新年度スタート


 満開の桜とともに始まった4月。
 悠太・光太を園バスのバス停まで送っていく20分のドライブコースも、暖かな春の日差しと満開の桜で、思わず感嘆のため息が漏れます。心が洗われるとはこのこと。
 なんてきれいなんだろう。こんなに春ってきれいだったっけ?

 その一方で、悶々、鬱々とする自分。
 その理由はいろいろあって。
 4月に入って光太がなんだか低空飛行。これといった風邪の症状もないのに、表情もすっきりしているのに、寡黙な少年。いつもはうるさいくらいに、あーあーうーうー文句を言うのに、声が出ない。おとなしい。
なんで?季節の変わり目だから?こんなの光太ちゃんじゃないよー。

入学式に向かう親子連れを見ると、胃が痛む。
1年後の自分。1年後の悠太・光太。
来年のことを言うと鬼が笑うというけれど、もー、鬼、大笑い。
うるさい、ほっとけ。
就学まであと1年あると言うけれど、この1年が怒涛のごとく、あっという間なのを知っている。「先のことはあまり考えず、楽しまなきゃ損よ〜」と言われるけれど、事実あと1年しかない。
自分の中で、明らかに、「あと1年」カウントダウンのタイマーがセットされてしまったのです。

そして、きっと、この鬱々の大元は、夫との感覚のずれ。
仲のいい夫婦だと言われます。「おたくは、ラブラブだから〜」とも。ラブラブはちょっと違うと思うけれど、仲がいいのは否定しません。夫を世界で一番信頼しているし、一番の友達でもある。
それでも、諍いは起きる。ずれが生じる。それは仕方のないことなのだけれど。

3月中、夫の飲み会が続きました。
のんびりちゃんお父さんの会、会社の歓送迎会、会社の同期の飲み会。
もともと夫の会社は、仕事帰りに一杯、という習慣がありません。みんな深夜まで残業をこなしているので、そんな時間すらないというのが現実。だから、夫の飲み会自体が珍しいのですが・・・それが一月のうちに立て続けに3回。それも金曜日や土曜日の夜。

つい、思ってしまうのです。
その(飲み会に費やしている)時間、家族にわけてくれよっ!
ただでさえ、平日はすべて私が子どもの世話をしているのです。
たった1時間でも、夫が家に帰ってきてくれるなら、その時間私は肩の荷が下ろせるのです。この1時間がどれだけ大きいか。
でも夫にしてみれば、「どうせ自分が帰ってきても、(子どもが寝付くまで)1時間くらいしか相手できないんだから、たまにはいいじゃないか」 そんな感じ。
そう。たまには・・・・。普通のお父さんなら気軽にやっている「夜遊び」も夫は普段できないから・・・と泣く泣く送り出したのですが。

のんびりちゃんお父さんの会では、終電・午前様で帰宅。ありえない。
遅くても、11時ごろには帰ってくると思っていたのに、待てど暮らせど帰ってこない。心配する。何かあったんじゃないのか。まず、事故を疑う。
思い余って電話すると、「今、家に向かって歩いているとこ〜」とのん気な声。深夜0時半前。
ぶち切れです。
幼児のいる家庭、しかも障害児を抱える家庭。何かあったらどうするのか。待っている人のことを考えないのか。
はめ、はずしすぎ。

そして事件は(って大したことじゃないけれど)、夫が同期の飲み会で不在のとき起きたのです。
少し体調を崩していた悠太が、突如目のかゆみを訴えだしたのです。目がかゆい。かゆい。かゆくてかゆくて、泣き叫んで手がつけられない。夕食も、おなかがすいて食べたいのに、食べられない。また泣き叫ぶ。
そんなことはおかまいなしに、光太があれしろ、これしろと言う。
まったく何もできない。布団も敷けない。パニック。
もうどうにもならない。SOS。夫に電話をする。が・・・つながらない。何度電話をしてもつながらない。着信にも気付かないらしく、待っても待っても連絡がない。
結局悠太の目は腫れ上がり、そのまま泣き寝入りしてしまいました。

どうして、自分の不在中に「家族に何かあったら」と思わないのか、私には理解できません。だって、何があってもおかしくない子たちです。何ごともなく1日が終わって、「ああ、よかったね」と初めて胸をなでおろせる。

