子に学ぶ


 どうして我が子ってこんなにかわいいんでしょう。
「くうううっ、かわゆいっ!」それはもう、身もだえせんばかりに。

でもそのかわいさは、「気持ちが通じ合えている」と実感できてこそのかわいさです。
「おはよう」と微笑みかければ、にっこり笑顔を返してくれる。
こちらの言っていることがなんとなく伝わっていると実感できる場面も増えてきました。

やってはいけないことをこっそりとやる悠太に「悠ちゃ〜ん」と低い声音でたしなめると、その一声でハッとやめる。そのときの表情がまた、かわいい。いかにも「めっかっちゃった。てへっ」という顔をするときもあるし、「え?なんのこと?ボク何もしてないよ〜」とそ知らぬ顔でごまかすときもあります。

そんなに頻繁に叱るわけではないのに、最近は「悠ちゃん」と呼ぶだけで、ハッとそのときやっていたことをやめたり、手に持っていたものを「はいっ、どうぞ!」とあわてて私に渡してくれたりします。
「・・・・」
悠太から、木製のコマを手渡されてしまった。
こんなもの、私、いらんがな。
うーん、やっぱり通じてないか(笑)。


悠太、おもしろいです。
つまみ食いの味を覚えました。
我が家は、お風呂の後に夕食なので、お風呂の前には食事の支度を済ませてあります。
食事の支度を終えて、さあお風呂の準備・・・と台所から私が目を離した隙を見計らって、悠太がす〜っと台所へ。フライパンの蓋を開けて、お気に入りのおかずをパクッ!

「あーっ、悠ちゃん!」
思わず大きな声を出すと、うっひょー!と一目散に逃げます。つまみ食いはダメということがわかっている。でも、やっちゃう。母の目を盗んでこっそりと。
かわいいなあ、と思うのです。ほんと、子どもらしくて。

でも、あまりにもつまみ食いが激しくて、夕食のおかずがなくなりそうな勢いだったので、フライパンを悠太の手が届かない高いところへ置きました。
さあ、これで安心、急いでお風呂の支度しなきゃ、と、バタバタして再び台所へ戻ってみると・・・
どひゃー。
悠太、近くにあった丸イスをずりずり引きずってきて、そのイスの上に立ってフライパンからつまみ食いしてるじゃありませんか。

そこまでして食べたいか(笑)。
恐るべしモチベーション!しかし、あの悠太の脳ミソでこんな知恵を思いつくなんて、びっくり!
そうだよねえ。イスに上がったら手が届くよねえ。
参りました!

とはならないんだな。せっかく悠太が運んできたそのイスを「はい、さようなら〜」と遠くへ持って行く鬼母。
「うぎゃー!」と悠太は激怒。さすがに再びえっちらおっちらイスを運ぶ気力はなかったようで、私の勝ち。
やっぱりね、ここはちゃんと母が勝たないとね。つまみ食いはいかんよ、うん。


光太は、春の嵐の前触れか、なんだかイライラ。
そのイライラを「はいはい、よしよし、しんどいねえ、ふんふん」といなすことができればいいのですが、私の性格上、真正面から受け止めて対立します。
どうしてこんなに光太と波長が合わないのかと思っていたのですが、結局私と似ているのですね。外面ばかり良くて、神経質なところなんて、ほんとそ〜っくり。
「お母さんスキスキ、チュっチュ〜」としているときはいいのですが、光太がイライラし始めると、それに呼応して私もイライラ、倍増、増幅、増長、どっかーん!

もちろん私も大人ですから、最初は冷静に対処します。
園から家に帰ってきてすぐに「お風呂―!お風呂―!」という光太。
「お風呂はまだよ。ごはんの支度があるからね」
「お風呂ってばお風呂っ。お風呂行くのー!!!」
「まだだってば。ご飯ができてないよ。お風呂から出た後ご飯がなかったら、光ちゃん怒るでしょ。もうちょっと待っててね」(ニッコリしつつイライライライラ)
「んぎゃあああああああっ!」
ぷちーん!
「まだじゃ言いよるじゃろうがっ!うるさいっ、あっちへ行けっ!」
 そのとき手にしていたマヨネーズの容器で思わず光太の頭をごんっ!
 光太、一瞬何が起きたか分からないような顔。そして頭を抱え、みるみる涙があふれ・・・
 うわーーーーーーーんっ!

 あーあ、やっちゃった。
 ああもう、うるさい。ごめん、ごめん。お母さんが悪かった、悪かったってば。

 こんな調子で、子どもとのケンカはしょっちゅうです。
 ひとえに、私が大人気ないばかり。
 でも、忙しい日が続いていたり、気持ちに余裕がないときに子どもにぎゃあぎゃあ言われると、ほんとに腹がたつんです。で、また、私はそのイライラ、ムカムカをずっと引きずるタイプ。

 でも、子どもは違うんですね。
 10分もすれば、まだ涙の後が残る頬でにっこり、「お母さ〜ん。スキスキ、チュっ!」と何事もなかったかのように甘えてくる。
 「ちょっと。お母さんまだ怒ってるんだけど」
 「まあ、いいから、いいから」とチュっ。

 (子どもが私のイライラの原因を作ることはこの際置いておいて)険悪なムードを打破してくれるのはいつも子ども。邪気の無い、ストレートな笑顔です。
 そして、この自分に向けられる笑顔を見るたびに思います。
 あー、私って本当に愛されているんだなあ、と。

 いいお母さんでありたいと思う。
 けど実際、私ってばすぐ怒るし、気分のムラが激しくて、子どもを戸惑わせることも多々ある。だめだなあ、いかんなあ、悪いなあと思う。

 でも・・・子どもたちはそんなこと、百も承知。そんな至らぬ母を、まるごと受け止めて愛してくれる。
 いいお母さんとか悪いお母さんとか、そんな理屈抜きで、ありのままの私を愛してくれる。
 
 もちろん、笑っているお母さんが好き。
 でも、お母さんが笑顔になれないときもあると知っている。そんなときは、お母さんが笑ってくれるのを待つ。ひたすら待ってくれる。時々「ほら、チューしてあげるから、ご機嫌なおしなさいよ」と実力行使。
 そして私が笑うと、心底ほっとした、うれしそうな笑顔を返してくれる。
 
 私は親だから、この子たちを受け止めて、愛情をかけてやらなきゃ、と思ってた。
 でも違った。
 私のほうが、この子たちから、大きな愛情をもらってたんだなあ。って、今頃気付くか。

 私は卑しい大人だから、やってやったことに対して見返りを求めます。
 一所懸命ご飯つくってるんだから、ちゃんと食べて欲しい、大きくなって欲しい。言うことを理解して欲しい。ゆっくりでもいいから成長してほしい。でも「なるべく早く」目に見える結果が欲しい(と思っちゃうところがイヤらしいんだよなあ)。

 私自身、見返りを求められて成長してきました。親からも、他人からも。
 だから、見返りなしに人間関係は成り立たないのだと思っていました。いい子やいい人でないと愛されないのだと思ってきました。

なのに、子どもは見返りを求めない。「お母さんは、お母さんだから好き!」って。
 私が悠太と光太にかけている愛情のなんとちっぽけなことか。
小さな、あのおバカちゃんたちに教えられます。
 
 
 さあ、今日も愛すべきおバカちゃんが帰ってくる。
 こんな殊勝な気持ちでいられるのも、あいつらがいないときだけだもんね。
きっと、今日も子ども相手にこめかみぶっちぎらせるのだろう。
 それもまた、いつもの我が家。



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