「コレ」で人生棒にふってます


 人生を棒にふる、というのはちょっとオーバーか。棒にふっているのは、主に睡眠時間ですね。
 ともかく、はまっています。
 私がはまっているのは、漢字パズル。いわゆる、「漢字ナンクロ」というやつです。

 数字が好きな人は数独にはまるのでしょうが、私は数字はからっきしダメ。クロスワードパズルも好きなのですが、難易度的にイマイチ。簡単なのはあっさりできすぎちゃうし、難しいものは全く言葉が思い浮かばないし。

 そこで、漢字ナンクロです。
 もともと、新聞の土曜日版にたまーに載っているものをやるだけだったのですが、この間の冬休み、とうとう漢字ナンクロばかりが載っているパズル雑誌に手を出してしまったのです。

 うっひょー、漢字ナンクロがいっぱい!
 最初は「こんなのわかるわけがない!」と思うのですが、少ないヒントから思いつく熟語をあーでもないこーでもない、と当てはめていって、とうとう最後のマス目まで埋まった瞬間の、あの達成感!もー、たまりません。

 ちょっと難しいものだと、一つのパズルに1時間、2時間はざらにかかります。その時間があっという間なのですよねえ。で、一つが完成すると、もっとやりたい、と次のパズルに手を出してしまう。やめられない、止まらない。ヘンな脳内物質出まくり。
 気がつけば、夜中の12時をとうに過ぎている。明日5時前には起きなきゃいけないのに。うううう。

 子どもがいるときに、「ちょっとだけ・・・」とつい漢字ナンクロに手を出してしまうといけません。
 子どもが「お母さーん」と何か言いにきても、「今ダメっ。お母さん忙しいんだから!」と無視、その挙句、「えっ?もうこんな時間!まずいっ、夕食の支度が!お風呂の時間が!ひええええええ!」とバタバタ。

 一時、ほんとうにやばいときがありました。
 家庭崩壊の危機(また大げさな)。
 睡眠不足が続いて体がしんどくて、子どもの世話もおろそかになって、それでも漢字ナンクロだけはやめられなくて。1冊の雑誌をやりとげると、また新しい雑誌を買ってきてしまって。
 ここまでくると中毒です。漢字ナンクロ中毒。

 さすがに、これではいかん、と気付きました。寝ないと体がもたない。
 とりあえず、漢字ナンクロは子どもがいるとき、家族と過ごすときには封印。
 今は、夫に子どもの寝かしつけを頼める週末の夜にだけやっています。
 あの、一人だけの静かな時間、没頭できる時間がいいんですよねえ。面倒くさいこと、腹の立つことも何もかも忘れて、ね。


 さて、夫の「コレ」で人生を棒にふってます、それはビデオテープの編集。
 何を思ったか、突然、今まで撮りためた悠太・光太の赤ちゃんの頃からの莫大な量のビデオテープをパソコンに落として、編集する作業を始めたのです。
 小学校入学を前に、一区切りとして今までの成長の記録をまとめたい、ということらしいのですが・・・

 夫の家で過ごす時間なんて限られていますから、夜10時過ぎに帰宅して、ご飯を食べてからのになります。夜な夜な、睡眠時間を削っての作業です。
 ビデオをパソコンに落すだけなら、放っておけば勝手にパソコンが取り込んでくれるのですが、ついつい、その昔の映像を見てしまうのですね。
 昔のビデオを見始めたら止まらないらしく、で、朝になって、へろへろで起きてきて、それでも「あのね、悠ちゃん・光ちゃんがかわいいの」。

 どれどれ、見せてみ。
 と私もパソコンに取り込んだビデオ映像を軽い気持ちで見始めたのですが・・・
 やばい。これは罠だ。私に家事・育児を放棄させ、はたまた人生を棒にふらせようとする、罠だ。
 罠と知っていて、罠に自らかかってしまう私。
 えーん、誰か止めてー!

