「子供不在の育児スタート」
 出産は妊娠期間の終わりと同時に、長い、ながーい育児のスタートでもある。

 帝王切開の手術後、体力はめきめきと回復していった。
妊娠期間のいつ終わるかわからない果てしないつらさと違い、1日1日と術後の傷もいえていく。そして、食事がおいしい!妊娠中はまずくて仕方のなかった病院食がとにかくおいしく感じる。もりもりと食べ、授乳室へと向かう。
 そう、私の育児は授乳室から始まった。

 他のお母さんは、当然、生まれたばかりの赤ちゃんにおっぱいを飲ませるために授乳室へいく。けれど、NICUに入院しているうちの子供はそこにはいない。なので、私は哺乳瓶片手にせっせと搾乳にいそしむのだ。
 が、これがなかなか。
 切迫早産だったため、乳房の手入れを全くしていなかった私。乳腺がなかなか開かない。助産師さんが何とかマッサージしてくれるのだが、これが絶叫ものの痛みなのだ。
脂汗が知らず知らず浮かぶ。あまりの痛さに助産師さんをぶっとばしそうになったこともある。
 最初にとれたおっぱいはわずか10cc。それでも、そのとき5ccのミルクが始まっていた子供にようやく母乳を持っていける、と、とてもうれしかった。

 授乳室にそのときいたお母さんは7,8人だっただろうか。
一人だけ私と同じように搾乳している人がいた。金髪でまだ10代の若いお母さん。ほんの少しだけ小さく生まれた赤ちゃんはNICUにいたそうだ。
授乳室で一緒になって3日目ぐらいのとき。搾乳しようとしたそのお母さんに、
「赤ちゃん(NICUから)下りてきてますよー」と助産師さんが声をかけた。
「うそ!」とびっくりしたお母さん。自分の赤ちゃんを腕に抱くやいなや、声をあげて泣き出した。やっと、赤ちゃんを抱くことができた、うれし泣き。周りのみんなももらい泣き。
 よかたったね。よかったね。
 でも、私はちょっと複雑。いつになったら、私は悠太と光太を抱っこできるんだろう?考えてもしようがないけどね。

生後3日目、初めてNICUにいる悠太と光太に面会ができた。
いっぱい、いろんな管につながれていたけれど、元気そう。よかった。
 でも、とても小さかった。本当にこんなに小さい子が退院できるのかなあ。

 ある日、面会に行ったときのこと。光太が大泣きしていた。私は見ているだけ。
どうすることもできない、と思っていたら、看護師さんが
「抱っこしてみてください。落ち着くかもしれないですよ」
え、抱っこ?
 とりあえず、保育器の中に両手を入れ、泣いている光太を持ち上げてみた。
すると、ふっと光太が泣き止んだ。不思議そうにこっちを見る。お母さんだよ、わかる?
 そのとき、光太の体重は出生体重からさらに減り、1000グラムをきっていた。
1キロの砂糖一袋分がこの子の体重。とても軽かった。
このとき初めて、小さく産んでしまったことを申し訳なく思った。
こんなに小さい体で光太は頑張っている。
この重さ、この感じ、お母さんは忘れないからね。そう強く思った。
保育器の中で大泣きの悠太 まだお肉がついてなくて
おじいちゃんのような光太

子供をNICUにおいて、私は一足先に退院となった。実に2ヵ月半ぶりの外の空気。
とにかく感動的だった。外に出て初めての昼食は念願のモスバーガー。

 家に帰ると、産後の私を休ませるために、夫の母が来てくれていた。
ありがたかった。が、すぐにこの義母、そしてうちの家の周りに住む夫の親戚が、予想外に産後の私を苦しめることになる。

退院しても、毎日子供には面会に行く予定だった。
NICUの看護師さんにも「できるだけ毎日来てあげてくださいね」と言われていたし、
それが当然だと思っていた。
 ところが、「とんでもない!」と外野がわめきだしたのだ。
 産後はとにかく安静にしてなくちゃだめ。本を読んでも、テレビをみてもよくない。外出なんてもってのほか。今しっかり体を休ませておかないと、更年期に目が見えなくなったり、がたっとくるわよ!というのだ。
 義母にいたっては「母乳なら私が届けるから!」と言うのである。

 きっと、周りは私の体のことを気遣って言ってくれたであろう言葉。
けれど、産後のウツ真っ只中だった私には体中に針が刺さったようだった。
 この人たちは子供と私の唯一の接点の面会を邪魔しようとしているんだ。
この人たちは、私から子供をとりあげようとしているんだ。

そのときの私は、ものすごく苦しんでいた。不安で、不安で仕方がなかった。
子供を残して、私ひとり退院してしまった罪悪感。
私の体力はどんどん回復している一方で、子供がそばにいないことで、子供を産んだことすら忘れてしまいそうな不安。この状況は「産み捨て」じゃないのか?

そんな不安を打ち消すために、懸命に搾乳して、子供に会いに行く。まだ抱っこすらしたことがない、この子たちが私の子供なのよ、と確認をするために。
20年後更年期がどうなろうと、あなたたちには関係がないじゃない。
20年後、どうなってもいい。今、子供に会いに行きたい、行かなくちゃ!

 出産と同時に赤ちゃんがそばにいて、赤ちゃんと一緒に家に帰ってこられたこの人たちには、私のこんな気持ちはわかることがないだろう。
夫でさえも理解してもらえなかった。
みんな、私のことを思って言ってくれているんだから、と自分の身内ばかりをかばうのだ。私は孤立していった。誰も私を守ってくれない。
最初の夫との不和だった。

結局、周りの視線が気になりながらも毎日病院に面会に通った。やることのなくなった義母には4日目には帰ってもらった。これでよかったのだ。

子供たちは順調に大きくなっていった。
小さく生まれた光太はもう少し時間がかかりそうだったが、悠太はしばらくすると1800グラムを超え、保育器から出ることができた。
初めての抱っこ。哺乳瓶から直接の授乳も悠太は上手で、誇らしかった。初めての沐浴では、お湯につかったとたんにうんちをしてしまった悠太。
どんどん、現実の育児が近づいてくる。

直に母乳を飲むことも上手にできた悠太は、思っていたよりも早く、生後1ヶ月すぎ、
8月31日に無事退院することができた。
 そのとき、悠太は2400グラム足らず。こんなに小さな赤ちゃんを連れて帰っていいのか不安のほうが大きかったが、やっと家に連れて帰ることができた。

 おかえり、悠太。よく頑張ったね。


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