私は、子どもが自分の手を離れているとき、「もし、何かあったら」と考えるほうです。夫に子どもをまかせて、買出しで1時間ほど留守にするときさえ、家から連絡がないか、と何度も携帯電話をチェックします。
それは、子どもが園に行っているときも同じ。子どもからフリーになったからといって、大手を振って遊び歩いているわけではありません。「何かあったら」と携帯電話のチェックは頻繁にするし、家の電話に留守電が入っていないか、まず確認します。
常に、子どもが無事で過ごしているか、気にかけているのです。

夫は、「どうせ何もないよ、大丈夫、大丈夫」と考える人。
この、深く考えない、楽天的な思考に助けられることもあるのですが、それにしても、あまりにも、ひどい。もっと考えなければいけないこと、心配しなければいけないことも「大丈夫」と済ませてしまう。
ちっとも大丈夫じゃないんですけど。
この感覚のずれ。時として耐えられない。

もちろん、私も1日中「何かあったら」と心配し続けているわけじゃない、「まあ、大丈夫でしょ」と構える部分もある。夫だって、何も考えてないわけじゃない(はず)です。
けど、私は「何かあったら」が8割、「大丈夫」が2割。夫は、「大丈夫」が8割、「何かあったら」が2割。
もう少し、お互い歩み寄れたら・・・6対4くらいで。そしたら楽になるのだろうけど。きっと、できないんだろうなあ、お互い。
ま、夫がこんな性格だから、悠太・光太の父親が務まっているのでしょうねえ。



さて、悠太・光太は年長さんになりました。
クラス替えがあるにあたり、こっそり希望を出していました。
甘え上手の光太は、どこでも、誰とでもやっていける。新しい先生やお友達ばかりになっても大丈夫、乗り越えていける。新しい環境をプラスにするのに、さほど時間はかからない。けど悠太は、4人の担任の先生のうち1人でも、持ち上がりになって欲しいなあ・・・

そんな母の希望通り、光太は新しいクラスでまったく新しい先生ばかり。
悠太は、年中さんのときと同じクラス、先生も2人、それも悠太の大好きな先生が持ち上がりです。よかったねえ、悠ちゃん。私も一安心。

母の陰謀あって(?)まったく新しい環境に放り込まれた光太。「光太なら大丈夫」とはいえ、初日はそりゃあ心配でした。
しかし、初日の園からのお手紙、園での光太の様子はというと・・・「初めてのお部屋もすんなり入室、ニコニコご機嫌で過ごしてくれました」とのこと。
あらまあ、よかった〜!
と、ここで文面どおり安心するような、素人母ではありません。そのお手紙を読んで、まず思いました。「こりゃあ光太、相当気疲れしとるなあ・・・」

光太、外面がいいのです。気ぃ遣い野郎なのです。いくら世渡り上手光太だって、新しいクラスで、不安がないはずがない。そんな中でニコニコするのは、相当疲れるはずです。もっと正直に、「なんでここのお部屋なんじゃー!」と怒っていいのにねえ。

新年度初日の夜。
母の読みどおり、相当にお疲れだった光太。いつもは8時消灯で、寝付くのは9時前なのですが、この日は夜7時ごろから眠くて眠くてたまらない。とにかく、1日を「おしまい」にしたくて仕方がない様子。
「布団敷いてよ!」
「テレビはもう消してください!」と要求します。
いつもは嫌がって抵抗しまくる寝る前の歯磨きも、「歯磨きしてください!早く、早く!」と無抵抗で大きな口を「あーん」。
そ、そんなに眠いのね(笑)。
これだけでも十分笑えるのに、とどめは、母の「アンメルツ・ヨコヨコ」を母に「はいっ、これどうぞっ」と手渡す。
光太に悪いけど爆笑です。

肩こりの私は、夜中も肩や首が凝って、痛くて、目が覚めてしまうことがあります。なので、いつも枕元には、目覚ましにしている携帯電話とアンメルツ・ヨコヨコを置いているのですが・・・光太はそれをよく知っているのですねえ。
とにかく、早く電気を消して母に寝て欲しい(添い寝でないと眠れないので)。「お母さん、ねんねのときにはこれ、いるでしょっ」と。

かーわーいーーーーっ。
音声の言葉をもたない、この子たちのこういった「ことば」が大好きです。音声言語で伝えることができないからこそ、思いもよらない創意工夫でもって、言いたいことや気持ちを伝えてくれる。
もちろんこれは、一緒に生活してお互いをよく知っているからこそ伝わる「ことば」。光太とお母さんだけに通じる秘密のことばです(アンメルツ・ヨコヨコを渡すことが「早くねんね」だとは普通は分からないですよね)。
なんか、いいなあと思うのです。こういうの。

