療育者に望むこと

 先日、療育センターで今年度新しく担当になる2人の保育士の先生との面談に行ってきました。今年一年お世話になる先生です。どんな人なんだろう、いい先生だといいな。私もどきどきでした。
 会ってみると、私よりも年代が少し上かな?とっても明るいパワフルな先生でほっとしました。年齢が上のぶん、いろんな子供を知っておられ、経験豊か。私のような障害児の母2年生の些細な不安や疑問をどーんと受け止めてもらえるような、とっても頼もしい印象を受けました。

 昨年度1年間お世話になったのは、まだ20代のフレッシュなお姉さん先生2人。
若さと情熱・そして体力を持って子供に接してくれました。ほんと、仕事とはいえ、教室の1時間半、パワー全開でいろんな遊びを提供してくださる姿には頭が下がりました。
(私なんか、ちょっと子供と一緒にリズム遊びをするだけで息切れしてたのに・・・)
 けれど、うちの子のような障害をちゃんと理解しているか、少々疑問が残りました。
 こんな一件があったのです。

 昨年10月から始まった教室では、おやつの時間がありました。各自、おやつとお茶を持参してみんなで席について頂きます。
 悠太と光太は温かい食事・飲み物しか受け付けません。飲み物も受け付けるのはフォローアップミルクと牛乳のみ。お茶は飲めません。お菓子も、光太は何かしら食べられますが、悠太は「お菓子=温かくないもの」なので、食べることはできませんでした。
(今は、かろうじて「ぼうろ」を食べてくれます。でも、それもすべてのメーカーではないんです。食感が少しでもソフトなものはだめ。口に入れてもすぐに出してしまいます。親からすれば、「同じぼうろじゃないの!」と思うのですが・・・)
 そんなこんなで、悠太にとって「おやつ」と言えるのは温かいフォローアップミルク・牛乳のみだったのです。
 保育士の先生にも「お茶は飲めないので、代わりにミルクでいいですか?」と了解をとっていました。
 ところが、教室が2回終わったときいきなり、ミルクはやめて、お茶を持ってくるように言われたのです。うちの子はお茶を飲めないって言ってるのに、どうして?

 先生の言い分はこうでした。
「みんなもお茶を持ってきているから」。
 この教室のときだけでもお茶を持ってきて、飲む練習をしましょう。他のお友達が飲んでいるのを見たら、ボクも飲んでみようって思うかもしれない。この教室は、いずれ入る集団生活のことも考えているんですよ。幼稚園や保育所なんかは、みんなお茶でしょう。そのとき飲めなかったら困るよね。

 そう言われて、その場は引き下がった私でしたが、後になればなるほど言いようのない不快感が湧き上がってきました。電話で直接話すと角が立ちそうだったので、すぐさま抗議の手紙を書きました。

 いろんなタイプの障害児を受け入れてくれるはずの療育センターで、「みんながそうだから」と同じことを強制されることとは思ってもみませんでした。
お茶が飲めないことはそんなに悪いことなんでしょうか?確かに、他の子はお茶が飲めます。でもそれはお茶を「おいしい」と思うから飲むのです。悠太と光太は我儘でお茶を飲まないんじゃありません。お茶をおいしいと感じられないから飲めない、ただそれだけなんです。
冷たいものや冷めた食事もおいしいと感じられないから食べない。
暑いときは冷たいものがおいしいんだ、少々冷めてもご飯はおいしいんだ、そう感じることができるようになれば、きっと冷たいものも食べてくれるようになるでしょう。その感覚が育っていないだけ。その感覚がいつ育つかはわかりません。

ある自閉症の子の話ですが、飲み物はカルピスしか受け付けなかったそうです。その子が通う幼稚園では、その子のためにカルピスをつくってあげていました。
とても理解のある幼稚園ですよね。でも、そんな配慮があってしかるべきなんじゃないんでしょうか?カルピスしか飲めない、でもそれは我儘じゃないんです。そういうこだわりであり、そういうこだわりを持ってしまう障害だということです。
そんな些細な周囲の理解と協力で、障害を持つ子供の社会生活はぐんぐん広がり、心地よいものになります。

「他の子が飲んでいるのを見て、よし、飲んでみようと思うかもしれない」
 悠太と光太は、まだ他のお友達に全く興味がありません。まだ、自分とほんの少しの周りだけの世界。他の子に触発されるとは到底考えられませんでした。まだ、そこまで気持ちは育っていないのは明らかでした。
この先生たちは悠太と光太の何を見ているんだろう?

