呼び方あれこれ


 第三者に自分の夫や妻のことを話すとき、どんなふうに呼ぶのか。
 結構個性が分かれておもしろいです。

 女性だと、親しい友人の間ではだいたい「うちの旦那が・・・」って、「旦那」という言葉を使いますよね。
 私も、便宜上(その場の空気上)「うちの旦那」と言いますが、これが苦手だったりします。「旦那」と呼び捨てにするのがまず、慣れない。どうも、妻が夫をあごで使っている、みたいな雰囲気で好きじゃないのです(実際あごで使っているんだけど)。
私の中では「旦那さん」がしっくりくるんだけどなあ。でも身内に「さん付け」するのはさすがにはばかられるので、「旦那」と呼び捨てにするのですが、口にするとき、うっと頑張って喉もとから言葉を押し出すような感じです。

「うちの主人」というと、ベテランの奥さんっぽい。ある程度、夫婦年数をこなした女性という感じがします。
これを、さらっと言えるようになりたいものだけど・・・夫、「主人」って柄じゃないもんなあ(笑)。
でも便利なんです、「主人」。どうでもいいセールスを断るときの私の常套文句です。「主人に相談してみないと分からないんです〜」
言いながら、心の中でぷっと吹き出すんですがね。「あれが主人かよ」、って。

一番私がしっくりくるのが、「お父さん」。気恥ずかしくなく言えます。もう、どこから見ても「お父さん」だもの。
夫婦の間で「お父さん」「お母さん」と呼び合うのも、私は好きです。「私はあなたのお母さんじゃないのよっ!」とは思わないなあ。


男性もいろいろ。
一番NGなのは「嫁」。自分の奥さんのことを「うちの嫁が・・・」って男性が言うと興ざめしてしまう。「嫁=もらったもの」って感じ。家に嫁いできたもの。私はすごーくイヤです。奥さんを「嫁」って言う男性、意外に多いんですけどね。
「女房」だと、おっちゃんくさいなあ(ゴメンなさい)。
「家内」と言えるのはベテランの男性かな。紳士ぽいですね。
私の兄は奥さんのことを「かみさん」と言いますが、気持ちよく尻に敷かれている感じが、好感度大です。
ちなみにうちの夫は、外で私のことを「奥さん」と言っています。
よそよそしいというか、初々しいというか。もう初々しいもないと思うんだけど。


話変わって、少し前の新聞の記事。
妊産婦及び新生児の死亡率、広島県が全国で最低、とありました。日本一、安心して子どもを産める県が広島県なのです。
私も知らなかったのですが、最近盛んに言われている産科医の集約化を、広島県は10年前から独自に進めていたそうです。その結果が、こうして数字に表れたのではないか、ということ。

悠太・光太を身ごもった6年前は、今のように産科医不足は騒がれていませんでした。それよりも少子化の影響で、開業医は妊婦さん獲得合戦に盛んだったような記憶があります。どこそこの産婦人科は食事がおいしい、人気のレストランや料亭から料理をとっている、とか。へー、じゃあ私もあそこにしよう、なんて。
私は妊娠初期まで広島県東部・福山市の実家に住んでいたのですが、総合病院はもちろん、開業医もあちこちにありました。広島市にいたっては、よりどりみどりです。

広島県の産婦人科医は、開業医を含めて、隣県の岡山大学系列と広島大学系列に分かれています。
福山市は岡山大学系列、広島市は岡山大学系列と広島大学系列が混在している形です。
系列の産婦人科医はみんな顔見知りで、その連携は見事なものでした。
私は広島市への転居が決まっていたため、広島市内の岡山大学系列の産婦人科を紹介されたのですが、「この先生は双子のスペシャリストだから」とか、NICUとの連携などの情報もしっかりしていて、心強い限りでした。

産後には、「(妊娠初期まで診てくれていた)福山の○○先生に、無事出産したこと伝えておきましたよ。おめでとう、っておっしゃっていましたよ」と言われたり、広島転居後に1回だけ検診を受けた個人病院の先生が、出産の知らせを受けてわざわざ顔を見に来てくださったり(すでにハイリスクで個人病院の手に負えず、すぐに総合病院にまわされた)。
先生って、最後まで、無事出産するまで患者のことを心配してくれているんだなあ。次を紹介して終わり、転院してハイ終わりじゃないんだ、とびっくりしたものです。こうした医師間の密な連携によって、私のようなハイリスク妊婦も安心して出産できたのだと、感謝しきりでした。

が。
産科医不足の波は広島県にも来てしまったようで。
岡山大学から福山市民病院への産科医の派遣が難しくなり、産科を閉めることになった、とのこと。
福山市といえば、広島県内では広島市に次いで大きな市。県東部のハイリスク妊婦の出産を一手に手がけてきただろう病院の産科がなくなるなんて・・・どうなってしまうのだろう?

