3人の先生

 先日、療育手帳取得のため児童相談所に行ってきました。判定員の方の面談後、小児科の先生の診察を受けました。
 これで、これまでに3人の専門の先生に悠太と光太を診てもらったことになります。
この3人の先生、それぞれに考え方も違い3者3様で個性的でした。

 まず一人目。一番継続的にお世話になっている、広島市北部療育センターのT医師。
(療育センターの先生でありながら)療育や訓練というよりも、家庭での基本的な生活習慣を重要視されています。
 障害の診断についても、T医師の一言で決まってしまう、その責任の重さからでしょうか、明言を避けられているように感じます(もっとも、悠太と光太はまだ年齢的にもまだ小さいのではっきりとした診断はできかねるのですが)。
 親が一番知りたいのは、子供がこの先どう変わっていくのか、どれぐらい発達するのか、その希望はあるのか。けれども、T医師ははっきりと「大丈夫ですよ」なんて言ってはくれません。確かに、その子がどれぐらい成長するか、発達するか、喋れるようになるのかはその子しだい。親にも医師にも分かりません。
 T医師も無責任なことは言えません。それは分かるのですが、そのぶん、診察をうけても、大事な部分をはぐらかされている印象をもつことがあります。
 仕方のないことですが、私と夫にとっては唯一無二の悠太と光太ですが、T医師にとってはたくさんの(ほんとうにたくさんの!)患者のうちの1人。市の療育機関ということで、(なるべく面倒なことは避けたいという)お役所臭さも多少あるかな?
 
 二人目は医師ではなく、大学の先生。我が家の近くのB女子大の心理発達相談センターのカウンセラーのS先生。
 子供を見下ろすのではなく子供の目線に立ち、限りなく親の気持ちに寄り添って話を聞いてくれたS先生。本当に子供好きという感じで、にこにこ、おだやかな先生。
悠太と光太を抱っこしてくれたことは、本当にびっくりしました。(T医師はうちの子に触れたことすらないのに!)
 今まで、あくまで上下関係、医師と患者の立場しか知らなかったので、このS先生はとても新鮮でした。

 このS先生との話のやりとりでとても印象に残った言葉。
「親もね、自閉症になっちゃうんですよ」
「?」 どういうことなのか分かりかねていると、S先生は続けました。(少々時間が経っているので、細かい部分はうろ覚えなのですが、かいつまんでいうと以下のとおり)
 自閉症の子供に付き合っているうちに、親もだいたいのその子の行動が読めてしまう。
うちの子は自閉症だからこういうことをするだろう、自閉症だからこんなことが好きだろう、こんなおもちゃを好むだろう。そうやって親もどんどん自閉症の世界に入り込んでしまう。
「でも、それも楽しいんですけどね」私は先生に言いました。
自閉症の子供の世界って、一風変わっていて、それがまた愛嬌があったり意外性があったり。親は理解するのが難しいこともあるけれど反面楽しかったりします。
そんな私に先生はにっこり笑って
「親はね」と一言。「親は戻ろうと思ったら戻れる世界があるんですよ。通常の世界に戻ろうと思ったら簡単に戻れるんです。だから自閉症の世界も楽しい。けど、自閉症の子供は自閉症の世界のままなんです」
頭を殴られたような衝撃でした。
そうです。忘れていたんです。自閉症の世界が楽しいなんていうのは、こっち側の人間の無責任な言い分。物の見え方、聞こえ方、感じ方が私たちとは違う自閉症の子供・人たちにとっては、何気ない日常生活でさえ、生きているだけで荒行といわれるぐらい、不安でいっぱいの生きにくいものだったんです。

 「この子は自閉症だから」と枠にはめてその子の世界をどんどん狭めてしまっていないか?親子して自閉症の世界にとらわれてしまっていないか?
 ここらへんが、とても難しいさじかげんです。
「自閉症を理解すること」イコール「親も自閉症になって自閉症の世界に一緒にどっぷりつかること」ではない。どうやったら不安でいっぱいのこの子たちがより安心して、快適にこの通常の世界で生きていくことができるかを考え、その橋渡しをしてやることが大切なんだと思います。