 手紙を読んだ先生から後日電話がありました。
「(そこまで言われるのなら)ミルクとお茶を両方持ってきてみてもらえませんか?で、まず最初にお茶を出して、どうしても飲めないようならミルクを飲んでもらうということでどうでしょう?」
という譲歩案でした。
こんなに言ってもまだ分かってもらえないのか・・・と落胆しましたが、仕方なく折れました。ミルク用のお湯の入った魔法瓶と、温かいお茶の入った魔法瓶2本を持って療育センターに行くことになりました。

すったもんだした後、最初の教室のおやつの時間。
事前の打ち合わせどおり、まずお茶を2人の前に出しますが、当然飲もうとしません。
「お母さんはここで悠ちゃんと光ちゃんの様子を見ておいてください」と、先生が、お茶が飲めなかったときのためのミルクをさっさと作りに行ってしまいました。
おやつの時間はどんどん過ぎていってしまいます。でも、なかなか先生は「ミルクを飲んでいいですよ」と言ってはくれません。値踏みするように悠太と光太の様子を見ています。
席に座っても食べるものも飲めるものもない悠太は手持ち無沙汰で、目の前にあったお皿をまわしはじめてしまいました。それも、「ダメ!」と制止されてしまいます。
他の子供はほとんどおやつも食べきってしまっていました。私はいたたまれず、
「もうミルクを飲ませてもいいですか?」とお願いしました。すると先生は、しようがないわね、といった表情。ようやくミルクを悠太と光太に手渡しましたが、そのミルクはすっかり冷めきった後でした。いくら好きなミルクでも冷めてしまっては飲めません。新しいミルクをつくるためのお湯ももうありませんし、飲む時間も残っていませんでした。
結局、(光太はおやつを食べましたが)悠太は飲まず食わず。
親として、あまりにも悔しく、悲しい気持ちでいっぱいになりました。
どうして、体をたくさんつかって遊んだ後に大好きなミルクを飲む、それが許されないことなのでしょうか?

この件以来、この「ミルクかお茶か」でこの先生方と争うのはあきらめました。
おやつの時間は形だけお茶を悠太と光太に出す。ミルクは持っていくのはやめました。療育センターから我が家まで車で10分と近いこと、冬場だったことで、悠太には「家に帰ったらまたミルク飲もうね」とちょっと我慢してもらうことに。
私がミルクを持っていくのをやめたことで、先生は満足気でした。
でも私はその教室のおやつの時間のたびに、辛い気持ちになりました。他の子は大好きなおやつを食べて楽しそうなのに、どうして悠太だけが大好きなおやつ=ミルクを飲むことができないの?

この、悠太だけが飲まず食わずの状況を、先生はどんなふうにみていたんでしょうか?何も感じなかったんでしょうか?お茶も飲まない、おやつも食べない悠太は我儘な変わった子にしかうつらなかったんでしょうか?
 普通の子にも、大嫌いなピーマンとまずい青汁を「おやつですよ、さあ食べなさい、飲みなさい」なんて言わないですよね。それと同じことなのになあ。どうしてわかってもらえなかったのかなあ?療育の先生なのに・・・

幸い、この悠太村八分の「おやつの時間」は悠太に負の影響を与えることなく、いつもめいっぱい、にっこにこで教室を楽しんでくれました。理解力が少ないこともたまにはいいことあるんですね(笑)。もし、「自分だけが・・・」って分かってしまったら耐えられないと思います。

今年度からの教室はおやつの時間に代わってお弁当の時間があります。うちの子供にとっては難問・鬼門です。
前年度の「お茶事件」あっただけに、新しい担当の先生に、これこれこういうことで・・・と温かいものしか受け付けないこと、お茶を飲めないことをおずおずと話しました。
 すると先生はカラカラ笑って、「多いんですよねえ、温かいものしかダメな子って」。
「そうなんですか?」とびっくりする私。
「そうそう。大丈夫よ、電子レンジ使えるようにしておくからね。お茶がダメなら、じゃあ、お茶代わりにミルクを持ってきてもらおうか」と、笑顔であっさり、きっぱり。

 この瞬間、私がこの新しい先生に全幅の信頼を寄せたのは言うまでもありません。
この人たちなら、安心して悠太と光太を見てもらえる、任せられると確信したのです。
 自閉症という障害を理解し、この子たちの個性を尊重してくれる先生。
 やはり、親としてそんな先生に子供を見てもらいたい。

 まだ、今年度の教室が始まるのはもう少し先になりそうですが、楽しくなりそうです。
新しい教室で、悠太と光太はどんな顔をみせてくれるのかしら?少しでも成長してくれたらいいな。今から楽しみです。




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