先日は療育手帳の再判定のため、児童相談所に行ってきたのですが、判定で重視されるのはやはり、音声の言葉がどれだけ出ているか、こちらからの言葉をどれだけ理解できているか、です。
それだけで判断されると(もちろん他にも判定項目はあるのですが)、悠太・光太はかないません。非常に重い知的障害、ということになってしまいます。

事実障害は非常に重いのですが、言葉が喋れるかどうかってのが、そんなに重要かなあ?と悠太・光太を見ていると思います。
そりゃあ、思ったように気持ちをうまく伝えられない、伝わらないしんどさはあるけれど、それと、「幸せ偏差値」はまったく関係がないのです。これが、不思議なことに。
そういうことを、悠太と光太の笑顔が教えてくれます。

ちなみに、手帳の再判定、悠太・光太ともにテストはまったくできず。面談室に入ったとたん、「ここから出せ!出せー!」と絶叫。
悠太は、すごく悲しそうに涙をぽろぽろ流しながら、「ふえーーーーんっ」。面談が終わり、待合で待つお父さんの顔を見るやいなや、不安や悔しさが一気にこみ上げてきたのか、再び「うわああああああんっ」。
テストは全然できなくても、いっぱい頑張ったのを知っているよ。えらかったね。


今年度から、園では第一・第三土曜に半日療育が始まりました。バンザイ!です。
いくら土曜日に夫がいても、子どもがいると、夫をとられて何もできません。夫も、やりたいことができない。
で、一番最初の土曜日に子どもを送り出した後、何をしたかというと・・・まず、庭の除草剤まき!これも、子どもがいては難しいのです。その後は、ユニクロ行って、家電店行って、以前から欲しかった超小型のビデオカメラを買って。こういうお店も、悠太・光太と一緒じゃ入れません。

そして、最後は夫とお弁当を持ってお花見!もー、桜の下でお弁当食べるなんて、何年ぶりかしら。うれしい〜!悠太・光太がいるから、とあきらめていたのです。
ありがとう、土曜日半日療育!

しかし、久々にお花見をしてみて違和感が。
広島市内でも、有数のお花見スポットに行ったので、それなりに花見客でにぎわっていたのですが・・・なんだか、みんな静かなのです。すごくお上品に、こじんまりとお弁当を食べている。どんちゃん騒ぎをしているグループがないのです。

なんだか、意外。
昔は、昼間でもカラオケしている人たちがいたり、花見といえば、異様な盛り上がりだったような気がするのですが・・・
昨今の風潮で、お酒を控えているせいもあるのでしょうが、でも、お酒を飲んでいるグループも節度を守ってお上品なのです。
なんかちょっと、寂しい気がするのは私だけ?

寂しいのは、悠太・光太がいないから?まさか!
そんな、普通の母親のようなことは思うはずもなく。でもいつか、悠太・光太と一緒にお花見できたらいいな、と思い・・・どう考えても(今のところ)無理。絶対無理。
はあ。


新年度に入り、悠太にちょっとした変化が。
光太だけでなく、悠太までも、ノーパンの開放感に目覚めてしまったのです。だもんで、今、家では二つの生尻がうろちょろしています(悲)。
紙パンツをはかせても、すぐ脱いでしまう。
そして、おしっこ、うんちは絶対に紙パンツでしかできなかった悠太が、とうとう、ノーパンのまま放尿するようになってしまい・・・家の中、思いもよらないところに水溜りができています。

一足先にトイレを覚えた光太も、紙パンツを嫌がり始めたのがスタートでした。
けど、なぜか光太は、垂れ流しにもルールがありました。おしっこ・うんちは基本的にフローリングの上。畳の間ですることはめったにないし、布団の上でもしない。おねしょも、よほどのことがなければすることがない。
なので、雑巾持って駆け回るのは大変ですが、妙な安心感があり、まあ、いいか、という程度でした。

しかし、悠太は違う。畳の上、布団の上、ソファの上、どこでもOK。
勘弁してください(涙)。
4月に入り、毎日のようにシーツを洗濯して、布団を干す羽目になっています。いくら夜中にこっそり紙パンツをはかせても、朝起きたときには脱いでいるのですから。

紙パンツにこだわりがある子どもは、オムツがはずれにくいと聞いていたので、紙パンツをイヤがること自体は、喜ばしいこと、進歩だと思うのですが・・・ゴールは何年後かしら。
まあ、ぼちぼち。
でも悠太、押入れの中に向かっておしっこするのはやめて下さいね(涙)。



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