 いろんなことに気付かせてくれたS先生には感謝でいっぱいです。

 さて、3人目が一番最近会った児童相談所のO医師。
この先生がまた、アクの強い・・・いや、個性的な先生でした。
とにかく、豪快で積極的。無責任なことは言えない立場の療育センターのT医師と対照的に、言いたい放題の感があったのですが、それもまた良しです。
 何かにつけ、反応の薄いうちの子供たち。
「薄いなあ。この薄さはいかんよ!この薄さでいろんなこと損してるよ。反応が薄い、ああ、自閉症なんですって諦めてたらもったいないよ!自閉症でした、なんて結果論だからな!」
 結果論?自閉症って先天的な障害でしょう?先生の言いたいことはわかるけど・・・
 そして、思わずこう尋ねました。
「この子たち、変わりますかねえ?」
「おお、変わる変わる。どんどん変わるよ!」
 自信たっぷりに断定するO医師。あまりの痛快さに私は腹の中で大爆笑です。
これこれ!一番欲しかった言葉!
 けど、こんなことも言われました。
「(外からの刺激をキャッチする感覚が薄い)この子たちには3倍ぐらい濃いのがちょうどいいんじゃないか?生活全部、遊びにしろ食事の味付けにしろ・・・ただでさえ双子で半分になっちゃうんだから。」
少々むっとする。これでもいっぱいいっぱい、子供のために頑張ってるんだぞ!これ以上濃い生活なんて無理だ。双子だから半分という先入観も失礼だ。1人にかまってあげられる時間は確かに半分以下かもしれないけれど、そのぶん余計に愛情はかけている自信はある!

 とまあ本当に言いたい放題の先生でしたが、納得することもたくさんありました。
家庭での基本的な生活を重視する療育センターのT医師とは対照的に、家庭はもちろん大切だけど、だからこそ家庭で出来ることの限界があり、そこは専門家(うちの子のの場合は作業療法士)の手にゆだねたほうがいい、という意見のO医師。
 正直、ほっとしました。
 今まで、「家庭での生活が一番大切ですから」としか言ってもらえませんでした。
それは確かにそのとおりです。けれど、この言葉も理解できない悠太と光太にどうやってひとつひとつ教えればいいのでしょう?子供が1人ならじっくり向き合って・・・ということも可能でしょうが、障害のある2人となると不可能です。
「家庭が一番、母親とのかかわりが一番」と言われ続けて、それがとてつもないプレッシャーになっていました。ただでさえ育てるのが難しいうちの子供たちです。母親の手に余るときは、他の誰かに助けを求めてもいいんですよね。
 療育方法、訓練の考え方もいろいろですが、それが子供のためになるのなら、少しでもこの子たち生きやすくなるのなら、いい形で取り入れることができたらいいなと思います。
 そんな前向きなヒントも与えてくれたO医師でした。

 何人もの医師に診察を受け、それぞれの言葉に振り回されて・・・そんなことになったらまずいけれど、実際、どんなことを言われたって基本的な親の子育ての方針・考え方なんてそう簡単に変わるものじゃありません。
 行き詰まり易い障害を持つ子供の育児に何かインスピレーションがもらえるのなら、どんどんセカンドオピニオン、サードオピニオンを聞いてみるのもいいなと実感しました。

 さて、児童相談所に行った後、療育手帳申請の書類を持って区役所の障害福祉課に行ってきた夫ですが、ふだん絶対人の悪口を言わない、怒ることのない夫が、窓口の人の対応のあまりの横柄さに憤慨して帰ってきました。
 きっと私がその場にいたら、火を見たことでしょう。
 お役所って、どうにかならないものかしら・・・




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