悠太・光太をとりあげてくれた担当の先生は当時32歳、その先生もぼやいていました。「好きで選んだ仕事なんだけどねえ・・・」
休日にも酒が飲めない。いつ呼び出しがかかるか分からないから。瀬戸内海の真ん中、釣り船の上で呼び出しの電話がかかってきたこともあったなあ。夜勤明けに朝一で手術。さっき、「明日頑張ろうな」って声かけてきたけど、夜勤明けなのは内緒・・・

産科医が「好きで選んだ仕事」と言えるうちに、どうにかしないと。でも、実際どうすればいいんでしょうね。私には分かりません。


妊娠・出産にちなんでもうひとつ。
私より3歳年上の友人が妊娠しました。高齢出産になります。で、初診で彼女は医師から言われたそうです。「どうしますか?」
「おめでとうございます」、の前に「どうしますか?」ですよ。どうしますか?っていうことは、「高齢出産だと、リスクが高くなります。難産の可能性や、障害をもった子どもが生まれる確立も高くなりますが、それでも産みますか?どうしますか?」っていうことですよね。
もちろん彼女は「産みます」と答えたわけですが、その答えをきいてようやく「じゃあ、おめでとうございます」と言われたそうです。
なんだかなあ、いやだなあ、こういうの。

うちは朝日新聞をとっているのですが、ずっと「妊娠・出産」という連載記事があります。その記事を見ても、「超音波検査で障害の疑いがあることがわかった。産むかどうかもめて、悩んで、最後は産むことに決めた。生まれた子どもに障害はなかった、よかった。」なんてね。そういう記述も、どうも、ひっかかるのです。
じゃあ、障害があったらどうなのよー。残念でしたって?
なんだかなあ。

「障害がなくてよかったね。五体満足で、健康な子でよかったね」と思うのは正直な気持ちで、それをどうこうは言えないです。
だけど、どうして、妊娠する前に、誰も「生まれてくる子どもには、障害を持って生まれてくることもあります」って教えてくれないのだろう?だって、誰にだって障害児の親になる可能性があるのに。
どうして、学校でこんな大切なこと、教えないんだろう?

私が高校のとき、家庭科で「保育」の時間がありました。その教科書で、初めて、胎児が子宮の中でどのように成長していくかを知りました。その絵を見て、言いようのない感動に襲われたのを覚えています。まだヒトの形になってもいない胎児の写真を「かわいい!」思ったのです。それは、不思議な気持ちでした。
その授業によって初めて、自分が将来母親になることを意識し始めたのです。

今思います。残念なのは、どうしてこの授業の中で、生まれてくる子どもの障害の可能性について、そういうこともあるんだと教えてくれなかったのだろう、と。
ふうん、と聞き流してしまうかもしれない。自分には関係ないわと思うかもしれない。それでも、教えておいて欲しかった。
どんな命でも、命は尊いものだと。どんな障害を持って生まれてきても、その子はちゃんと育っていくものだと。

私たちは、それを手探りで一つ一つ確認しなくてはいけなかった。それがしんどかった。
やっぱり、知ると知らないとでは違うと思うのです。
みんながそれを知っていたら、「障害の可能性があるけれど産みますか」だの言われなくてすむ、命の選別なんて馬鹿げたことしなくて済むだろうに。
「障害があります、残念でした」なんて言われなくて、思わなくて済むだろうに。

悠太・光太は残念な命?
ありえない!


悠太・光太と生活していて、目の前の子どもを見つめるとき、抱っこするとき、一緒に遊ぶとき、この子たちが障害児であるとか、自閉症だとか、そんなのはどこかへ吹っ飛びます。ただの悠太と光太です。
それでも、1日たりともこの子たちの抱える障害について考えない日はありません。自閉症に関するおもしろそうな本があれば、夫も私もついつい買って読んでしまいます。
それは、障害を憂えるのではなく、悠太・光太のことをもっと知りたい、もっと分かりやすいようにサポートしたいという気持ちから。
どんなふうに感じるのかな?どんなふうにしんどいのかな?この人は、こんなふうに感じると言っているけれど、悠太・光太もそうかもしれないな・・・と。
 夫も私も、こういうのが好き。楽しいです。
 悠太・光太がいてくれるおかげです。

枯葉パラパラに夢中。悠太。
背中に入っちゃいました。

さて、3月に入り、悠太・光太も年中さんでいられるのもあとわずか。
3月前半は、ひなまつり会、親子会と園の行事が続きました。
ひなまつり会、悠太は楽しそうな雰囲気に終始ニコニコ。一方イベント苦手の光太は、硬い表情。会が進むにつれて、ちょっとずつ楽しくなって笑顔が見られたものの、クラスごとの記念撮影では「イヤー!」と大抵抗。
「写真とるよ」なんて分からないもんね。せっかく楽しくなってきたところなのに、抱っこされて体を拘束されて連れてこられて。
1年前のひなまつり会の写真を見ると、ちゃんと抱っこされておとなしく写真にうつっています。「イヤ!」の意思表示も成長の証。と思うことにしよう・・・

ひなまつり会の翌週には、親子会がありました。
その名のとおり、親子で楽しく遊びましょう、という会です。親子でリトミックしたり、先生の出し物を見たり、ダンスしたり。
この日はなぜか、人の多さにもかかわらず、光太も悠太も最初からノリノリ!
子どもが楽しそうにしてくれていると、それだけで親も楽しいものです。

じっと座って出し物を見ることができるような子ではないので、あっちへうろうろ、こっちへうろうろするのですが、何よりうれしかったのが、あっちこっちへ行きながらも、しばらくすると、ちゃんと私のところへ戻って来てくれるのです。
たくさんの人の中、ちゃんと私の背中を見つけて、「お母さん、おんぶ〜?」と戻ってくる。
以前は、楽しくなると、お母さんのことなんか頭からなんか吹っ飛んで、鉄砲玉のごとく、でしたからねえ。


3学期も残すところ2週間になりました。
 このまま元気で、楽しく通えますように。鼻水が出てるのは気のせいだよね・・・

輪っかくぐりにチャレンジ、光太。広島森林公園にて。


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