 いやあ、赤ちゃんの頃の悠太・光太がかわいいのなんのって。
 特にはいはいの時期はかわいさのピーク、黄金期です。
 1歳過ぎまでは、よく笑う普通の赤ちゃん。夫がビデオカメラを二人に向けると、満面の笑みで一目散に「おとうさ〜ん!」とハイハイしてきます。
 名前を呼ぶと、「ん?なに?」という視線を送ってくる。本当に、普通の赤ちゃんでした。
 なんてかわいいんだろう。こんなにかわいかったんだ・・・

ハイハイする動画(2MB)へのリンク

 当時の私は精神的にも体力的にも余裕がなく、あの頃の悠太・光太がかわいかった、という記憶はありません。
 まあ、二人が笑えば「かわいい!」とビデオの中の私も言っているし、瞬間的な「かわいい」はあったんでしょう。映像として残っているのは、絵に描いたような幸せな家族の風景ばかりです。
 でも、私の気持ちは複雑。
 私の心に深く刻まれているのは、その映像の裏側にある、私のドロドロとした気持ち。鮮明に思い出せるのは、いつ子どもの首に手をかけてもおかしくない、追い詰められていた私の姿ばかりです。
 あの頃の二人がかわいかった、という記憶がないのは、その当時の自分のしんどかった記憶そのものも消し去りたいからかもしれません。

 そして、昔の映像に衝撃の事実を発見!
 夫が、「昔のビデオ見ててびっくりしたんだけど・・・」と言い出しました。
何を言うのかと思ったら、「今使っているお尻拭きのケース、赤ちゃんのときからずっと使ってるんだね!」
そこかい!あほか、あんたは。
そうじゃなくって。
昔の映像の中で、私がお皿洗いをして、私が掃除機をかけていたのです。夫がいるのに!で、私がまめまめしく働く間、夫はのん気に子どもにビデオカメラを向けている、と。
こんなの、ありえない!
ほんとに私、不眠不休じゃないか。

いやー、自分でもびっくり。今でこそ夫のいる休日は、夫が掃除も洗濯も食事の後のお皿洗いもやるのが当たり前なのですが、最初の頃はそうじゃなかったんですねえ。
今の役割分担に至るまでは、それなりの道のりがあったのです。

夫も、多くの男性と同じように「言えばやる」でも「言わなきゃいつまでたってもやらない」タイプです。
よく、男性は「手伝って欲しいのなら言ってよ」って言うけれど、そんなの、言わなくてもやれよ!と世の奥様方、思いませんか?
「言えばやるのに・・・」って言うこと自体が屁理屈だってことに、どうして男性は気付かないのかしら?

たとえば電車の中、おなかの大きな妊婦さんが立っていたら、当然席を譲るでしょ?それとも妊婦さんが「席を譲ってください」と言うまで席を譲らないの?
自分の目の前にいる盲目の人が、手に持っていたものを落して困っていたら、条件反射で拾って渡してあげるでしょ?その人が「拾ってください」というまで無視しますか?

それと同じ理屈で、目の前で明らかにしんどい思いをしている、不眠不休で家事・育児に追い詰められている自分の一番大切な人である奥さんを助けない、「助けて」と言うまで助けない、「助けて」と言っても助けない、それが理解できません。
家族と他人の違い?なんで家族は助けないの?そんなの、家族に対する甘えでしょ。家族だからこそ、一番に助けなければいけないんじゃないの?

「言ってくれたらやるのに」
うちも、何回その夫の言葉をきいたことでしょう。
それがどんなに腹立たしい、悔しい言葉か。まるで、「言わないお前が悪い」と言われているようで。
私も何度も泣いて、訴えて、同じ諍いを繰り返して・・・今の家事マメ夫があるのですね。ふう。
マメ夫は1日にしてならず、です。
まあ当時の私も、家事をすることで子どもから逃げていたんでしょうね。


さて、ビデオを追っていくと・・・
普通の赤ちゃんに見えた二人も、やっぱり早い段階から自閉の下地はしっかりありまして。
当時はまだ気付きませんでしたが、偏食もさることながら、そういえば、お外をまったく喜ばなかったよなあ、と。

