分が犯罪者になってしまうのが怖かった。
虐待しなかったのは、自分のため、世間体のためだったかもしれない。

たたいたりすることは少なかったが、精神的な、言葉による虐待は少なからずしてしまった。体に与える虐待よりも、もっとたちが悪いかもしれない。
「あんたなんて、生まれてこなければよかったのよ!」
何度繰り返し言ったことだろう。
 ふつふつと湧き上がる殺意。
我が子に殺意を抱いてしまう自分に対する恐怖と孤独。
 そんな狂気の時期が私にもあった。

 その時期、よく仕事中の夫に電話で助けを求めた。
1日中子供に振り回されて疲れ果て、それでも子供はなかなか夜、寝ようとしない。
そんなときに、狂気が、殺意が首をもたげる。
「助けてよ、早く帰ってきてよ、でないと子供を殺しちゃうよ、子供に手をかけそうで怖いんだよ!」
 夫が、どれだけ当時の私の「紙一重」の状況を理解していただろうか?
 
 そんなある日、夫が一冊の本を買ってきた。
「こころをラクに あたまをクリアに」(大林泉・著 ぶどう社)
2部構成のこの本の第1部は、障害のある子供を持った親の声があつめられていた。そこには、タブーともいえる言葉のオンパレードだった。
「おまえなんかいらない、産まなきゃよかった、どっか行っちゃえ」
「こころのどこかで、あんたなんか死んでくれ、と思っている」
「自分で子供に手をかけるわけにはいかないから、自分の手を汚さずにすますにはどうしたらいか・・・」
「ふと電車のホームで、後ろから押そうかと・・・。そしたら楽になる」

 自分の中の狂気に苦しんでいるのは私だけじゃなかった。
手ごたえのない子供に、ざるに水を入れるような空しさを感じているのは私だけじゃなかった。
 「私だけじゃない」。
このことがどれだけ私の気持ちを軽くしてくれただろう。

 子供に障害があるという事実は変わらない。状況もいきなり良くなることはない。
相変わらず意思の疎通は難しいし、腹の立つことも空しくなることもある。ため息ばかりの日も、思わず殺意を抱くこともやっぱりある。
 それでも、この子たちと、悠太・光太とやっていく。
 正直、しょーがないなーっ、もーっ。やってられんぜ!
 でも、しんどいのは私だけじゃないのだ。同じように頑張っている人がいる。

 長女を虐待死させてしまったあの母親に、「あなただけじゃないんだよ」、そう言ってあげる人がいたなら、孤独な母親の気持ちを親身になって聞いてくれる人がいたなら、誰かに助けを求める勇気をもてたなら、虐待せずにすんだだろうか?
 子供を愛せただろうか?




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