育児書には、「お散歩をさせましょう」とどれにも書いてあるのですね。お外の風に当たって、いろんなものを見るのも赤ちゃんの情操によいのです、と。
子どものためなら、ともちろん私も頑張りました。毎日毎日、11キロのベビーカーに二人を乗せて、合計30キロ超を押して歩いていました。歌を歌いながら、「お外、気持ちいいねー」と声をかけながら。

でも、あれだけ家の中ではお目目キラキラ、ニッコニコで活発だった二人が、お外ではいつも仏頂面で・・・
当時は、こんなものなのかな、まぶしいのかな、とも思っていたのですが、今から思えば、きっとお外が怖かったんだろうなあ、と。知らないものがいっぱいで、予測のつかない、分からないことがいっぱいで。
ベビーカーから好奇心いっぱいの目で周りをキョロキョロ、ニコニコのほかの赤ちゃんと比べると、その差は歴然です。
子どものため、悠太・光太のため、と思ってやっていたことが、不安な思いをさせていたんだなあ。


さて、二人が歩けるようになり、1歳半も過ぎると、とたんにビデオの量が減ります。そして、笑顔でカメラに向かってくる映像ではなく、背中を追いかける映像ばかりになります。
追いかけるのに必死で、悠長にビデオなんてとっていられなくなったんですね。
この、二人の笑顔が見る見る減っていった時期を思い出すと、切なくなります。

この時期からしばらくは、悠太・光太のことが分からなくて、NG連発でした。
かわいそうなことをしたなあ、と思います。
友達の子どもが動物園を喜んだと聞いたら、悠太・光太も動物園に連れて行き、人がいっぱいでざわざわした動物とのふれあいコーナーに放り込んで、無理やり動物を触らせようとしたり(嫌がっているのに)・・・
うわー、こんなん、虐待やんか(笑)。

でも、悠太・光太の好きなもの、楽しめることを探そうと、あの当時は一所懸命だったんです。
子どものために一所懸命で、うまくいかないことばかりで空回りして、落ち込んで。

育児書に書いてある「子どものためにいいこと」や、世間一般の子どもが喜ぶことが、悠太・光太に当てはまるわけではない、ということに気付くまで随分時間がかかった気がします。
気付いていても、「ほら、楽しいでしょ」とまだ押し付けようとしていました。

育児書なんて関係ない。自閉症のマニュアルだってあてにならない。
どうすればいいのか、何が好きで何がいやなのか、悠太・光太がちゃんと教えてくれていたのにね。
型にはめなければ不安な性格の私。既製の型になんて、どうやったってあいつらがはまるわけがない(笑)。悠太には悠太の、光太には光太の型があるのです。
気付いたのは最近だなあ。
そういえば、自閉症関連の本も、最近はとんと読まなくなりました。夫もそういった本をもう買ってこなくなったし。
本を読むより、子どもと楽しく遊ぶほうがいいもんね。

少しずつ、家族の歯車がかみあいはじめて、ビデオの中の二人の笑顔も増えていきます。
彼らの親としてのスキルもアップしました。
悠太・光太が不快なものや場所は、最初から避けて通るようになったし、無理をしなくなりましたねえ。「こりゃダメだ」と思ったときの引き際も早くなった。「もうちょっと」と頑張らせて、取り返しのつかないことになる、なんて失敗もあまりなくなった。

今でも「ほら、楽しいでしょ」と親の都合を押し付けて連れまわしたり、振り回したりするのはしょっちゅうです(結局変わってないのかも・笑)。
でも、そんな不安の中でも、彼らなりに楽しみを見つけて、その場に適応できることが増えているような気がします。


莫大な量のビデオテープの取り込みも完了。
後は編集作業なのですが、これがまた大変そうで。夫の夜な夜なの作業はまだ続きそうです。
体を壊してはなんですから、何事もほどほどに。自戒をこめて。



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